【後編】我がデザイナー人生を振り返る
この記事は3部作の後編になります。
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待ち受けていたのは社内受託と業績不振
メガベンチャーのインハウスデザイナーとして期待を胸に膨らませ入社した私は10人ほどのデザイナーと2名ほどフロントエンドエンジニアが集まるチームに配属されました。そのチームはゲームの公式サイトやプロモーションサイト、プラットフォーム内のバナーやLP、東京ゲームショーや自社イベント用の配布物、自社IPのグッズ等のマーチャンダイズのデザインを制作していました。
メンバーの経歴も様々で大手広告代理店や大手webインテグレーション、有名なweb制作会社や元フリーランス、元アニメーターなど色々な人がいました。そんな中に特に光る経歴もない自分がいるのは不思議な感じでした。
ちなみに入社した当初は自分のデスクの前に空席が200席くらいあったのですが、1ヶ月〜2ヶ月のうちに全部埋まってました。なかなか圧巻でした。ちょうど自分は大量採用の真っ只中の時に入社してたんですね。
入社直後はリリースが控えていたソシャゲーの公式サイトのデザインをしていました。コンテンツ内容とワイヤーは企画よりのチームメンバーがすでに作っており、私はビジュアルデザインを担当しました。ゲームプロダクトの部署とゲームの世界観と同じになるように適時すり合わせながらデザインしたのを覚えてます。
コーディングも完了し後はリリースを待つだけの状態になった時突然ゲームのリリースが中止になりました。そのゲームだけではなく他のゲームも多くはリリースがストップしました。どうやらソシャゲ事業を取り巻く環境が大きく変わって来たことが原因でした。
パズドラの台頭です。それまではガラケー時代から続くwebゲームが主流でしたがスマホの登場以降ネイティブアプリのゲームが徐々に浸透しつつパズドラが爆発的ブームを巻き起こしていました。私がいた会社もネイティブアプリのゲームには力を入れていました。しかし収益の柱はwebゲームのプラットフォームでこれまで破竹の快進撃で成長をし続けていましたが、すでにこの時にはピークを迎えており徐々に業績は落ち始めていました。
ある人は入社したら配属される予定の部署が無くなっていて仕方なく私がいたチームに流れ着くなど、業績が落ち始めている片鱗はすでに見えてはいました。
結局私が作った公式サイトはゲームのリリースがなくなったことによりお蔵入りになりました。その後は中止にならずに生き残った大作ネイティブアプリゲームの公式サイトを作りましたが、そのゲームはリリース後の結果が振るわずすぐにクローズすることになりました。
この会社というかソシャゲ業界ではリリース後のユーザー数の増加や売り上げが予算を下回ってるとすぐ3ヶ月〜半年以内でクローズするのが日常茶飯事でした。そういったやり方は働く上でのモチベーション低下に直結していました。何よりもそれまで課金してたユーザーの気持ちを考えたことがあるのか?と怒りが込み上げる時もありました。
入社して半年が経つ頃になると業績もかなり厳しくなり自販機の値段が上がったり、チームビルディングの費用が削られマッサージチェアの台数がなくなるなど福利厚生にも影響が出始めた矢先に希望退職も募るようになりました。私がいた部署は対象外だったので応募はできませんでしたが対象だったらそのタイミングで退職してたかもしれません。
組織変更も頻繁に行われてました。そのせいか指揮系統は乱れてプロジェクトが思うように進まなくなるなど弊害がいくつもありました。というか現場は完全に混乱してました。
この頃になると社内の嫌なことがどんどん目につき始めます。他部署が作ったものを私たちが作りましたと全社集会で発表し手柄を横取りする人や派閥的な考え方、仕事に対してやる気がなく会社に寄生してるだけの社員などだんだんと嫌な部分が見えてくるようになってきました。
そのうちチーム内でも亀裂が起き始めました。考え方とやり方の違いからお互いを信頼できなくなるようになり完全に2分されました。チームマネジメントは一切機能していませんでした。そもそもプロモーションを企画から考えるはずのチームのはずでしたが蓋を開けてみるとただの社内受託のチームに成り下がっていたことも問題でした。みんなプライドが高かったのです。「こんな仕事やってられるか」と。
私は基本的に波風立てたくない性格なのでじっと我慢してました。しかし、チームのメンバーでよく私と一緒に仕事をしていた人がだんだんと暴走をし始めます。自分のやり方や考え方など他のメンバーや私に押し付け始めました。なかなか成果を上げることができずチームの中でも年長者だったためで出世に焦りを感じていたのでしょう。まるで自分がマネージャーのごとく振る舞うようになり、思い通りにいかないと人のせいにし自分には非がないんだということをアピールする様になりました。
私は彼と仕事をすることがメインだったので毎日強いストレスを感じていました。そのうち耐えきれなくなりある日ベッドから起き上がれなくなって出社できなくなりました。完全に鬱病になってしまいました。(病院には行ってないけど鬱病だと思う...)
このままではマジでやばいと思いベッドで寝たままLINEでマネージャーに「あの人とはもう仕事をしたくない!」とメッセージを送ったのを覚えてます。
マネージャーの配慮もありそれ以降は彼と一緒に仕事することは2度とありませんでした。それから2週間ほどで体調は完全に回復しました。(環境変えるの大事ですね)
そんなチーム内の不仲や分裂が続いてしまうと辞める人が出て来たり、違う部署に移動するなど変化が起き始めます。私も別の部署に移動したメンバーに誘われたのをきっかけに移動するとにしました。
移動した先の部署は社内のプロダクト開発やSAP(Social Application Provider)を支援する部署で主にカードイラストの外注制作をディレクションするような部署でした。その中で私はSAPの作ったゲームの公式サイトの企画を考えて提案し制作まで行う様なことをやっていました。そのほかには教育用アプリのプロトタイプ作成や新規事業のコンセプトとブランディングとモック作成など、ちょうどこの頃からUXやUIも意識する様になっていったと思います。
しかしここでも人間関係の悪さが目立っていました。もうなんというか人間のどす黒い部分で見てはいけないものを見てしまった気がしますw プロジェクトもうまく回っていないしただ時間が無駄に過ぎているような日々でした。
ビジネスを意識したデザインをしたい
この頃仲の良いデザイナーとよく話してたことがあります。
「このままだと俺らみたいなデザイナーって将来ないよね」
と単にデザインするのではなくビジネスの上流からがっつり入っていけるようにならないと価値ないんじゃないかと。自分たちのプロダクトがあるわけでもなく数値に強いわけでもないし、デザインだけにこだわってる場合じゃないということをスタバでよく話していました。
業績は悪くてもキャッシュリッチで大手であることには変わらないし、このままいてもそう簡単には潰れないから生活自体は全く問題なかったと思います。ですが、結局成長できる環境ではないため転職することにしました。元々は5年くらいいるつもりだったのでちょっと残念な気もしましたが気持ちを切り替えることにしました。
転職をすることにしたのはいいけど、次はじゃーどんな企業に転職すべきか考えなければなりません。この時はビジネスにもっと深く関わるためには直接プロダクトのデザインをすれば良いのではないかという結論に至りました。プロダクトのUIデザインからプロモーションまで幅広くできると理想的だなーと考えました。さらに次はもっと地に足のついたビジネスで人の役に立つようなプロダクトだといいなーとぼんやり思っていました。
ちょうどこの頃ある会社のことを思い出していました。以前あるビジネス系のテレビ番組に求人サイトを運営してる若い社長さんが出演していて大学時代に起業してすでに東証一部上場を達成し、しかも最年少記録保持者だと紹介されていました。その後社長の評伝も読んで若いのにすごいなーと関心したのでたまに会社の業績をチェックしてました。
その会社に興味あるということを同僚のデザイナーに話したところ実はその同僚の元同僚がその会社に勤めていたらしく良い会社だよと話していたのを教えてくれたのでより興味を持つようになりました。
この時の転職活動では前回と同じようにエージェントを利用していましたが、この当時話題になりつつあったWantedlyも使うことにしました。アプリをダウンロードした翌日なんとその会社からスカウトメールが届きました。これは何かの縁かなーと思い早速カジュアル面談を受けることにしました。
カジュアル面談にはその会社の1人目のデザイナーであるM氏が現れました。彼はまるで徹夜明けのように目が充血していて一瞬大丈夫かなと心配しましたが今後デザイナーとしてどうしていきたいか話をするとすごく共感してくれて話は弾みました。そして選考に進むことを決めます。
面談を終えた数日後に早速選考が始まり、一次面接ではまたM氏が現れました。それともう1人参加する予定の面接官がいましたがなかなか現れないので別の人をM氏が連れて来ました。急に連れてこられたのでオドオドしてたその人は半年ほど前に入社したばかりのデザイナーF氏でM氏が聞きたいことがあったら彼に何でも聞いてくださいというので面接開始早々ですがこちらから色々質問することになりました。ほどなくして本来参加する予定のT氏が現れてF氏と交代しました。このT氏は全身真っ黒の出で立ちで目力がとても強く常に鋭い眼光を放っていたので、これはとんでもない人が出てきたなーと若干怯みました。T氏は変化球の質問が多く回答に若干困りましたがなんとか乗り切りました。
一次面接後にすぐ次の案内が届いて一週間後に最終面接となりました。最終面接ではまたもやM氏が現れそして、あのテレビに出てた社長も現れました。社長から会社のことや今後のビジネスの話を聞かされたあとにオファーを頂きました。他の企業も選考に進んでいましたがこの会社が第一志望だったのでその場で承諾しました。
社長はかなりエネルギッシュな人で経営理念など会社のことについて熱く語ってました。私のポートフォリオを見て「色がいいよね!色が!」と謎に連呼もしてましたw そしてそのあとはなぜかラーメンの話しをしたのを覚えてます...。
最終面接が終わった直後にその場にいたデザイナーのM氏ともう1人のデザイナーF氏(一次面接のF氏とは別人)と飲み行くことになりました。かなり酒好きでフランクな人達でした。この夜はとても楽しかったのを覚えています。
職種の越境という世界
入社後は賃貸ポータルサイトを運営するチームに配属されることになりました。配属当初はSEO対策のUIデザインをよくやっていた記憶があります。それ以外だとCVRやメインのランディングページの直帰率を改善するABテスト用のUIデザインやプロトタイプなどを頻繁に作ってました。
また、このチームでは週に1度企画会なるものを開催して職種に関係なくそれぞれが改善案の提案など行いその企画が承認されれば提案した人がそのままプロジェクトリーダーになり企画を進めていくようなシステムになっていました。私もいくつかデザイナーなりに改善案を考えて提案してABテストを実行したり、周りの助けもありながらですが費用対効果など計算したりしていました。
また、この会社に入ってからアジャイルやスクラムなどの開発体制の中でエンジニアとの協業、それまで画像主体のデザインをやることがほとんどだったので自分でコーディングすることはあまりかったのですが、汎用的なUIのコンポーネントやモジュールをデザインするためには自分でHTMLやCSSを書けるようになった方が効率的だろうと思ったので、黒いターミナル画面とgitなどに苦戦しつつコーディングにチャレンジしていました。そのうち気がつけば自分で企画考えてデザインして実装してリリース作業まで1人できるようになってました。
今思うとこの頃にプロダクトデザイナーとして基本スキルは大分鍛えられていたかと思いますが、その理由としてはこの会社に「越境文化」が根付いていたことが大きく影響していたと思います。職種に関係なく改善案を提案したりセールスに必要なデータは営業の人が自らSQL書いて抽出したり、エンニジニアやデザイナーがディレクター的な動き方をするのがごくごく自然だったので自分もそれを見よう見まねでできたんだと思います。
まーあとリソース不足ですかねw 当時の私の上司は営業職の方だったんですが日頃から「エンジニアになりたい」って連呼していたのである日、LPをコーディングするリソースがまったくなかったのでその上司にコーディングをやってくれないかとお願いしたところ快く引き受けてくれました。彼はヒーヒーいいながらもちゃんとコーディングを完了させました。そんな職種を越境できる環境の中で仕事できたのは非常に運が良かったと思います。
会社に入社して1年が過ぎた頃この賃貸サイトのコンセプトとビジョンが変更されることによってリニューアルの話が持ち上がりました。当時の事業部長からながおさんプロジェクトリーダーよろしく〜とアサインされたので私がプロジェクトを推進することになりました。プロダクトの主要メンバー数人とディスカッションしながらBI(ブランド・アイデンティティ)を言語化し、それを元にVI(ビジュアル・アイデンティティ)やロゴを作成しました。
プロジェクトの頭から主要メンバーに参加してもらうプロセスを踏んでいたので新しくデザインしたロゴを見せたときにメンバーはみな「いいね」と納得してもらえました。社長に対してのプレゼンも一回でOKをもらえました。
プロジェクトに約半年ほどの日数をかけサイトは無事リニューアルされました。紆余曲折もありましたがリニューアル後は広告の最適化や日々の改善のおかげで私がJoinしたときより事業規模は数倍に成長していました。Joinした当初は赤字が続いており会社の中では存在感は薄めで墓場みたいな目で見られることもありましたが、いつのまにか成長し大きく利益を出せるようになり、会社の中でも一目をおかれるプロダクトになっていました。
ちなみにこの記事を書いた数ヶ月前に事業売却のプレスリリースが発表されてとてもビックリました。自分も今ではこの会社を卒業しているけどこの子も卒業しちまったのかとw
このリニューアルが終わると新規事業として生まれた別の不動産プロダクトのデザインも私が担当することになり2つのプロダクトを兼務する日々が続きました。元々はデザイナーM氏が担当していたのですが彼が会社を卒業したためです。
この頃になるとデザイナー採用にも関わるようになり退職するまでこの仕事をすることになります。カジュアル面談から書類選考、一次面接を主に担当していました。初めて自分が採用者側に回ったときは本当に勉強になりました。事業会社で働くデザイナーとして必要なスキルやマインド、何よりポートフォリオの作り方など社内の他のデザイナーと議論しながら何がよくて何がダメなのかはっきりと言語化できるようになりました。
ただ実際デザイナーの採用はなかなか大変でしたw そもそも市場にデザイナーが少ないので自分たちが求めるようなデザイナーに出会えることは多くありませんでした。これはまーどこの企業も同じだと思いますがw
プロダクトの兼務も大変でした。掛け持ちしていたもう一つのプロダクトは中古マンションの情報サイトでしたがスピンオフで別のプロダクトを立ち上げることになります。スピンオフとはいえ0→1に近い状態だった上に不動産のイベントで発表することが決まっておりリリース日まで時間がありませんでした。急いで作りました。サービス名もなかなか決まらずロゴのデザインに着手したのはリリース日の2ヶ月半前くらいと非常にタイトなスケジュールでした。UIも急いで作りました。マストな機能以外はかなり削ったと思います。UIができたら次はイベント用の販促物のデザインなど急ピッチで作りました。おかげでなんとか間に合いリリースできイベントで発表されました。
リスクを気にせずスタートアップの道へ
この会社に入社して3年になる頃でしょうか。プロダクトのデザインをするようになり日々の改善からブランドリニューアル、プロダクトの立ち上げに採用業務など入社時の目的からすると十分すぎる経験ができたと感じており、自分の中ではもうやりきった感が出てしまってました。こうなるとモチベーションが下がってしまう一方でした。
さらにこの当時会社のデザイナーを取り巻く環境はお世辞にも良いとは言えませんでした。評価方法や待遇など不満を多く持つデザイナーはいましたがなかなか改善される様子はありませんでした。これは評価軸の曖昧さもそうですがデザイナーが事業部付きであり評価者が非デザイナーであることや、事業部をしっかり横断してデザイナーのことをマネジメントできる人材の不足が原因だと私は思っていました。
そんなこともあり、私より前にいたデザイナーや同期はみんな卒業しちゃってました。半年くらいの短い間にみんなごっそりいなくなりました。
私はというと次どうするか考えてはいましたが、なかなか興味のあるプロダクトや会社に出会えず悶々と1年近く過ごしていました。がある時Wantedlyを眺めていたらとある会社に目が止まりました。その会社は株投資用の情報を売買できるプラットフォームサイトを運営しているFintech系のスタートアップでした。自分が使って見たい!と思えるプロダクトでした。
なぜなら元々趣味で株取引をやっていてこの会社のプロダクトが自分がこういうサービスあったら使うんだけどなーと思っていたその通りのプロダクトだったからです。さっそく話を聞きたいボタンをポチっと押しました。早速お会いしたいと返事が来てその会社にカジュアル面談をしに向かいました。
会社に着いたらそこは小さな雑居ビル内の1フロアのみで会議室はなくホワイトボードをパーテーションがわりに使用した簡易的な会議室でした。社員は役員を除くと3人ほどしかいない本当に小さなスタートアップでした。面談では社長からビジネスやプロダクト、今後の展開について話を聞きました。10年後20年後の日本のためにこの事業やってますと。胸が高まりました。
話が終わり自分が気になるところを質問をし終えた後にこのサイトのどこを改善すればいいと思いますかと質問されたので色々ぶった切りました。動線や情報設計がしっかり設計されておらずレイアウトもワーディングもめちゃくちゃでスマホにおいては購入ボタンが見切れていたり基本的なことが全然できていないことを色々突っ込みました。
カジュアル面談が終わった後の帰宅途中にJoinしてくれとメッセージが届いていました。自分もJoinしたいと思ってました。ただ、小規模なスタートアップであるしまだ追加の資金調達が終わっていない状況だったのでリスクはあるなーとは思っていました。ただべつに資金ショートしても死ぬことはないし人生一度きりだからチャレンジしてみよう考えていました。その後に条件面の面談を終えて年明けの2019年1月1日に1人目のデザイナーとしてJoinすることが正式に決まりました。
圧倒的リソース不足と資金切れ
前職を退職し年明けからこのスタートアップにディレクター兼デザイナーとして入社し、まずはコンバージョンに近い部分から当たり前の品質にすることを心がけて改善案を企画しデザインしたり、トップページのリニューアルやユーザー行動を可視化するためにヒートマップや計測タグを設置したり、アンケートやインタビュー結果を踏まえた施策を考えたり、集客を伸ばすためのSEO対策の立案などいろんなことを泥臭くやっていました。
また、社内wikiの設置や週に1度定例会議を設けて開発側とCS側の情報共有をしやすくしたりなど社内環境の整備なども行なっていました。とにかくサービスを伸ばすためには何をやるべきかを考えながら日々動いていました。やりたいことは自分から動けば大抵何でもできる環境ではあったので楽しかったです。
Joinして3ヶ月頃経った時にはサイト内の改善や大手企業との連携もあり売り上げも順調に伸びていて非常に手応えを感じていました。
ただしリソース不足のためなかなか先に進まないことが多くありました。エンジニアのリソースが少なすぎでした。採用はかけていましたがエージェントを利用するほどの資金もなく採用に関しては常に受け身のような状態でありました。
会社には毎日と言っていいほどVCやその他投資家たちがオフィスに訪れます。ホワイトボードのパーテーションで区切られた小さな会議室で資金調達の話がしょっちゅう繰り広げられます。
そんなこの会社にやってきて約半年ほど経ったある日AllHandsで重大発表がありました。
心の中でズッコケました...。 あれだけVCや投資家が会社に来ていたのに調達できなかったのかーと...。周りを見渡せばどこどこのスターアップが何億円調達したとかメディアを賑わせていたので資金調達って案外サクッといけるものなのかなーと完全に甘く見ていました。
あっちゃーと思いましたがこれがスタートアップなんだと変に実感した自分がいました。そして仕方なく転職活動を始めることにしました。
人生初のストックオプションは紙くずとなりました...。
そして今現在は...
またスタートアップに1人目のデザイナーとして転職しました。しかし今度はなんとロボティクスです。社会インフラの設備点検や災害対策などにドローンを活用したソリューションを提供するDXど真ん中の会社です。元々興味のあったドローン領域のビジネスであるということと、社会貢献性の高さに惹かれたのが入社の決め手です。
それとデザイナー的観点でいうとwebだけにとどまらないUXをデザインできるところや最新技術を用いていたり、あまり他のデザイナーがやっていなさそうなデザインの領域という点も決め手の一つかもしれません。
そんな感じで1人目のデザイナーとして産業用アプリケーションのUI/UXやコーポレートに関するデザインなど幅広くやっています。
以上、デザイナー人生を振り返りつつの自己紹介でした。
長々とご静聴ありがとうございました〜。
追記:ドローンの会社は2021年3月に退職済み
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