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文・構成 福田和也「世界との対決 F1の頂点で見たもの 桜井淑敏」

 文芸評論家で慶應義塾大学文学部名誉教授の福田和也氏が9月20日、急性呼吸不全のために千葉県の病院で亡くなりました。63歳でした。

 福田氏と面識はありませんでしたが、雑誌の連載記事を読んだり、コメンテーターとして出演していたテレビ番組などを楽しんでいました。30年ぐらい前に、六本木のラゴーラというイタリアンレストランに良く来ていたのも憶えています。店もなくなってしまい、料理人の澤口知之氏も鬼籍に入られてしまっています。

 福田氏の本の中で愛読したのは文学や歴史関係のものではなく、1995年に刊行された「世界との対決 F1の頂点で見たもの 桜井淑敏」(PHP研究所)です。福田氏は「文・構成」とクレジットされていますが、実質的には対談集です。

 桜井淑敏氏は、第2期ホンダF1プロジェクトで“総監督”を務めていた本田技術研究所のエンジニアでした。ホンダエンジンを供給していたウイリアムズチームが1986年と87年にコンストラクターズタイトルを獲得、87年はそのウイリアムズに乗るネルソン・ピケがドライバーズタイトルも獲得。ホンダエンジンを搭載したマシンとドライバーが初めて世界タイトルを獲得した大きな功績で知られています。

 1988年からはホンダはエンジンをマクラーレンだけに供給し、16戦15勝。ドライバーのアイルトン・セナはドライバーズタイトルを、マクラーレンはコンストラクターズタイトルを獲得するなどホンダエンジンは破竹の勢いを見せますが、その布石を敷いたはずの桜井氏はすでにF1プロジェクトから外れ、1988年半ばにホンダも退社してしまいます。桜井氏も2023年に逝去されてしまいました。

 福田氏は、桜井氏が果たしたホンダF1プロジェクトでの功績をベースに「世界と向き合って戦い、そして勝利を収めたこと」「これからの日本人にとって重要なこととは何か」をさまざまな角度から桜井氏と語り合い、答えを引き出しています。

 モータースポーツを多層的に捉えた啓蒙やアジテーションに溢れていて、一種の文明論、日本人論としても読めます。

 また、福田氏は2000年代初頭の海外のF1レースのサーキットで見掛けたことがあります。たしか、バーレーンとバルセロナだったと記憶しています。

 この本を上梓しても、福田氏の中でF1レースとその世界に対して問題意識を抱き続けていたようです。その成果がいずれ1冊にまとめられることを期待していましたが、残念ながらそれももう叶わなくなってしまいました。謹んでお悔やみ申し上げます。

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