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スライドドアは,すでに1938年にロールス・ロイス ファンタムⅢで実用化されていた!

 ミニバンの専売特許だろうと思っていたスライドドアが、実は戦前のロールス・ロイスで実用化されていたことを知って驚いています。

 そのキッカケとなったのは、8月26日にnoteに投稿した「先週行われていたモントレー・カー・ウィーク2024の動画いろいろ」です。

 ALL CARS!!! 2024 PEBBLE BEACH CONCOURS D’ELEGANCEという動画を観ていたら、珍しいロールス・ロイスが映っていました。世界中から逸品中の逸品ばかりが集まるイベントですから、珍しいといえばみんな珍しいのですけれども、珍しさの意味が違います。

 その1938年のロールス・ロイス ファンタムⅢはスライドドアを備えているのです。それも、ミニバンのように後席だけがスライドドアになっているのではなく、このクルマは2ドアサルーンなのに、左右ともスライドドアなのです。

以下の動画の5分5秒からです

 リアシートもあるサルーンでありながら2ドアという時点で珍しいし、その上、その2枚のドアは手前に引き出されてからボディと並行に後ろにスライドして開くのです。後席に人を乗せる場合には、前席の背もたれを前に倒して乗ってもらいます。

 戦前のロールス・ロイスでは、一台ずつ異なったコーチビルダーで誂えたボディが架装されていました。このクルマはジェイムズ・ヤングというコーチビルダーによって設計製作されたものであることが運転席下のフレームに刻まれています。

 このクルマが撮影されている時間は約1分間だったので、残念ながらそれ以上詳しく観ることはできませんでした。しかし、何度か繰り返して観て、フロントバンパーの端に取り付けられている参加者とクルマの名称は確認することはできました。

 86年も前のロールス・ロイス、それも珍しい2ドアサルーンに既にスライドドアが用いられていたことに大いに感心させられた次第です。

 そもそも、注文主である最初のオーナーがスライドドアをジェイムズ・ヤングに誂えた動機は何だったのか?

 人の乗り降りや荷物の上げ下げなどのためならば、4ドアサルーンボディで行えば良かったのではないか?

 スライドドアのメカニズムはどのように作動するのか?

 他の動画も確かめてみましたが、わかりませんでした。

 そこで、涌井清春さんに教えを乞うてみたのです。すぐに写メと一緒にメッセージが返ってきました。

「1938年のファンタムⅢの2ドアは珍しくて、Directory and Register of The Rolls~Royce Phantom Ⅲ Motor Carという専門書にもこの写真しか出ていませんでした」

 送られてきた写真のキャプションには「Parallel opening doors」と書かれていますから、このクルマのことでしょう。

 あれだけ古いロールス・ロイスを研究して詳しい涌井さんなのに、初めて知ったそうなのです。

「戦前型のロールス・ロイスやベントレーなどの高級車を、最初のオーナーはどんな想いからそのボディを誂えたのか想像するのも、クラシックカーの大きな楽しみのひとつだ」と涌井さんは『クラシックカー屋一代記』の中でも述べています。

 メールのやり取りだけでは納得し切れなかったので、日を改めて弥生のブリストル研究所を訪れました。先客が二人いて、クラシックカーのオーナーであり、エキスパートです。

 涌井さんの資料や二人の知識、そしてインターネット検索によって、断片と断片が結び付き、僕らの知らなかったことが次々と明らかになっていきました。

「こういう“考古学探索”が楽しいんですよね」

 資料には限られたことしか書かれていなかったり、日本からは伺い知れないことなどもオーナーズクラブや研究者のホームページやオークションの過去のカタログなどに記されていました。

 それらを総合すると、ジェイムズ・ヤングはこのドアを持ったファンタムⅢを2台造っていたのでした。1台目は1938年のアールズコート・モーターショーに出品し、R.C.グラスビーというイギリスの顧客に同年10月28日に納車しています。

 もう一台は39年2月16日にアメリカのフランシス・デュポンに納車されています。今年のペブルビーチに出展され、僕が動画で見たのは、この第2号車になります。

 涌井さんによるジェイムズ・ヤングのビスポークボディの特徴の解説や、1968年に日本から発注されたジェイムズ・ヤング日本第1号の話なども聞けた至福の2時間でした。その第1号の発注主は戦前から戦後に掛けて名を成した人で、その一生は後に分厚いノンフィクション作品にまとめられ、僕も堪能させてもらったことがあります。

 いちばん肝心の、スライドドアを誂えた理由をR.C.グラスビーという人物に直接に訊ねることはもう不可能でしょう。しかし、いつの日にかは関係者なり資料などからその想いを知ってみたいものです。

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