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ビニールを解いて

安い賃貸だからなのかドアが閉まる音がやけに大きく響く。
こんな深夜から始まる遊びを飽きもせずよく行けるものだと、感心してしまう。大学2年生の夏なんてそんなものなんだろう。賭けて遊ぶだけなんて楽しさがわからないけれど。

一人残された部屋は居心地が悪い。本を開こうにも物がないし、映画を見ようにも真司とは趣味が違うから並んでいるタイトルでげんなりした。テレビは嫌い。ほんの1年くらいテレビがない生活をしていたら、番組の面白さから取り残されてしまった。
することがない。微塵も。
家は自転車ですぐのところだから帰ってもいいけれど、靴に足を突っ込みながら真司が、
「寝込み襲っちゃうから、楽しみにね」
と無邪気に笑っていたのを思い出す。寝る前に襲ってくれたらそのまま熟睡コースだったのに。それにここで帰ったら、明け方に彼からの着信が通知にずらりと並ぶコースも考えられる。

物理的に離れても心が近くに感じられることと、心が遠くにあるのに真横で時間を過ごすのは、どっちが近いんだろう。今はどちらも遠い。

いよいよ眠気も遠のいてしまった。棚に目をやると、ビニールのかかった箱がある。真司がクレーンゲームでとってきたパズルだった。私が「アナと雪の女王」にはまっていたのを知っていて、誇らしげに持って帰ってきた。
「一緒に作ろう」
もらったときに確かにそう言っていたと思う。開けないうちに2か月が経っていた。ボウリングが下手なばかりにお金を巻き上げられた彼の友人のお金でとったのだろう、そのビニールをはがしていく。中身をこたつ机に広げる。こんな夜更けにパズルする女を思ったら、おかしさがこみあげてピースの山を写して仲田にLINEを送った。すぐに既読がつく。珍しい。

すぐに画面が切り替わってスマホが震えだす。電話で返すなんて、彼女と別れて相当暇なのか。
「何やってんの」耳元でくつくつと笑う声がする。「パズル」というと「知ってる」と話を促そうとする。今夜は付き合ってくれるらしい。
「賭けボーだって。ほんと飽きないよね。あいつの家、アナ雪のパズルしかない」
「雪の女王ってもとはホラーなの知ってた?真剣に作らないとすぐそばまで来んじゃない?」
私が怖い話を少しも受け付けないのを知っていて、こういうことを言う。部屋の温度が少し下がったような感じがして気が気じゃない。黙り込むと仲田は満足したようだった。

「真司、多分浮気してるよ。今、女のとこ遊び行ってるって」
からかうように言ってくるのは変わらないのに、さっきまでのはしゃぐ響きが消える。
「仲田の彼女とは違うよ。あ、元彼女か。」いじったら終わりになるかと思って、からかう響きを持たせる。
「ま、俺は大人だからわかるわけよ。別れたら自棄酒付き合ってやるからな」
「アツアツだからなぁ」思ってもないこと言うせいで、のどが絞まる。
「卒論進んだ?調査行かなくちゃいけないの後回しにしてて、詰んだ」
真司の話はこの辺で終わりにしてくれるらしい。
「一文字も書いてない。でも、仲田より進んでるよ。調査終わったし」
「書いてないなら、行ったのも行ってないのも一緒だろ。来週俺ら発表だって」
「京王仲田線も国本線も運休でしょ」
「ばか。仲田線は通常運転だわ」
「あー30分以上の遅延ね」
「そう。国本線は運休?」
「仲田線が途中で運休にならないなら、行くよ」
実のない会話。でも、間髪入れず何か言ってくる仲田が面白くてずっと続けてしまう。

仲田が何か言っているのをそのままに、机の上に散らばったピースを端とそれ以外に分けていく。目がちょうどカットされたピースが見えて思わず裏返す。どこかの映画で、レーザーを避けられなくて体が細切れになったのを唐突に思い出してしまった。
「飽きた。1000個もあるって」何個かつなぎ合わせたところで、持っていたピースを放り出す。
「俺ジグソーマスターだから作りに行ってやろうか」
「真司の家だってば」
「場所どこ」本気みたいな声を出すから、笑ってしまう。
「彼氏の家に、不在中をいいことに男呼び込むって設定が渋滞してない?」

「真司の何がいいの」いつもなら私の話なんて半分も聞いてないのに、今日は本当に珍しい。
「あれじゃない。わんこみたいな笑顔で駆け寄ってきて麻美~麻美~っていつもしっぽ振ってる。ご飯もバクバク食べて元気なとことか」少し投げつけるような言い方になった。気づくだろうか。
「母ちゃんかよ」またくつくつとした笑いが聞こえる。
「わかんないよ。そういう些細なことが幸せって感じられるのが好きってことじゃないの」
「異性の友達の連絡先消してんのに?俺のも通話終わったら履歴消さなきゃなんだろ?」
「心配なんだってさ。麻美は頼りないからって。仲田は大丈夫だよ。智明じゃなくて、智子ちゃんになってるから」
「じゃアイコン俺の写真に変えよ」
「ばか」
なんとなくそこからは話題がそれて、また他愛もない話に戻る。

真司との付き合い方が少しわからないと思うこともあった。ただ、私が欲しいタイミングでとびきり嬉しいことをする人でもある。初めて記念日に選んでくれたピアスはシルバーにアメジストで「華奢で大人っぽい色だから麻美の肌に合うと思ったんだ」と言われて、嬉しさのあまりびっくりするほど泣いてしまった。
一番欲しいものをわかってくれているのなら、私も真司のされたいこと、してほしくないことはわかっておきたい。連絡先を消すのもその一つだとやり過ごしてきた。ただ、履歴まで確認されたり、この連絡は何のために取ったのか詰問されるときには心が弱る。

クーラーが強めに冷風を吐き出し始める。もう外気温が上がり始める時間なのか。仲田との時間もそろそろ終わりだ。
「ねえ、もう始発動いてるかな」
話を遮られたことを少し怪訝そうにしながらも「帰ってくるって?」と察しがいい。さすがだ。
「連絡ない。でも寝てた感じ出そうかなって」
「オールナイトパズル見せつけてやったら」
「なにそれ。微塵も進んでないから何してたのってなるよ」
「そういうもん?」
「そういうもん」
そこからまたのろのろと話し続けるけれど、そろそろ本当に帰ってきそうだ。
「もう切るよ。付き合ってくれてありがと。またね」
「来週。準備しろよ」
「多分。ちゃんと時間までにゼミ室いてね」
「多分」
ずっと耳に押し当ててたから、血が通い始めてじんわり温かくなる。布団に潜り込んだら思ったよりも眠くて、本当に寝て待つことができそうだった。

出ていった時と同じ音がしたと思ったら、真司が帰ってきていた。布団をはがされて泣きほくろにキスされた。外にいた人の匂いがする。
「勝った?」
「1万5000円」心底弾んだ声がする。
「布団入る?」くっついていた体が離れ、お風呂場の方から返事が聞こえた。

箱を開けなかったらわからなかったかもしれないことに気づいてしまう。当てはまるピースが見つからない。ばらけた1000ピースをまた箱に押し込んでおく。もしかしたら真司はビニールを解いたことにも気づかないのかもしれない。

もう一度眠りの淵をうろうろし始めたくらいで、熱を放つ体が近づいてきた。効きすぎたクーラーが肌寒かったから、抱きしめるのにはちょうどいい。腕の中にすっぽりと真司が潜り込んでくる。付き合った時からおさまりのいいその場所は、私の居場所だ。

ピースを見つけたはずなのに、いつまでもはめ込めずにいる。パズルは苦手。
たまらなくなって、胸を押し付けたら、「やわいね」とくぐもった声がした。

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くまみ
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