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10年10万kmストーリー 第63回 ホンダ・シビックSi(1985年) 36年10万5000km
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碁盤の目に区画されているので、住所で自宅を訪れるのは簡単だった。はるか手前から見当が付くし、仮に間違えてもすぐに修正できる。
事前にメールで教えられていた一軒家に辿り着くと、表通りに面してシャッターが下りていた。その中に、36年10万5000km走ったワンダーシビックが収まっているはずだ。
電話で来意を告げると、通用口からオーナーさんが現れて、シャッターを開けてくれた。車庫いっぱいに駐められた赤いワンダーシビックが顔を覗かせた。
ホンダ・シビックの3代目、通称ワンダーシビックを走っている姿を路上であまり見掛けなくなってから、もうずいぶんと経つ。ベストセラーだったから世界中を走っていたし、4代目の「グランドシビック」に代わってからもたくさん残っていた。
僕は初代のCVCC版に乗っていたので、ワンダーが登場した時の鮮烈な印象は今でも良く憶えている。
2代目が初代のプロポーションを継承し、各部をブラッシュアップさせたものに留まっていたのに対して、ワンダーは何も引き継がず、まったく新しい造形を打ち出して来た。その“新しさ”というのも、独りよがりなトンチンカンなものでなくて、当時のヨーロッパ製コンパクトカーにも引けを取っていない斬新なセンスによるものだった。
特に、シビックのような2ボックスタイプの場合にキャラクターを特徴付けることになるテールゲイトを、真横から見ると垂直にスパッと断ち落としたかのように見えるところが新しかった。
その頃の自動車デザインは、垂直なテールゲイトによって業務用のライトバンのように見られてしまうことを忌避していた。日本に於いてはなおさらで、ワンダーがデビューした1983年当時では、まだライトバンの存在も呼び名も一般的で、「ステーションワゴンは乗用」という共通認識は、まだ薄かったのだ。だから、各社のデザイナーたちは、増えつつあったテールゲイト付きの2ボックスタイプがいかにライトバンと呼ばれないように造形するかに腐心していた。
しかし、ホンダは違っていた。あえて、ライトバンに間違われるかもしれないというリスクを取ることを厭わず、チャレンジした。チャレンジは蛮勇ではなかったことはテールゲートを見れば明らかだった。
テールゲイトの縁を薄くして、その内側を全面を一枚ガラスで覆い、下側3分の1をガラス内側からブラックアウトするするという凝った手法が駆使されていた。
ワンダーのデザイナーは、今までどんなクルマも行ったことのない、画期的な造形をテールゲートに施したのだ。シビックに新時代のコンパクトカーのイメージを付け加えることに成功し、それは販売にも大きく貢献した。ワンダーのことを「ライトバンみたいだ」と蔑むような人はいなかった。
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