マクラーレン 650S スーパーカー西遊記 その2
マクラーレン650Sでシルクロードを走る 天水〜蘭州
マクラーレン650Sでシルクロードを西安から敦煌まで走ってきた。
帰国してそう報告すると驚かれることが多かった。
「ええっ!? シルクロードって、ラクダの隊列が進んでいくような砂漠じゃないんですか?」
ずいぶん昔のNHKの番組の影響なのか、シルクロードと聞くと条件反射的に共通イメージを抱かれてしまう。
たしかに、シルクロードも内陸部にまで進めばタクラマカン砂漠を通過することになる。
でも、起点となる西安や2泊目の天水、3泊目の蘭州などはどこも大都会だ。それらをつなぐ現代のシルクロードは立派な高速道路だ。
実際の現代中国の日常がどのようなものか、なかなか知られていない。僕も知らなかった。
高速道路は3車線も4車線もある。合流するようなところでは5車線もあった。間違いなく、日本のそれよりも立派だ。
舗装も第一級で、標識なども国際標準に基づいていてわかりやすい。最高速度は乗用車が120km/hでトラックなどが100km/h。みんなだいたいその一割増しぐらいのスピードで走っている。
超大型トラックが多く走っているのが日本と違うと前回も触れたが、蘭州までずっとそれが続いた。
新車を10台ずつ上下2段に3列に30台近く積んでいるものや、風力発電用のブレードを一本ずつ運んでいるもの。何に使われるかわからないけれども、何か超巨大な機械や施設、建物の一部となるような部品などが剥き出しのまま積まれて走っている大型で長いトラックをたくさん見た。
乗用車は当てはまらないけれども、どれも生産材に近いようなものばかりが運ばれているように見えた。社会の基礎となるようなインフラ整備があちこちで急速に進められている。
天水を出て麦積山の仏教石窟群をお参りして、次に訪れたのは法門寺という大きな寺だった。入り口や駐車場からしてテーマパークのように新しくて巨大だ。それには理由があった。
「もともと地域の小さな寺でしたが、1987年に行われた遺跡発掘調査がすべてを一変させました」
観光ガイドのジェニーが説明してくれた。ジェニーは、カザフスタンとの国境の町イーニンから来た国家資格を持つ若い観光ガイド。英語でガイドができるので、僕はずっと彼女の説明を聞くことになる。他にガイドは3名このツアーに随行していて、3つのグループに別れ、それぞれ中国語で説明していた。
若く、マジメなジェニーは丁寧に説明してくれる。それによれば、遺跡発掘調査では、大変なものが発掘されたという。
「2000年前に、インドのアショカ王が仏法を広めるために各地に仏舎利(釈迦の遺灰)を贈ったという伝説がありました。地震で倒れた法門寺の塔を修復する際に地盤を掘り返したところ、遺跡が発掘されました」
広い中国のことだから、寺のような古いものの周辺を掘り返せば遺跡のひとつやふたつ発掘されることは珍しくともなんともない。
「その遺跡の中から、見事な細工が施された八重の宝箱が発見され、その中からは釈迦の指の骨が現れたのです」
宝箱はアショカ王が各地に贈ったもののひとつであることが証明され、骨は釈迦のものだった。伝説は実話だったのである。いまひとつリアリティが沸いてこなかったが、2000年も前のことなのだから無理もない。本当か本当でないかは、それに臨む者の心の持ちよう次第なのだろう。
リアリティがあったのは、仏舎利が発掘されるまでの法門寺と発掘されてから新たに建設された「合十舎利塔」の対比の遠慮の無さだ。
手の平を合わせたかたちがモチーフとなっている高さ148メートルにもなる合十舎利塔や、高さ20メートルはあろうかという仏像が参道沿いに何十体も立てられている。古代の中国と現代の中国が対比も鮮やかに併存しているのが法門寺だった。
法門寺に付属の高級レストランで精進料理のランチをいただいた。肉を一切使わなくても味付けと調理方法が多彩で、とても美味しかった。
その席で隣り合ったハンさんと初めて話をすることができた。
ハンさんは上海の弁護士で、54歳。結婚はしていないが、若い女性と一緒に参加してきていた。同年代の他の参加者や他の中国人男性と違うのは、腹が出ておらず、スマートな体形を保っているところだ。着ているものも上質で上品なもの。清潔感があり、立ち居振る舞いもどことなく控え目だ。初日にお互いに自己紹介し合ったが、他の中国人と違って大袈裟なところがないのは好ましいのだが、その裏返しで取っ付き難い感じもあった。気軽に挨拶を交わす仲には3日間ではなれなかったのだ。
でも、食事を摂りながらいろいろと話し掛けてみると、少しずつ胸襟を開いてくれた。
まず、650Sについて訊いてみた。
「fast and good car」
まだ素っ気ない。
上海ではどんなクルマに乗っているのか?
「今は持っていない。事故を起こしてツブしてしまったんだ」
悪いことを訊いてしまった。次の質問もしにくくなってしまった。それを察してくれたのか、ハンさんは自ら話し始めてくれた。
「GT3。997型のポルシェ911GT3。中国で最初に登録されたGT3だったけれども、雪が舞い始めた上海のハイウェイでスピンしてクラッシュしてしまったんだ」
身体は大丈夫でしたか?
「大丈夫だったよ」
ハンさんは、なにごとも控え目に話す。こちらも推し量りながら質問しなければならない。機嫌が悪いわけではないのだろうが、どうしてもお互いの口数は少なくなってしまう。
他の参加者たちは変わらず賑やかだ。食べながら、スマートフォンやデジタルカメラで撮影した画像を見せ合ってワイワイやっている。
午後は、再び650Sに乗って蘭州を目指した。ダダッ広い法門寺の駐車場にはたくさんの観光バスが停まっていて、大勢の参拝者が降りてくる。仏舎利が発掘されてから一大観光地になったのだ。
麦積山の仏教石窟群は、昔からの観光地だ。ヨーロッパを旅行すると、彼らの歴史がキリスト教と表裏一体のものであることをイヤというほど思い知らされるが、中国でそれに相当するのが仏教だ。
このツアーで僕らはこの後もいくつかの寺や史跡、遺跡などを巡ることになるのだが、大きな背景となっているのが仏教だった。社会主義国家である現代の中国で、宗教それも仏教がどんな政治的な意味合いと位置付けを持っているのか厳密に知るよしもない。
しかし、眼の前の寺や史跡や遺跡には大勢の人々が参拝をしているではないか。これは何を意味しているのか。そんなことを考えながら、650Sに乗り込み、再び北西の内陸方向に向かった。
高速道路は相変わらず大型トラックだらけだ。サービスエリアに寄って給油しようにも、それらが長い長い列を成して順番を待っている。
サービスエリアの敷地自体はとても広いのだが、停まっているのはほとんどが大型トラックだ。乗用車は数えるほどしかいない。観光地の駐車場では大型トラックが観光バスに取って代わったようなもので、乗用車が少ない。
サービスエリアの施設は日本のそれと似たようなものだ。ガソリンスタンド、トイレ、売店、レストラン。大きなところには宿泊施設もあった。トラック運転手の仮眠用だろう。
レストランや売店などでもトラック運転手が目立つ。乗用車に乗ったオーナードライバーもいるのかもしれないけれども、高速道路の立派さやサービスエリアの敷地の広大さなどから較べると、とても少ない。何度も日本のサービスエリアを思い返してみたけれども、中国のサービスエリアには乗用車とそのオーナードライバーの存在感がとても薄い。
だいたい、大雑把に日本と較べてみても、中国には10倍の数の人口とクルマがあるはずなのだから、観光地の駐車場やサービスエリアにはもっと乗用車が停まっているのが然るべきなのではないだろうか。このことは旅行中、ずっと気になっていた。
折りに触れて、参加者や同じように同行取材している中国メディアの編集者やジャーナリストに訊ねてみたが、僕の観察はおおむね外れてはいなかった。
「高速道路の通行料金が高いから、自分のクルマで旅行する人はいないんだ」
でも、マクラーレンのような超高級車を買えるような人にとって通行料金なんて安いものだろう。650Sは中国では邦貨換算すると税込み8000万円もするのだ。
「金持ちは遠くへは飛行機で移動して、そこからリムジンを雇ったり、タクシーに乗ったりする」
では、せっかく高級車やスポーツカーを買ったとしても、運転を楽しまないのだったら宝の持ち腐れではないか?
「その通りだ。運転の楽しみや喜びを満喫している中国人なんてまだいないんだよ」
そう吐き捨てるように言い放ったのは、北京から来ている経済誌の編集者だった。
そう言われてみれば、参加者でフェラーリF12と458を持っているという上海から来た黒縁メガネの男性は、まだ3日目だというのに「一日に運転する距離が長過ぎる」と音を上げていたほどだ。
酷い工事渋滞の後に蘭州に到着したのは、もう夜に入ってからだった。高速道路を降りて、黄河に掛かる長い橋を渡って市内に入っていくと雨も降ってきた。眼の前には高層ビルが林立している。
2006年に同じ道を通って街に入ってきたけれど、こんなじゃなかった。街全体がホコリっぽく、路面の凸凹が目立っていた。中心の広場の脇の小さな土産物屋のオバさん店員が、店先にしゃがんでこちらを睨むようにしてカップラーメンをマズそうにすすっていたのを憶えている。