No.3 長いトンネル
岡山大学を退職し、研究室で働いてくれていた樫崎君と藤原さんにC-INKに社員としてジョインしてもらった早々のことでした。前年比2倍の売上で成長していた流れが鈍化したのです。当時、国の研究予算を獲得していたので、その仕事を割り振ることで給料を出せていました。しかし、それは長くは続かないのは明白でした。早急に資金を何とかしなければならなくなり、工業団地入居の際にお世話になった地場企業の常務さんと社長さんに出資のお願いをしました。導電性インクの市場推移予測を調べ、根拠はないけれどもその何割かを獲得する、そんな計画を作ることしかできず、相変わらず事業計画には苦労してプレゼンを行いました。その結果、前向きに考えていただき、6000万円の出資を得ることができました。
インクはかなり良いものができている自信が出てきていました。これを普及させるには、印刷機を何とかしなければと考えて、メカ設計に強い地場企業の協力のもと、小型のインクジェットプリンターの開発に着手しました。その当時、6000万円もあれば十分実現できるだろうと考えてプロジェクトを開始しましたが、5名の人件費を捻出しつつ経験ゼロからのプリンター開発は、今思えば無謀な取り組みでした。必要なパーツの購入にすぐに300万円など、思う以上に費用がかさみ、そのうち資金が底をつきそうな状況になっていきました。忸怩たる思いで開発を中止しなければなりませんでした。
どうやったら売上を伸ばせるのだろうか。ヒントになりそうなものは片っ端からやってみました。試しに青年会議所に入会してみたり、誘われた70万円ほどする経営塾に参加して結局たいした成果が得られなかったり、俺を顧問にしてみないかと言ってきた今思えば怪しい人間を顧問にしてみたり、何かを掴むためにとにかくあがきました。そのうち、大前研一さんの著書に何かを感じ、彼が学長をするビジネスブレークスルー大学に入学しました。そこで、ある本を紹介されました。それが、現C-INK取締役の赤羽が書いた「ゼロ秒思考」と「マンガでわかる!マッキンゼー式ロジカルシンキング」でした。赤羽は、韓国LGグループの成長をまさに社長室で支えた人間でした。
赤羽が、世界に羽ばたく日本のベンチャーを支援するというミッションを持っていることを知り、これは間違いなくC-INKだ!と、本の末尾に載っていたメールアドレスにメールを打つと、信じられないことにすぐに返信が返ってきました。数時間の間に何通ものやりとりをして、次の日に品川で会うことになりました。その日の面談で赤羽から質問攻めにあい、面談当日にすぐ一緒に仕事をする事が決まったのです。その後、赤羽からの紹介で、森廣(もりひろ)もジョインしてくれることになりました。彼は、富士通からシリコンバレーのベンチャーキャピタルに移り、何社もの支援をするだけでなく、自らも米国でのエグジットを実現した経歴を持っています。最強のC-INKの布陣は、この時期に作られたのです。
実は、この時期に重要な出会いがありました。心電図用の使い捨て電極を製造する国内大手企業のI(アイ)社長との出会いです。I社長とはたまたま一緒だった海外進出向けのイベントで知り合い、そこからちょくちょく顔を合わせる仲になり、一緒に海外に行ったりもしました。彼らの製造する使い捨て電極は、銀ペーストという導電回路を印刷する素材で作られていて、C-INKのナノインクで置き換えられると考えた私は、I社長の会社に訪問したのでした。その時に、銀ペーストの問題点を聞く機会があったのですが、この時にもっと注意深く彼らの悩みに耳を傾けていれば、C-INKの方向性はずっと早く定まっていたかもしれません。今は確信しているのですが、最も重要なことは、顧客の悩みを深く知ることなのです。この時は、結局は生産実績のないインクジェットを、確信を持って薦めることができず、この機会は数年後までお預けになるのでした。
この千載一遇のチャンスをふいにした我々は、その後数年間にわたり、どんなテーマで量産できるか、売上を上げることができるか、暗中模索の時代に突入していったのです。思うように増えない売上に、容赦なく減っていく銀行残高。ずっと霧がかかったような事業計画のまま、とはいえ自社の材料の良さにだけは自信があったので、エンジェル投資家やいくつかのベンチャーキャピタルから出資を受けて、何とか生き延びることができました。資金繰りの不安で思いつめる時期もありましたが、そのうち、数ヶ月以内に資金ショートする状況にも淡々と対処できるようになっていきました。
その間、売上規模は小さいものの、ようやく明るい兆しが出てきました。電子回路基板の製造に、C-INKのナノインクとインクジェット印刷が採用されたのです!顧客の新規事業だったプロジェクトは、数年の開発を経て、東証プライム企業の製品に採用されるなど、C-INKは着実に量産実績を積み重ねていきました。ナノインクとしては、ライバルの大手企業を差し置いて、最大の量産実績を持つと言われるようになったのです。顧客の事業計画も明るく、次年度からようやく黒字化が達成できそうだと喜んだのも、つかの間だったとは、この時は知るよしもありませんでした。
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