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【社長交代対談「小兵を、つむぐ。」vol.03】 伝統、産業

 カネコ小兵製陶所は、1921年(大正10年)に、初代の伊藤小兵が創業した美濃焼の窯元です。主に神仏具をつくっていた初代・伊藤小兵の時代、そして徳利生産量で日本一になった二代目・伊藤皓美の時代を経て、小兵ブランドが世界に広がるきっかけになった「ぎやまん陶」「リンカ」をつくった三代目・伊藤克紀の代で2021年、創業100周年を迎えました。
 そして2024年9月1日、四代目・伊藤祐輝が代表取締役社長に就任します。100年続いたバトンを、次の代へとつなぐ節目に、三代目と四代目が、カネコ小兵製陶所のこれまでとこれからを語る対談記事を、全5回でお届けします。

【 社長交代対談「小兵を、つむぐ。」 】
対談vol.1 カネコ小兵製陶所のなりたち
対談vol.2 ものづくり
対談vol.3 伝統、産業 (本記事)
対談vol.4 小さなしあわせ
対談vol.5 次の100年に向けて 

前回の対談記事はこちら


社長交代対談vol.3 伝統、産業


四代目(新社長) 伊藤祐輝 ・ 三代目(新会長) 伊藤克紀

伊藤 克紀
カネコ小兵製陶所の三代目。1979年に大学卒業後、日立系商社に就職。1985年カネコ小兵製陶所に入社し、1996年二代目の逝去により社長就任。ぎやまん陶・リンカをはじめとした小兵を代表するシリーズを数多く生み出す。2024年9月1日より会長に就任。
伊藤 祐輝
カネコ小兵製陶所の四代目。伊藤克紀の長男。2012年大学卒業後、自動車部品メーカーに勤務。2019年にカネコ小兵製陶所に入社。このたび、2024年9月1日より社長に就任。 

継ぐ葛藤、継がせる葛藤

四代目・伊藤祐輝 (以下、祐輝) 
 美濃焼の歴史は長く、約1400年前の飛鳥時代、須恵器と呼ばれる土器が焼かれたことが、カネコ小兵製陶所がある岐阜県東濃地方のやきもの文化の始まりだといわれているね。vol.2の記事でも触れたように、カネコ小兵製陶所も100年の歴史の中で、外部の職人さんたちをはじめ、本当にいろんな人の協力を得て、器を作ってこられた。
 僕は9月に四代目として、父さんから代を引き継ぐけど、この“あとを継ぐ”という選択に至るまでの間で、僕はいろいろと思うところがあって。

三代目・伊藤克紀 (以下、克紀) 
うん。どんなことを思った?

祐輝 僕が直接言われたとかではないけれど、「こんな業界、あとを継ぐものじゃない」というような言葉を、よく聞くことがあって。でも、かつて「“自分の娘には、やきもの業界に嫁がせたくない”というイメージがあった」という話があったけれど、今も「あとを継いだら大変だから、継がない方がいい」という雰囲気がどこかにある。でも、何でそんなことを言うんだろうと思うところもあって……

克紀 伝統産業は、ある意味では衰退産業という側面もある。伝統を重んじる上で、なかなか新たな広がりが生まれず、縮小傾向にある産業は多い。苦労してきた人ほど、「こんな大変な思いをさせたくない」と思うこともあるかもしれない。実際に僕たちのような窯元も、低価格化の波に押されて、結果的に儲からないから、次の代に継がせないという人が増えた。その結果、当時800近くあった美濃焼の窯元が、300近くにまで減ったんだ。

 祐輝 カネコ小兵製陶所もそうだけど、この地域では、家業として、親が自分の子どもに継がせるという形がまだまだ主流だよね。だからこそ、余計に心配してしまうという傾向もあるのかな。子どもにあとを継ぎたいかどうかという意見を聞く前に、親が自分で「あとを継がせない」と判断してしまうケースもあるんじゃないかなと思う。

克紀 親が継がせたくないと考えるのはなぜだと思う?

祐輝 やっぱり「儲からないからやめよう」というような、お金の問題が大きいのかな。

克紀 そう。利益が少なく、これでは続けられないとなるのだと思う。僕たち窯元が、次の代に継がせたいと思える窯元を作りたいのと同様に、例えば型屋や釉薬屋など、外部の職人さんたちも、自分たちの子供に継がせたいと思えるような仕事でないと続かない。
 だからこそ、僕はある時点から、自分たちが作る器の値付けに対して、シビアに考えるようになった。それは、きちんと価格を維持していかないと、外部の職人さんたちも生活を維持することが難しくなるし、何より「この仕事をしたい」と思ってくれる後継者が業界にいなくなるからだ。
 

祐輝 そこは本当に大切なところだね。良いものを作って、適正な価格で売ることが、関わってくれている人の生活を支えることになり、ひいては産業を支えることになる。

克紀 自分たちだけでなく、職人さんたちにもきちんと利益が還元される仕組みを、常に考えていかないといけない。共存共栄、お互いにWinWinの関係じゃないと、業界自体が萎んでしまうから。
 あとつぎ問題は、美濃焼だけじゃなく、伝統産業について回るものだ。窯元だけじゃなく、外部のパートナーである職人さんたちも、同じことが言える。実際、自分の代で終わる決断をして、型屋さんの数が減っていることが、業界全体の問題にもなってきている。

祐輝 僕の周りには、親の反対を押し切って継ぐ人もいたりするよ。それはある種の使命感があっての決断なのだと思う。利益がちゃんと出ているのに、「今後あまりうまくいかないかもしれないから」という理由で、継ぐのを反対する親もいると聞くよ。喜んで継がせる人があまりいないよね。

克紀 継がせる側の不安も大きいのだと思うよ。

祐輝 それは分かるけど、僕はやっぱり、継ぐか継がないかは、本人が決めることだと思う。会社にまつわる全ての情報開示があった上で、本人が決めるべきじゃないかな。僕自身、あとを継ぐかどうか迷った時期もあったから、「あとを継ぐものじゃない」というような言葉を聞くと、ちょっと複雑な気持ちになる。そんなこと言わないでほしいし、そうやって言うから業界が収縮していくんじゃないかとも思ってしまう。

克紀 僕は祐輝が継いでくれることに、ほっと安心した。代を引き渡し、受け継ぐというのは、簡単なことじゃないから。

祐輝 後継者不足が社会問題になっている今、継ぐ決断ができたことは、一つの社会貢献かなと思えるとこともある。一方で僕は今、「儲かるか儲からないか」という視点だけじゃない価値観を、同年代を見て感じるんだ。いろんな業界の同世代のあとつぎと話す中でも感じることだけど、「儲けたいから会社を継ぐ」という人は少ない印象で、それよりも「どうしたら業界や会社がよくなるだろう」ということを考えている人が多い。特に僕より下の世代に、その傾向を感じるんだ。もちろん売り上げも大事なんだけど、例えば「地域のために何かしたい」とか、お金とは別の使命感のようなものを持って、あとを継ぐ選択をする人もいる。それは僕自身も、とても共感するところがあるんだ。

克紀 なるほど。世代による価値観もあるかもしれないね。

祐輝 今、価値観の多様化が進んでるとも言われるけれど、例えばバブル世代のステイタス至上主義のような価値観とは、全く異なる考えや感覚を持った若者が増えていると思う。純粋に社会貢献したいと考える若者も結構いるし、都会より地方で暮らすことに価値を感じる人もいる。大企業志向から離れて、あえて中小企業で働くことに価値を見出す人もいる。そういう意味では、これからの時代も悪くないぞって思うんだ。

垣根を超えて、分断せずに、分かり合う

克紀 伝統産業は、変えないことを良しとする風潮も強いけれど、世の中は常に変わっていく。それに合わせて自分たちも変わっていかないといけない。
 僕は美濃焼の業界は、まだまだ伸びると思うよ。現に小兵ブランドが、海外にも広がっているというワクワク感がある。この仕事は、そんな夢を持ってできる仕事だし、美濃焼は世界に羽ばたける可能性があると思うよ。産地全体がよくなっていくには、そういう機運を作ることも大事だね。あとを継ぐ人たちが、夢を描けること。美濃焼として、どんな夢を持ってやっていけるかも大切になってくるだろうね。

祐輝 そうだね。実は僕はこの業界に入って、少し閉塞感を感じる部分もあるのが正直なところなんだ。もっと夢や希望を持って、楽しく働こうよと言いたい。そしてお客さんに喜んでもらえるものを作って、使ってもらえることの喜びを、みんなで分かち合いたい。

克紀 地場産業や伝統産業は、旧態依然としている面も多く、新しい発想がなかなか生まれにくい時もある。伝統があるからこそ、新しい価値観を認めづらいところもあるかもしれない。
 でも夢や希望を持って、楽しく働くことはできると思う。例えば昨年うちが受注したリゾートホテルからの大口注文に、産地の窯元5社が連携して商品を作り納品できたのは、画期的だったと言えるんじゃないかな。祐輝が発案した取り組みだったけど、業界として新しい形での仕事ができたと思うよ。

祐輝 何社かで連携して、産地としてものづくりに取り組むことは、いつかやってみたいと思っていた夢だった。垣根を超えて、分断せずに、分かち合う。メーカー同士で協力体制を組むことで、美濃焼としての生産力や供給力も増すし、新たな可能性が広がる。こうして一つ一つ取り組んでいくことで、産業を盛り上げられたらと思ってるよ。

vol.4へ続く

取材・編集 松岡かすみ
対談写真 野村優
コピー 松岡基弘

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