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泣いてから決める

私はずっと泣き虫だった。
1人の部屋が与えられてから、いっそう泣き虫として成長してきた。

7歳のクリスマスイブは不運にも真夜中に目を覚ましてしまった。寝返りを打つと頭に固い何かがぶつかった。それは、サンタさんからのプレゼントだった。
その年に父親を介して、サンタさんに書いた手紙には水でなぞると水彩絵具のように溶ける色鉛筆をお願いした。その頃、絵を描くのがとても好きだったからだ。
思わず綺麗にラッピングされた包みの表面をなぞると真っ平らで厚みがない。それに店でその色鉛筆のセットを見た時より随分サイズが大きいようだった。はっとした。今年のサンタさんのジャッジは「悪い子」だったのだと。
そこから朝日が薄く障子を照らし始めるまで私はそれまで話の一年の悪行を思い出して泣いた。食べられないものが多かったから、スキーが滑れなかったから、廊下を走ったこともあった、雨の日に団地の道に飛び出したみみずを避けきれず踏んだことがあった、17時までに家に戻れず玄関に鍵がかかって締め出されたこともある。それらのささやかで、7歳の子どもにとっては重大な失態の一つひとつがサンタさんの手元には届き、リストが書き換えられてしまったのだと、本気で思った。3年前に妹がもらっていたアニメのキャラクターが描かれたプラスチックの簡単パズルなんだろうと思った。一年に一度のことでこれほどまでに悲しいことがあるだろうか。
せめて朝起きた時は何が欲しかったか知らない(と思っていた)父母には自分の落ち込みようは見せられない。きっとまたこっぴどく叱られてしまうだろうだろうと思ったし、私のことを恥ずかしいと思うんだろうと思った。
できるだけ声を押し殺し、涙を枕で強くぬぐい泣いた。父は高々といびきをかき、母は時折気味の悪い歯軋りを立てていた。上の娘がプレゼント一つで、一年を悔いているなど全くわからずに。

ちなみに朝包みを開けるとちゃんと私が欲しかった色鉛筆セットだった。私が触っていた面は、厚紙に説明や使い方の例が書かれたパッケージの裏面で、本体よりも少し大きなサイズになっていたものだった。
私がもっと頭が良くて、自分の一年の行いに一点の曇りもなく自信のある7歳だったらば、裏返し、朝を待たずに開けて確認したのだろう。でも、私は疑いなく「私が悪い」と思うような、自信をかけらほども持てず、そのことを悲しみ、ただそのことは誰にも知られたくないと静かに1人でなく子どもだった。

そして私は、自信を持てず、思い込みが激しく、自分の言葉で心が傷つき、夜に静かに泣く大人になった。


社会人一年目の恋愛はただただ身を削がれるようなものになっていった。お金で醜く言い争い、目の前で「お前が助けないから自分は不遇だ」と私を憎しみを込めた目で見てくるようになった人が彼氏だった。一度は愛した人が、助けようと貸したお金で身を滅ぼしていく。私もせっかく稼いだ金が尽き、ひどい言葉を浴びせられ、ボロボロになっていく。望まない方にばかり転がっていくのに心は耐えられなかった。
お金がなくなって余裕がないことは確かに一大事だったが、その頃の私には些細なことだった。それよりも、かつては柔らかな光を宿し愛おしそうに見つめる目が、憎しみで燃えるように揺らぐのが悲しかった。もう愛してはいない。それを受け入れるまでに半年もかかってしまった。
信じたくないままになんとかお金を貯めていった旅行では、彼は観光もせず昼過ぎにはホテルで寝入ってしまい、それで完全に心が折れてしまった。
ホテルを1人出て、海沿いの公園で草まみれのベンチで泣いた。風が強い。遠くを老犬とおじいさんがゆっくり歩いていた。
それでも声を出すことはなんだかできなくて静かに泣いた。
泣いて泣いて「悲しい」を分化していく。せっかくの旅行に遅刻してきた。私が見たいと言った映画を覚えていなかった。またパチンコに行っていた。寝てしまった。私はもう居なくてもいいのだろう。別れることすらめんどくさいということなんだろう。切り出されるのを待っている。私ばかりが1人で相撲をとっていたのか。
右、左と次から次へと溢れる涙に言葉が乗っていく。

そんな惨めな旅行から帰っても、終着点を決めることができなかった。

連絡の頻度が減り、何かを訊こう、話そうとする度、緊張するようになっていた。寝るときには今までのことをおさらいするように泣いた。
もう気持ちを抱えておけなかったのだろう。もう出来事それぞれの悲しさを理由にするには泣き果てて、自分の気持ちを決めていくために泣くようになっていた。
毎晩、星野源の「Friend Ship」を聴きながら、私が手放すことで自由な人生になっていくんだろうと思った。私だけがこだわっているけど、次に進む妨げになってしまったのか。私には私がついているから大丈夫。どんなに苦しくても簡単には声が出ないような明らかな喪失は出てこないし、泣ききったとしても、命自体は簡単に尽きてくれない。行ったり来たり、様々な感情を涙で伝っていく。
自分に大丈夫だと言い聞かせながら過ごして、2ヶ月目やっと私は別れることにした。
彼の返事は私が言い切るより前に「はい、わかりました」というあっけないものだった。


こうして泣いてから、決めごとをしていくようになった。
ゆっくりと相手はもう気持ちがないことを涙の形にして明らかにしていく。同時にこの先何も無くなること、次に進まなければいけないことに不安に感じる私を押し流すために泣く。私だけは決めるまで付き合い続けるし、これからもずっと共にある。「しょうがない」「大丈夫」を何度も思い浮かべながら大丈夫にしていく。


自分で選んだことに、自分で答えを出していく。ずっとそうしてきた。
また一つひとつ決めていかなくちゃならない。
泣いてから、決める。「大丈夫」にするために。

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くまみ
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