「お歳暮おじさん」
信州にゆかりがあれば聞いた事があるかもしれない「矢島の凍み豆腐」。私は道の駅の駅長をやりながら長野県佐久市矢島地区に住み、凍み豆腐を作ってます。
時は戦国時代
武田信玄公が山梨から攻めてきて、長野のとある城に陣取ったらしい。それを聞いて矢嶋集落で作ったお豆腐を献上しようと、お城まで運んでいたら寒さのあまりお豆腐が凍ってしまったのだそう。
ただ、献上しないと叱られてしまうであろうその運び屋は「これが名産の凍った豆腐です」なんて言いながら献上したのであろうか、それとも遠い遠いお城まで献上しにいったので、凍結と乾燥を繰り返しいわゆる高野豆腐状態の豆腐を「これが名産の凍み豆腐です。日持ちするんですよー」と言ったのか。
信玄公は豆腐を「ほうとう」に入れて食べたか定かではないが「美味しい」と褒めたのは事実らしい。
そこから矢島の凍み豆腐は製造されるようになった。
時は450年経過し・・・。
悲喜こもごもあった450年が経ち、現代である。急速な時代の流れになったのもあり、数多の仕事が出来ては消え、出来ては消えてきた歴史の中で、手作りの凍み豆腐屋が現在も集落で点在しているのは全国的にも矢嶋地区だけらしい。かつては60軒以上あったと言われる矢島の凍み豆腐屋も今は6軒にまで減ったが、1つの集落に豆腐屋が6軒もあるなんて、スゴイことではないだろうか。
まだ朝日を拝めない、朝と言って良いのか晩夜といっていいのか。早ければ丑三つ時からモヤモヤとした湯気がそこかしこで立ち上がる。それがかつて60軒あったときは、さぞ不思議な光景だったのだろう。漫画やドラマの世界感だ。ロマンを感じる。
買い物は選択だ。
自分達の好きな商品を買う、次世代に残したいと思う商品を買う。それが応援になる。当然のことであるが、溢れる物の中で、数多いる人間の中で、自分の行動を軽視しがちである。
そんな現代にも、矢嶋地区には凍み豆腐をお歳暮でたくさん送るお歳暮おじさんが複数いるのである。昔はもっとお歳暮おじさんはいたのだろう。そして今後はお歳暮自体の縮小と共に更に減っていってしまうのだろう。
自分達の集落の名産に誇りを持ち、移住者で新規に開業した私の店で多い人だと約50㎏(約5万円)近くも豆腐を購入してくれる。大変ありがたい貴重なお歳暮おじさんの選択を、存在をついお伝えしたくなり、記事にすることにしました。
凍み豆腐をなぜ作っている?凍み豆腐って一体どんな物?といった内容は凍み豆腐の超繁忙期が終わってから書いていきたいと思っています。