兼高かおる、PASSAGE一日店長、「007 私を愛したスパイ」、アストンマーティン ヴァンキッシュ
10日に“一日店長”を務めた神保町PASSAGEに来店してくれた人たちの中には新たにSNSでつながった方々もいました。
そのうちの一人が僕の昨年のSNS投稿を見てくれて、メッセージをくれました。うれしいことに、13年前に上梓した「ユーラシア横断1万5000キロ 練馬ナンバーで目指した西の果て」の池袋西武百貨店でのトークショーにも来てくれていたご夫妻なのです。
「カネコさんが滞在されたCala di Volpiは、“私を愛したスパイ”が撮影されたサルディニアのホテルではないですか!」
そうだったのか!?
Cala di Volpiには、昨年10月にアストンマーティン・ヴァンキッシュのメディア試乗会に参加するために宿泊しました。スメラルダ海岸沿いに建てられたリゾートホテルです。3泊しましたが、007映画の舞台となっていたことはまったく知りませんでした。
映画「私を愛したスパイ」は1977年に公開された007シリーズです。僕は公開時に観ていて、それも「ぴあ」誌のプレゼントに葉書で応募して当選した試写会に中学校のクラスメイトと行ったという大昔の思い出付きです。ボンドカーはロータス・エスプリでした。
007映画は名画座やテレビで観ていました。アクション映画として楽しむ一方で、行ったことのない外国の光景に胸をときめかせていたのだと思います。007映画って、ストーリーの舞台やロケ地が毎回変わりますもんね。
今のように情報化やグローバル化が進むと、どんな外国の光景も簡単に眺めることができます。リアルタイムでだって可能です。しかし、昔は貴重でした。渇望していました。TBSテレビで日曜日午前10時から毎週放映されていた「兼高かおる 世界の旅」という番組が長年人気を保っていたのも、当時の日本人の外国への興味と関心に応えていたからでしょう。
昔の007映画のプロデューサーも同じことを考えていたのではないでしょうか?
観光客を世界中から受け入れやすくなっているところから順番に作品の舞台に設定しているように思えてならないのです。欧米の都市や有名観光地も出てきますが、それ以外の地域の街や観光地などが順番に従うようにフックアップされています。
1967年の「007は二度死ぬ」で日本が舞台に設定されているのも、東京オリンピックを開催し、高度経済成長中の東京が新しい国際都市になったからではないでしょうか?
敗戦国のイメージからも脱しつつあったのでしょう。姫路城で歴史を、霧島で大自然も描き出すこともできます。当時の日本は、世界から見れば訪れる魅力たっぷりの新たな目的地だったのです。
だから、007映画というのは観光映画であり、世界情勢反映映画でもあるというのが昔からの僕の見立てです。
さっそく、Amazonプライムで「私を愛したスパイ」を観直してみました。間違いなく、あのホテルでした。ホテルの建物や敷地などがそれほど長く映っていないのに、なぜ彼はすぐに気付いたのでしょうか?
メッセージで質問すると、中高生の頃に古い007映画に夢中になったことがあり、今でもときどき楽しんでいるとのこと。「私を愛したスパイ」を昨年に観直した際に、ロケ地を検索されたそうです。
「憶えにくいホテル名だったので、逆に印象に残ったのかもしれません」
彼の探求心と反射神経に感心しました。と同時に、48年前に試写会で観たボンド映画の舞台に自分が昨年泊まっていたことをPASSAGE一日店長の来場者から指摘されて初めて知った僥倖に驚き、感謝しました。体験と自覚を後から一致させることができたのです。
サルディニアでSNSに投稿しなかったら始まらなかったし、PASSAGEまで足を運んでもらえたからこそ教えてもらうことができたのです。Amazonプライムで自宅のテレビからすぐに確かめられたのも現代ならでは。アナログとデジタルが渾然一体となって実感できた得難い経験でした。