今の私を作り上げたもの
初めましての方は初めまして。
そうでない方はいつもありがとうございます。
『梨食べたい』です。
今回はタイトル通り『今の私を作り上げたもの』について書いていこうと思います。
反面教師にでもしていただければ幸いです。
1満足するまでが短すぎる私
これまでの経験則から単純なことに関してはそれなりに強い。これが昔の私を表すのに最適なものでした。ここは小学生時代のエピソードを例にしてみます。
低学年の頃までは学校で歌の練習をする際に、ほとんどが恥ずかしいのか声が小さくなっていました。先生が大きい声で歌うように言っても効果はそこまでありませんでした。それに対して私は声を出して歌っていたので褒められた記憶があります。そこで声を大きく出せば褒められると単純ながら思ったものです。まあそこで満足してしまってそこからの発展が無かったのが後に響いてくるわけです。音痴でしたし・・・
段々学年が上がっていくと歌声が小さい子は減っていき、音程や抑揚などがうまい子が目立ってくるようになります。対して私は「声を大きく出してればそれで良い」とずっと思っていたので、それを続けていると指摘されるわけです。音合わせてよと言われるわけです。それでも出来なかった私はクラスのお荷物状態だったわけです。
2劣ってたと自覚した時の選択を誤った私
小学生時代にあったエピソードの他にも、一時の『優位』にふんぞり返って努力を怠ったことは何度もありました。その度に逃げる選択肢しか取らず、立ち向かったことなど数えられるほどしかありません。「これがダメでも他にも道がある」と思い実行し続けて段々と出来ない自分しか残らなくなったわけです。しかし他にも道はあると切り替えること自体は悪いことではありません。
問題なのは、これがダメでもと考えるまでにやれることをやり尽くしたかということです。少なくとも私は諦めが早かったと思います。自分ではどうしようもないことは必ずあります。それでも何もせずに終わるのは違います。これを繰り返すと挑戦したい気持ちが薄くなります。挑戦することがあっても、挑戦する自身にとっても簡単すぎることにしか挑まなくなっていくわけです。それは挑戦とすら言えないものだと思います。自身にとってのギリギリできるかどうかというライン上にある事象に挑まないといけません。
3今の私を作り上げたものを過去のものにするために
『傲慢』『努力不足』『逃げ』という要素が私自身を作り上げたものとなります。『逃げ』に関しては時折必要なことですが、私の場合はそれを選ぶ割合が高過ぎました。高校・大学入試でも似たような失敗をしました。それでも反省せずにようやく5年前に実感したところです。ちなみに3要素を抑えきれないと、周囲との関係性が悪化することにもなります。実感しただけで変わることが無かったのが、また酷いところです。
そこからさらに底を掘り続け、死の近くまで掘ったところでようやく動き始めたのが現在の私です。生きている範囲で私にとっての底を打ったと思ってるのでもう登るしかありません。それが出来ないなら死に直結します。
私のようになりそうな人や、そういう意味ではまともな人にはこれを反面教師にしてほしいと思います。既になってる人は、底をぶち抜く勇気がないなら一緒に登りましょう。