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リンゴにけむり
「ねえ、その漫画面白い?」
読んでいたページに影がかかって見上げると大学生ぐらいの女が話しかけていた。
「耳ぶっ壊れてる?耳栓?ねえそれ面白い?」
今度はもう少し大きくゆっくりと話しかけてくる見知らぬ女のタメ口に「知り合いだったか」と記憶をたどる。知らないはずだ。何なんだろう、この女。
「お、感情が生きてる」
けたけたと笑いながら、ソファーの隣に腰かけてくる。なおも漫画が気になっているのか、どんな話か、どこまで読んだかと矢継ぎ早に質問をしてくる。
「…お会いしたこと、ありましたか」
5歳以上年下であろうその女になぜ下手に出て話しているのかと思いながら、こんな場所にいるのだからと感情に不用意に触れないよう注意深く返す。
「見たのは初めてじゃないけど、話すのは初めてだよ」
「そうですか」
目的が分からない以上、何も言うことがなくて中途半端な相槌になってしまう。化粧っ気のないその女は彼氏のものなのかぶかぶかのTシャツにスウェットといかにも大学生がふらりとコンビニに行くようないでたちだった。
「打ち終わり待ってんでしょ。おねーさん、やんなそうだもんね」
「まあ…」
「あたしも。暇だから同じような人に声かけてる。おねーさん死んでなさそうだったから」
「死んでなさそうって…」
「まーくんもだけどさ、打ってる人だんだん顔動かなくなるじゃん。話しててもずっと台のことしか見てないし言わなくなるから死人みたいだなーって。ここで休憩する人もほとんどそれだし。まーくんって彼氏ね」
「はぁ…」
「休みは一日ここだけど、漫画どれがいいかわかんないから聞いてまわってんだよね。おねーさん見る度、熱心に読んでるし、さっきも「はあ?」みたいな顔してたしさ。生きてるし、話したら面白いかなって」
「ついてこなきゃいいんじゃないの」
「おねーさんも退屈そうにしてるくせに」
にやりとした目が不快だ。そう思う程度に痛いところを突かれたというとこか。
「面白いかはわかんない。読んだことあるやつが置かれてたってだけ。あんたは打たないの?」
「まーくんがさ、どんどん設定が悪くなってるとか、どこも換金率下がってきたとか言ってくんのね。そんなの聞いたらさ、損するだけじゃんって思わん?お金持ちの家の子だし、法学部だから頭いいかなって思ったけど、そうでもないのかもね」
「まぁそうね。もう返せない額なのに、何で取り返せるなんて思うんだろ」
「ねー。だからさ、頭悪い場所にいる、まだ頭悪くないかも同士で話しとこうよ」
ちらりとヒロの方を見ると流れる玉を微動だにせず眺めている。玉があるならもうしばらく終わらないし、「追加」をお願いされることもないだろう。
「まぁ…いいよ」
「ほんとここにいると暇なんだよね。あ、まーくんもあたしのことコトって呼ぶからそう呼んでね」
「はぁ…」
「はぁじゃなくて、名乗ったら名乗り返すでしょ、フツー。おねーさん社会人じゃないの」
ずばずばとした物言いは怖いもの知らずなのか、天真爛漫なのか、頭が悪いのか。話しかけてきた真意を測りかねているともう一度名乗るように迫られ、嘘を考える余裕もなく本当のことを言ってしまった。
「かおりか。ならオリちゃんでいっか」
変なあだ名。まぁもう会うこともないだろうと適当に頷く。
「さっき何読んでた?」
「これ?BLEACH」
「面白い?」
「中2だなあってなるけど、結局読んじゃうかな。多分こういうのが好きなんだよ」
「何が中2なの?」
「技名とか刀の名前とか、これとか」
適当なページを開いて見せてやると、にやにやとこちらを見返してくる。
「くさ。ねーあれも好きなんじゃない?『シン・ゴジラ』だっけ?セリフくそはやいやつ」
「見たんだ」
「なんかまーくんが借りてきたんだけど、観てたら横で寝てて腹立ったから全部見て次の日返してやった」
「怒られなかった?」
「なんか言ってたけど無視した。寝てたんだからいいだろって思わん?」
「かわいそ。面白かった?」
「よかったと思うよ。早くて何言ってるかわかんないなって思って日本のやつなのに字幕つけた」
「字幕つけないでわからないより、字幕つけてわかるならそれでいいじゃん」
「それ。まーくんはばかにしてきたけど、観てねーやつが言うなって」
それからもコトは「まーくん」とやらの話を続けていく。付き合って3か月目。同じサークルに入っているらしい。惚気よりも愚痴が多い。こんな退屈な場所に放置されているのだから当たり前か。
「不満ばっかりなんだったら別れれば?」
「それはまだ考えてない。学生で付き合って社会人になってそのまま結婚ってなったら、まーくん最強だしね」
「お金持ちだから?」
「そう。うち、お母さん専業主婦であたしもそうなったらいいじゃんってすごい言ってくるんだよね」
「この時代に専業主婦か…」
今の給与しか知らないし、事務職の給与の上がり方で考えたら到底二人を養うことも考えつかない。今、ヒロを「手助け」しているのだって、自分の生活がないもの同然で成り立っている。「まーくん」がどれほどの金持ちかはわからないが現実味のある話のようには思えなかった。
「オリちゃんがそういう顔するのわかるよ。なんか大学はいろんな子いるからその子たちの話とか、ここで話した人の話とか、そういうの無理そうって思うし。なんかあった時、何にもなくなっちゃてたら危なくない?だから1年様子見てどうしようかなって」
「まーくんが稼ぎそうかどうか?」
「それは、まーくんの話だからいいんだけど、自分がどうするかってこと。まーくんに頑張ってもらうかとか、自分も働くとかで一緒にいるか、自分でできるならまーくんいらないとか。何を大事にしようかなって」
ちらりとコトを見やるとさっきまでのつかみどころのないにやにやした表情は消え、「まーくん」の方を見ているのかじっと一点を見据えている。澄んだ瞳からは悲観なのか、前向きなのか気持ちは読み取れなかった。
「なんで1年なの?」
「前ここにいたおねーさん、二股してて、本命の男も同じ状態らしかったんだけど、どうするか決めるのが1年に設定してたんだよね。その間に自分に向き合うなら先があるかもしれないけど、365日分あって変化がないなら、この先も変化ないって判断するって。その意見、採用!と思って1年にした」
「ダメだ、次ってなった時、割り切れる?」
「割り切るようにするってことじゃん?大学の先生から教えてもらったんだけど、損益分岐点ってあるんでしょ。で損切りってしないとどんどん負債が増えていくんでしょ。それは嫌だし。自分で決めたら納得はするかなって」
自分で決めるという言葉に何も言えなくなってしまう。私は決めることができるか。
言葉に詰まっていると「かおり、終わった」とヒロが小さなビニール袋を片手に休憩スペースの入り口から声をかけてくる。
「今行く」の返事を待たずに、すたすたと下へ降りていってしまう。
「またね、オリちゃん」
「じゃあね」
煙臭く、電子音や玉が流れ出る音が雑多に混じり合う空間を出ると外はもうすっかり夜だった。交差点を超えたところにいるヒロに駆け寄ると、がさがさと袋から何かを取り出す。
「飲む?」
負けたわけではないらしいとほっとして、差し出された飲み物を受け取る。
缶コーヒー。
飲めないそれを眺めながら、コトの言っていた「損益分岐点」という言葉が浮かぶ。
陽が落ちるのが早くなってきた。もうすぐ秋になる。
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