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マクラーレン650S スーパーカー西遊記 3回

マクラーレン650Sで中国シルクロードを走る 

まるでヨーロッパアルプスのような

 マクラーレン650Sでシルクロードを走って中国奥地へ進んでいくと、少しづつ周囲の様相が変わっていった。
 高層ビルが姿を消し、建物も少なくなり、道路を走るクルマの数も減ってくる。
 西安から走り始めて6日目、西寧から張掖へ向かうルートは、これまでとはまったく違った道だった。
 昨日までのように西安から北西に伸びる古のシルクロードと同じルートを往くのではなく、進路を変えて門源を経由し山脈地帯を越えるのだ。
 西寧から幹線道路を進み、いくつかの交差点を曲がって方向を変えると遠くに高い山々が見えてきた。
「今日はあの山を越えていくから、その前に燃料を補給しておこう」
 トヨタ・ランドクルーザー・プラドを運転しているドライビングインストラクターのシーケーが無線で各車に伝えてきた。  
 シーケーはシンガポールをベースに活動しているが、四六時中、中国本土で仕事をしている。マクラーレンを始めとして、ポルシェやマセラティ、アストンマーチンなどのディーラー研修やドライビングスクールなどで運転を教えたり、メディアイベントで講師を務めている。
 中国では、それらの高級車ブランドのディーラーが次々とオープンしているから、引っ張りダコの彼は多忙を極め、シンガポールと中国をいつも往復している。

 幹線道路沿いの大きなガソリンスタンドに650Sを入れ、順番を待っていると付近の人々や通行人などが集まってきた。
 派手なクルマが6台も連なっているのだから無理もない。遠巻きに眺めている人もいれば、遠慮なくスマートフォンで撮影している人もいる。
 西安や蘭州などの野次馬と違うのは服装と髪型だ。当たり前の話に聞こえてしまうかもしれないけれども、ここに集まってきている人たちの服装は垢抜けておらず、男女問わず髪型への手入れは二の次になっている。日本だってそうした傾向はゼロではないのだが、ここ中国での都会と地方との違いはそんな分かりやすいところにも現れていて、それがとても顕著なところが日本と違う。
 日本の10倍以上の人口で、25倍以上広い国土があって、48の民族に37の言語。あらゆる現象のダイナミックレンジがケタ違いに広い。そう考えれば、この国への理解が進むような気がしてきた。

 満タンにして走り始めると、道路は緩やかに上っていき始めた。だんだんと周囲に木々が増えていく。
 いくつかの小さな村を抜け、林を通り過ぎ、大きな左カーブを回ったところで周囲が開けた。大きな山脈が両側に聳え立っている。
「ワォ、ヨーロッパみたいじゃないか!」
 助手席のケビンが驚いた。僕も驚いた。ケビンはシンガポールの自動車雑紙の編集者で、蘭州から途中参加している。
 いよいよ山脈の中に入り込んだみたいで、ケビンの言う通り、ヨーロッパアルプスのような山並みだ。
 岩山が連なり、その麓には短い草が生い茂る空き地が広がっている。岩山の色がグレーのグラデーションで、その色合いと草の生え具合がアルプスとまったく一緒だ。
 山の近くを走っていることは先ほどから認識していたけれども、ここまでヨーロッパアルプスに似た山々が目の前に現れるとは想像していなかったので僕もケビンも驚いたのだ。今までの延長線上で、もっと茶色っぽく、草などもあまり生えていない山肌だろうと想像していた。その非連続性に声を上げてしまった。

「こっちなんてスペインっぽいぞ」
「イタリアのアルプスであんなのを見たことがある」
 看板や電信柱などもない。かといって人間の気配がないというわけではなくて、山の麓は段々畑になっていて丁寧に手入れが行われている。
 時おり現れるなだらかな高原には草が一面に生えていて、そこを羊の群れが草を食んでいる。
 ここまでの間で見掛けなかった風力発電用のプロペラもあるし、水を湛えたダムも現れてきた。ヨーロッパの山岳地帯をコピーしたのではないかと思ってしまうほどソックリだ。


 道路は完璧だ。片側一車線のアスファルト道路が続いている。素晴らしいことに、追い越しができそうなところではそれが必ずちゃんと2車線に増えている。
 日本で、こんなにキチンと追い越しのために車線が増やされている道路はない。おまけに、通行料金のようなものが徴収されることもなく、走っているクルマも少ない。たまにトラックとすれ違うくらいだ。
 クルマを停めて景観を楽しむのもいいし、スポーツカーで走ったらさぞや気持ちいいに違いない。
 大小さまざまな径のコーナーが連続し、アップダウンもある。
「ここが中国だなんて信じられない。本当にヨーロッパアルプスのどこかを走っているみたいだ」
 ケビンも興奮している。先を走っている他の650Sを運転しているドライバーたちも同じ気持ちらしく一斉にペースを上げ始めた。

 僕らの前を走っていたネリック夫妻の乗るオレンジ色の650Sコンバーチブルはダッシュしてはるか先まで行ってしまった。
「オーケー。彼らにキャッチアップしよう!」
 僕は、ハンドル裏のパドルを短く2回引いてシフトダウンして加速した。エンジン回転が3000回転近くまでハネ上がり、ターボチャージャーによる過給がフルに効いてくる。背後でエンジンサウンドが高まると同時に、上半身が軽くシートバックに押し付けられる。
 スピードが上がっていきながら、反対にボディは空気の流れを利用して、路面に押し付けられるように安定していく。
 目の前の緩い左コーナーが迫ってくる。フットブレーキを踏む。650Sに標準装備されたカーボンセラミックディスクブレーキが強力にスピードを殺してくれる。
 左側は断崖で、右側の対向車線の向こうは岩の壁だ。ネリックの650Sコンバーチブルはもうコーナーを脱出していくのが断崖越しに見えた。
「彼は中国でF2000のレースに出ているから運転がウマいね」
「かなりなハイペースなのに安定しているのはさすがだね」
 ケビンもネリックの腕前には一目置いていた。

 今度は右コーナーが迫ってきた。再びパドルを使ってシフトダウンする。650Sのパドルはカーボンファイバー製で、左側を引くとダウン、右側を引くとアップ。ただ、実はこのパドルは巧妙にできていて、左右のパドルはシーソーのように一本につながっている。だから、ダウンしたい時に左を引く代わりに右を押してもダウンする。同様に左を押すとアップする。これが慣れると使いやすい。
 650Sの前身のMP4-12Cもそうだったが、マクラーレンのスポーツカーはこのパドルのように、ひとヒネリ効いたアイデアが車内のあちこちに見られる。
 例えば、カーナビ。12Cでも650Sでも、カーナビ画面はセンターコンソールに縦位置に設けられている。クルマは前に進むわけだから、縦位置の方が絶対に見やすく合理的だ。なぜ、今まで他のクルマがカーナビを縦位置にしていなかったのかが不思議でならないほど見やすく使いやすい。
 マクラーレンのようなスーパーカーではなく、車内スペースの限られたコンパクトカーなどでこそ先に採用されても良かったアイデアではないか。
“カーナビは横位置”という固定観念あるいは既成概念に囚われず、スルリと交わして見やすいカーナビを実現しているところが小気味いい。コストはゼロの、いわばコロンブスの卵的なアイデアなのだが、既存のメーカーができなかったことを易々とやり遂げている。
 同じように、エアコンの吹き出し口がドアハンドルと一体化しているのも秀逸なアイデアだ。


「スーパーカーの世界で、マクラーレンは新参者だ。既存のスーパーカーと同じことをやっていては、それらを追い越すことはできない。新しいアプローチはマクラーレンにとってとても重要だ」(マクラーレン・アジアパシフィックCEO、ミルコ・ボルディガ氏)
 そもそも、650Sのようなスーパーカーでシルクロードを走破しようという今回の旅じたいが“新しいアプローチ”に他ならないだろう。新しさを追求する姿勢は、インテリアの、小さいけれどもとても賢いアイデアにまで透徹されている。
 ネリックの650Sコンバーチブルを追い掛けているうちに、道はどんどん高いところに上がっていった。多少のアップダウンはあったものの、ずっと上りが続いている。高度が上がってきたので、9月初頭にも
かかわらず左右の山々には雪が被さっている。
 麓から上がってきて、もう数え切れないほどのコーナーをクリアしてきているが、650Sは音を上げる素振りも見せない。
 ブラインドコーナーや道幅が細いコーナーも多いが、助けになるのは650Sの抜群の視界の良さだ。低い運転姿勢にも関わらず、フロントグラス越しに左右のフェンダーの峰を確実に把握することができるだけでなく、各ピラーも妨げになることなく、とても運転しやすい。
 スーパーカーでドライバーの視界について真剣に考えられたフシが伺えるのはアウディR8ぐらいで、その他はスタイリングとボディ剛性確保が最も重要で、視界の重要性は二の次三の次であるに過ぎない。
 今回のような長距離旅行や、この日のような長距離ワインディングロードを走る時には、視界は何よりも重要になってくる。スポーツドライビングの真髄というものをマクラーレンがリアリティを以て把握している何よりもの証左だ。

 長い上りの直線が続いた後、道が平坦になったところで左右が大きく開けた。どうやら、ここが峠のようだ。道に雪はないが、窓ガラスを下ろすと冷気がキャビンに入ってきた。右手の山の斜面に看板が掲げられていて、標高3775メートルと記されている。高さに改めて驚くと同時に、眼下の絶景とその中を蛇行している見事なワインディングロードに昂る気持ちを抑えることができなかった。

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