日本初スキーの地は、はたしてどちら?
10月に発表予定のクルマのメディア試乗会に参加してきました。会場は、静岡県裾野市のスノーパーク イエティ。シーズンオフのスキー場を借り切って幕で覆えば、発表前のクルマの機密も保てるというわけです。
ゲレンデ食堂の壁に掲げられていた昔のスキーには、「約100年前のスキー板とストック」と説明書きが添えられています。その横のモノクロ写真には、「日本初スキーの地」と大きく見出しが書かれ、説明文が続きます。
「たしか、日本初のスキーはヨーロッパのどこかの国の軍人であるレルヒ大佐が新潟で日本陸軍に教えたのではなかったっけ!?」
新潟の湯沢や浦佐に滑りに行った時などによく見聞きしていたので、“レルヒ大佐”という名前だけは憶えていたのです。
でも、そこには、まったく違うことが書かれており、写真もありました。どちらが正しくても僕は構いません。
スノーパーク イエティは富士山2合目(標高1450メートル)に当たり、人工降雪機を活用して毎シーズン早めに営業を始めるスキー場です。日本ランドスキー場と呼ばれていた頃から、それで名を馳せていました。
説明文によれば、日本初スキーの地は太郎坊というスノーパークイエティから少し離れたところにあるそうなのですが、当時はスキーができるくらい雪が降っていたのですね。
「昭和47年ごろの日本ランドスキー場」と書かれた写真ではゲレンデの脇の方は土が出ているのが見えます。その頃から温暖化が進行していたのでしょう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?