分からないということ
この世界には、自分には理解できない価値観や視点、生活をしている人が存在し、その多様な生き方によって、多様な仕事、サービスが存在している。
だとしたら、多くの人間が豊かに生きるためには多様な価値観、生活が認められる社会を作らなければいけない。
それを可能にする社会とは、
1.知らないものがたくさんあることを自覚
2.知らないものがなんなのかを知ろうとする姿勢
3.2を諦めずに問い続ける愛と勇気
学びには大きく2つのフェーズがある。
①18歳までの当たり前を作るフェーズ
②18歳までの当たり前を壊し、再構築し続けるフェーズ
①は、そもそも全く知らないこの社会の当たり前、身の回りにある当たり前を知るフェーズ。
②は、それらだけではなく、もっと多くの繋がりの中で目の前の当たり前が存在し、自分の当たり前は他の人の当たり前ではなく、この世界には多くの価値観、可能性、面白さがあることを知るフェーズ。
例えば、アマゾンの少数民族ピダハンのように、
未来や過去がなく、数字も色も左右もないという人たちが、非常に幸福度が高いという事実は、私たちの社会尺度からしたら障害者として扱われそうだが、そもそも生きるための概念、価値観を大きく揺さぶる。
逆に、私たちがどんだけ学歴、権力、地位、金があろうが、アマゾンの奥地に行けば、障害者だろう。
全く知らない人たちが私たちの身の回りのほとんどを作り出していること、私たちは感謝という言葉で終わらせるのではなく、もっともっと知ろうとして、もっともっと分からないということを感じていくことが大切であり、それが学びの目的だと思う。
そうすると、その世界には正解はなく、自分の正義や正解を押し付けることもなくなる。
その世界はきっと優しい世界である。
戦争は平和を作るための手段であり、平和は状態である。
つまり、本当に平和な世界を作り、維持するためには、問い続けることが大切であり、問い続けることを諦めた人が使う手段が戦争であるということを私たちは深く理解する必要がある。
分からないということが分かれば、私たちはもっともっと優しくなれる。
問い続けることを諦めなければ、平和が作れるし維持できる。
優しくない時は、きっと分からないという状態を諦めそうな時、諦めている時なのだと思う。
自分は何もできないし、何も分かっていない気がするけど、分かろうとすることを死ぬまで諦めないということはできると思っている。
そして、そのような人がこの社会に増えていくきっかけを作っていきたいと本気で思えている。
ということは、あとはどうやるか。
焦らず、諦めず。