情報のキャパシティを広げるか、維持するか、狭めるか
最近忙しいのに、情報がいたるところから降ってくるので、それらの取捨選択をするだけでアップアップになっており困っています。
本当は私が「今」調べなくてはいけないことについて時間を割くべきなのに、「世間ではあんなニュースが!」「私の身の回りではこんなことが!」「ネコかわいいよね」「最近の政治は……」「イヌもかわいいよね」と、所狭しと情報が、なにもしていなくても流れてきます。ちょいとしんどいです。かわいい動物の情報はたくさん流していただければと思いますけれど。
一時期は情報のキャパシティを広げようと、いろいろな人をSNSでフォローして、ニュースレターを購読して、常に情報に触れ続けなければ! と思っていたのですが、最近はもうそういったことがしんどくて……(加齢ですかね……)。 なので、よくやっていたSNSを放置して、また新たなところにアカウントを作り、やや隠居のような生活をしているところです。
はじめは元いたSNSにちょこちょこと顔を出さないと気が済まなかったのですが、人間慣れてくるもので、最近はわりと静々とした生活を送っております。これはこれで快適なのですよね。ただ、世間知らずになっている感覚は否めず、周りの人が話している内容に着いていけなくなりそうな感じもしています。
ちょうど良い情報量ってどのくらいなんでしょう。
ニュースサイトには無限にニュースが流れてくるのでしんどいし、かといって、限定的なメディアのみを使用すればそのメディアのカラーに染まった情報しか手に入らなくなるわけで……。なるべく他人の情報に対して喜怒哀楽を感じたくない、一方で世の中の問題に無関心になるのも違うと感じており……。
世の中の人はどうやって感情を、情報を、コントロールしているのか疑問になります。キチンとした大人の常識なのかもしれませんが、どうやって身に付けたのでしょうか。もう時間が解決するのを待つしかないのでしょうか。それともどこかで学んだのでしょうか。大変気になります。
もやもやとした感情をかかえながらも、情報は流れてきます。ひとつの解決策は情報のキャパシティは広げつつも、多くを得ないように調整することかもしれません。いつどんなビックイベント(よくも悪くも)があるかわからない昨今、それを受け入れるだけの余裕を持ちつつ、自身に必要な情報を厳選していく。しばらくはそんな感じで行こうと思っています。
ヘッダー画像は最近京都に行った時に撮った紅葉の写真です。こういう景色を目に焼き付け、自分のなかに閉まっておくこと、経験として保持することが大事な気もしますけれど、どうしても撮影して、情報として周りの人に共有したくなってしまう。経験か、情報か。二分できるものではありませんが、情報偏重になってしまっている自分はより経験のほうにシフトしないとだなーとも感じています。
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