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“サンキューハザード”は要らない
日本全国どこでも、ハザードランプを多用するクルマがたくさん走っている。それも本来の用途とは違う使われ方ばかりだ。
ハザードランプは緊急警告灯だから、走行中のクルマが突然に故障して止まってしまったり、ドライバーが運転できなくなって路肩に停めざるを得ず、その場からすぐに動き出せなくなってしまった場合などに、周囲の交通に注意喚起するためにクルマの四隅の赤いライトをチカチカッと点滅させるものだ。
しかし、街中でも高速道路でもチカチカチカッと点滅させているクルマが多い。
ほとんどは緊急事態ではなく、十分な車間距離を確保できずに余裕なくギリギリのタイミングで合流や車線変更などを強行した後に、“お礼”や“お詫び”の意味で点けている。ギリギリのタイミングなのに、間を空けずにスイッチを入れようとしているから、さらに危ない。
中には、それほど急でなかったとしても点滅させている人もいる。合流や車線変更の際の望ましいマナーやエチケットであるかのように振る舞っているようにも見えてくる。他のクルマの流れと自分が交錯することに過剰反応しているようだ。
また、路肩に駐停車するために左右どちらかへ方向指示器を出すことを省いてしまった上に、走行中からハザードランプを点滅させながら路肩に寄せて停めようとする業務用バンやトラック、タクシーなども多い。一方通行だったりすると、どちらに停めたいのかが一瞬わからなくなる。
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もうずいぶん前から、“サンキューハザード”という言葉までできてしまっている。これには初めから馴染めなかった。心から“お礼”や“お詫び”をしたいのならば、ランプの点滅などで代用、間に合わせてしまうのではなくアイコンタクトやジェスチャーなどのリアルなコミュニケーションを図りたいではないか。ハザードランプでお礼されても、ちっとも伝わってこない。
でも、それは現代では難しいのかもしれない。クルマの運転に限らず、知らない人との間でコミュニケーションを図ることを厭う人たちが増えてきているから、その大切さが共有されにくくなっている。
ドライバー同士のコミュニケーションが重要なのは、アクションの前なのである。決して、事後ではない。仕方なく少し無理な合流や割り込みになりそうだとしても、窓を開けて手を挙げながら相手の眼を見てお辞儀でもすれば、断られることはまずない。相手が見えない状況だったら、リアウインド越しに見えるように片手を挙げるだけでもいい。僕は昔からそうしている。
手を挙げてもリアガラス越しに目視されないから大型トラック同士が走行中のハザードランプを点滅し始めたという説もあるが、乗用車がその真似をする必要はないだろう。
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元々、走行中にハザードランプを点滅させたことはなかったが、アメリカでフォード エクスプローラーを撮影した時にその考え方は補強された。登場したばかりのフォード・エクスプローラーをミシガン州で運転していた時に経験したことが大きく影響しているからだ。
新型エクスプローラーは、旧型のラダーフレームシャシーからモノコックシャシーへ改められ、縦置きエンジンの4輪駆動から横置きエンジンの前輪駆動へ変更されて完全に一新された。ヘビーデューティなニーズには、エクスプローラーよりもひと回り大きなエクスペディションに対応させ、エクスプローラーは都市型の“アーバンSUV”にと造り分けられた。乗ってみると、乗り心地や静粛性が格段に向上し、ドライバーインターフェイスも新時代のものへ進化し、快適なSUVに仕上がっていた。
日本からカメラマンと2人でデトロイトに出掛け、フォード本社でエクスプローラーを受け取ると、ミシガン湖の北端近くのシルバーレイクを目指した。湖畔の広い砂漠には、有料のSUVパークがあるという情報を昨日、ホテルの近くのアウトドア用品店の店員から得ていたのだ。
「エクスプローラーをカッコ良く撮影するならば、ここがいいんじゃないかな!?」と地図を広げながら教えてくれた。
撮影プランとしては、シルバーレイクの砂漠で撮影するだけでなく、往復の道中でアメリカらしい風景の中にあるエクスプローラーを撮ることにした。高速道路に相当するフリーウェイではなく、一般道、それもできたら小さな町や村をつなげるローカル道路を進みながら、良いシーンを見付けていこうということになった。
道中で旧型や旧々型エクスプローラーなどと遭遇したら、それらもスナップさせてもらおう。こういう撮影取材では、カメラマンのセンスと勘の鋭さがいちばん問われる。
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デトロイトのダウンタウンにあるホテルから、シルバーレイクまでは4時間以上かかった。デトロイトからインターステイツフリーウェイ96号を西に進み、ランシングやグランドラピッズという大きな街を過ぎ、ミシガン湖東岸に到達する手前で、南北を貫く31号に合流。小さな町や村を通り過ごし、林や森を抜け、川も渡りながら北上。湖畔には湖から切り離された大小の池や流れ込む川などが入り組んだ自然豊かなところだった。
シルバーレイクは湖に連なる砂丘や森林などがある州立公園になっていた。砂丘の一部が有料のドライビングエリアとして管理されていた。とても広くて、良い撮影ができた。
ただ、往復の一般道でエクスプローラーを路肩に停めて撮影中に1回ずつ注意を受けた。1度目は、通り掛かりの白いシボレー・マリブを運転していた女性ドライバー。
「ハザードランプを点灯させているけれども、あなたたち大丈夫?」
「問題ないよ。ありがとう」
「それなら良かった。点滅していたから、慌てて止まったわ。気を付けてね」
片側2車線の直線道路で、道路の脇は林が広がっている。対向車線側の向こうは空き地のようで、草の生えた地面が広がっている。人の気配はなく、交通量も少ない。特徴的な建築物や地形が控えているわけでもなく、何もないところを貫くローカル道路だった。
でも、この空の広さと空き地の何もない感じが実にアメリカの田舎っぽかった。日本だったら、空き地にはすぐに何か建てられてしまうだろうし、視界のどこかに必ず看板や標識などが入ってきてしまう。
カメラマンは手際良くアメリカの田舎の空気感をうまく取り込んだ画像を撮影できた。
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2回目は、1回目と同じような道路沿いだったが、対向車線の向こうに川が流れていて、それを背景に入れて撮ろうという狙いだった。そこに、警官が運転するパトカーが走ってきて止まったので、ちょっと緊張した。
「どうした? 何が起きたんだ!?」
「何も起きていません。僕らは日本からフォードの新型エクスプローラーを撮影とテストドライブしに来たんです。ここの風景がきれいで、クルマもあまり通らないから、安全を確認しながら撮影していました」
「オーケイ。でも、アメリカではハザードランプは誰かに助けを求める知らせなんだ。だから、それを見た他のドライバーや通行人などは、ドライバーつまりあなたの安否を確認する義務がある」
たしかに、1回目に心配して止まってくれたマリブの女性は、僕らに何もトラブルがないことを知った途端に安心したと同時に、呆気に取られていた。
アメリカではハザードランプを点滅させるのは、誰かに助けを求めるほどの一大事に限られていたのだ。日常的にチカチカ点滅させている日本とは全く違っている。意味合いの重いアメリカに対して、日本では軽いが故に多用されている。
僕も、サンキューハザードこそ行わないが、停車を示すために点滅させてしまっていた。何も点けずに撮って走り出せば、彼らは通り過ごしたはずだ。
そして、マリブの女性ドライバーが停まって声を掛けてくれたのは、親切心よりも安否確認の義務があるからだった。他人の助けを必要とするほどの緊急事態に陥り、見た人は安否を確認する義務が生じるほど重大なシグナルとして取り扱わられているのだった。
そうなった場合でも見ず知らずの他人と交錯することになる。日本でサンキューハザードを行っている人に受け入れられるだろうか。
「日本の事情は知らないけれども、アメリカでは本当に緊急な事態に陥らない限り、ハザードランプのボタンは押してはいけない。それぐらい特別なものだから、他のスイッチやボタンなどと区別して、赤く表記されているだろう?」
たしかに、1997年にフルモデルチェンジしたキャデラックのセヴィルという大型セダンは、本格的に日本マーケットで拡販するために、キャデラック史上初の右ハンドルを用意したり、さまざまなモディファイを行って日本仕様を仕立てていた。
ハザードランプのスイッチもそのひとつで、それまでは上から覗き込まないと操作できないようなステアリングコラムの奥にレバーを設置していたのを、今日のもののようにダッシュボードに移し代えたことを輸入販売元は強調していた。
つまり、“アメリカと日本では法規や使い方が異なるけれども、売るためには日本に合わせてきた”ということだったのだろう。そう納得させられたのを良く憶えている。しかし、その企業努力は立派なものだけれども、もう少し彼我の違いをアピールしても良かったのではないかと今になって思う。メディアにも同じことが言えた。
「本来ならば、あなたを違反に問うところだが、それは止めておく。気を付けて日本に戻るように」
警官の温情で違反切符を切られずに済んだし、日米でのハザードランプの使われ方の違いの大きさも強く再認識させられた。
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現在では、キャデラックに限らず他のアメリカ車やヨーロッパ車なども、ハザードランプはダッシュボード正面やセンターコンソールなどの、すぐに見付けられて押しやすい位置に設けられている。位置は変わったが、使い方は変わっていなかったのだ。
もちろん、日本とアメリカでは何から何まで同じくすることはできないし、その必要もない。しかし、少なくとも現在の日本で多用されている“サンキューハザード”がナンセンスであると考えることは間違いないと、意を強くすることができたのだ。サンキューハザードを使わずに済むような運転を心掛けることしかない。
具体的には、早め長めにウインカーを点滅させてから進路変更を行うことだろう。十分に自分の意思を周囲の交通に示してから、余裕をもってハンドルを切っていくようにしたい。
ただ、安全で走りやすい道路環境を実現していくためには改善も必要だ。道路などの交通インフラには余裕を持たせて走りやすくし、ドライバーが守りやすい法規やルールなどが柔軟に運用されるべきだ。
杓子定規にワクにハメようとするから窮屈になり、“守った、守らない”、“破った、破らない”とギスギスした挙句の自衛手段がサンキューハザードだ。
ギスギスしているのはクルマの運転中に限らない。満員電車の中も変わらない。他人にブツかっても、「すみません」「ごめんなさい」という声があまり聞こえてこない。建物の出入り口や通り道などで先を譲り譲られる時にも「どうぞ」「ありがとう」と声に出されることが少ない。みんな、ブスッとしている。なんでも外国が良いわけではないけれども、日本で日本人同士だと声が聞こえてこなくてギスギスしてしまっている。
サンキューハザードの代わりに余裕のある運転と直接的なコミュニケーション、そして大らかな気持ちなどをみんなで共有できるようになりたい。
(このテキストノートは、以下のBE-PAL.netに掲載した記事に加筆修正を施したものです)
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