手段を目的化してしまうのは何故か
手段(目標)を目的化する人は、だいたいそれに気づいていない。
発信をがんばる
議論をがんばる
人脈をがんばる
本を読む
挙げたらキリがないが、SNSを見ていてよく感じる。
「最近こんなに本を読みましたー」
「(居酒屋の前で笑顔の集合写真で)今日はまじ熱い話ができましたー」
「今日は経営者たちとこれからの日本について話しましたー」
みたいな。
「レベルが上がれば元の目的は手段になる。」という話もあるが、
例)目的1:受験勉強を頑張って希望大学に合格する・・手段:塾に通う
目的2:希望大学で、社会に貢献できる研究をする・・手段:研究がんばる
この時に、目的2から見たら、目的1は手段である。
この目的と呼んでいるのは、目標に過ぎない。
目的とは、「目標+意(意識・意志・意味)と間(時間・空間・仲間)」である。
言い換えれば、目標から上がっていっても、そこに気づいたら意と間が出てくるのかもしれないが、どちらにしても、そこに意と間がなければ、何も感じない。
つまり、手段を目的化する人には、意と間が欠けている感じがする。
では何故、意と間が欠けるのかといえば、根本的に自分に自信がないからだろう。
自分に自信がないのに加え、自分を本気で信じてくれる人がいないのだろう。
目標を一つ一つ積み重ねて超えていくというのも目標だが、やはりそこに意と間がなければ、渇き続ける。満たされないからだ。
例)今月で1000フォロワー達成するぞ、みたいな
そしてそこを頑張り続ければ頑張り続けるほど、どんどん苦しくなる。
苦しくなるからこそ、目標達成が正しいと信じるしかなくなり、意識の可動域が狭くなる。
そして、手段を頑張ることが目的化し、手段を目的化している同士でわいわいやる。
そして、ふと虚しくなるから、その虚しさを忘れる為にさらに手段を頑張る。
結論、「何故なのか」という問いをもっと自分にむけ、周りからも向けてもらうことでしかその状態からは脱せない。
だからこそ、今頑張っていることを一度問い直し、その目標にどんな意と間があるのかを考えることが良い。