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泳泳を始めた動機

あまり泳泳を始めた理由をテキストにしていなかったなと思いまして、この度、文章化してネットに浮遊させておこうと思います。
泳泳の戦略的な部分とか、思想などの上部の情報は結構書いていると思うのですが、「そもそもなぜ寛泳は泳泳をなぜ始めたとうと思ったのか?」とても深度の高い根源的な部分は書いていなかったので、その動機と感情をここに記していきたいと思います。

泳泳とは

泳泳を知らない人のために泳泳を説明します。
泳泳とは山岡寛泳が2019年に16歳の時に作った鯉のぼりのブランドです。寛泳がデザインし、ブランディングなどをして販売するブランドです。
「泳泳」の名前は、寛泳の泳からとられており、2回続けていうのは覚えやすく馴染みやすくするためです。
これからは寛泳だけじゃなく沢山の人が関わっていくブランドにしたいと思っています。

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さて、題名にもある通りそもそも泳泳を始めようと思った理由。
一言で言うと「社会に見てほしかった」です。

喋るのが得意じゃなかった幼少期
遡るは幼少期。幼少期から私はあまり喋るのが得意ではなく、昔から変な子供扱いを受けたりめんどくさいやつというレッテルを貼られて生きてきました。それは小学校中学校などに上がっても変わらず、ずっと疎外感を感じて生きてきました。同年代の友達同士でテンション高く楽しむこともあまり得意じゃなかったですし、ゲームもしなかった。人当たりもそれほど良くなかったです(今はだいぶ良くなった)。

私は喋ることやコミュニケーションでの表現が難しかったので、無意識のうちに絵や言葉ではない表現方法に向かったのだと思います。今でもそれは特性として変わらず、今ではこうして文章を書くというスキルも上がってきましたが、今でもスピーチや人間同士でのコミュニケーションより文章でのコミュニケーションの方が得意だったりします。

しかし、コミュニケーションが不得意で喋るのも苦手でしたけれども、絵が天才的に上手かったのでみんなに褒められました。
その経験が潜在的に活きて現在、寛泳がデザインとかものづくりの道に向かった根源的な理由になったのだと思います。

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小3ぐらいで書いた絵

自分を見て欲しい欲
上記に書いた通り、コミュニケーションは不得意だったけどものづくりでは、褒められる=承認される経験から、潜在的にものを作れば承認されるんだと思ったのだと思います。そこで自分の心の居場所を見つけたのだと思います。承認欲求というものでしょう。

自分のラベリングとしての泳泳
私は高校生ぐらいになると、人生で何か成し遂げたり自分にしかない何かを作り出す人をかっこいいと思うようになり、その人たちに強い憧れを持つようになります。
例を挙げると、大谷翔平=野球。高田賢三=服飾。スティーブ・ジョブズ=Apple。みたなものに憧れがあり、何もない自分にそのようなブランディングをしたら自分のことを社会は見てくれるんじゃないかとか思ったりしました。社会的な見え方を気にしていた点に加え、一つのことで何かを成し遂げたいみたいな欲求もありました。
このような動機にさせたのは異才発掘プロジェクトROCKETの影響が大きかったです。


などなど、泳泳を始めた動機を辿っていくとそのようなところへ行き着きます。



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