13年間曲が作れなかった独学DTMerが曲を完成させるまでの歩みを語ってみた(Vol.3)
前回は仕事が忙しくなり、バンドが自然消滅するまでをお話してきました。
今回はその後僕が作曲に興味を持ち、オリジナル曲づくりを始めるまでをお話していきます。
作曲に興味をもったきっかけ
前回まで話したように、僕は学生時代からギターを演奏していましたが、作曲については特別な才能のある人の特技で、自分には関係がない、と思っていました。
そして音楽活動についても、自宅で人知れず練習していただけだったため、客観的に自分を見ることがなく、能力を伸ばすことができずにいました。
そんな僕が作曲をしようと思ったのは、小学校時代からの同級生の存在がきっかけです。
彼は、ギターとピアノを操り、そしてパソコンの作曲ソフト(DAWソフト)を使いこなし、オリジナル曲を量産しており、地元のライブハウスで、注目されている存在でした。
同世代のアーティストにも曲を提供し、ミュージシャンの交友関係も広く、ライブハウスでも、それ以外の場でも社交性が高く、音楽家として、友人として、自分にはない才能を発揮していました。
しかも演奏するオリジナル曲が、当時ヒットしているメジャー作品と遜色のないクオリティの曲ばかり。
当時彼は僕と同い年で、26、7才。
今振り返っても、すごい才能だと思います。
当時、ライブハウスでの演奏をした経験がない僕には、自分の作り出した音楽を武器にステージ上で飛び跳ねる彼は、あまりにも眩しい存在でした。
正直、自分には手の届かない存在に思えましたが、そんな彼は僕は昔からの友人ということで変わりなく接してくれました。
そんな彼や彼の友人などステージ上にいるミュージシャンのライブを幾度となく見に行くうち、そして、彼らと接しているうちに、「自分もオリジナル曲を作ってみたい」という思いが芽生えるようになったんですね。
しかし、当時オリジナル曲の作り方について、経験も知識もなかった僕には、パソコンを使っての作曲など、あまりに高すぎる壁でした。
そこで、僕が取り組んだ方法は、ボイスレコーダーを買ってきて、ギターでコードを奏でながら、ひたすら鼻歌を録音する、という方法です。
鼻歌作曲の限界
家に帰ったらすぐに、ギターを抱え、ボイスレコーダーをセットするのが習慣でした。思いついたらすぐに録音する環境を整えました。
こうやって、作曲を始めた僕でしたが、すぐに壁にぶつかります。
それは、浮かんできたメロディが曲にならない、という壁です。
詳しく解説しますと、まず、市販されている曲のような、耳に残るメロディができないという壁がありました。
次に、メロディは浮かんでも、コードを付けたり、曲に仕上げる方法がわからない、という壁がありました。
それでも、数をこなせばできるようになるはず、と信じて、そんな日々を数ヶ月から1年ほど続けたんですね。
しかし、その結果、残ったのはボイスメモの中には数百のメロディの断片だけで、曲として出来上がったものは一つもないという有り様でした。
結局そうやって、作曲に挫折した僕は、作曲への情熱を失っていきます。
なぜ一曲も作れなかったのか、いまおもえば理由は明確で、それは、「市販曲レベルのクオリティでないと意味がない。」という思い込みが強かったからです。
今だからわかりますが、天から降ってきた鼻歌メロディを市販レベルの曲にするには、プロ級の経験と知識が必要です。
まず、いい感じの鼻歌メロディを作るのが難しい。
次に、メロディに伴奏をつけていい感じにするには、膨大な経験が必要。
そして、そこに歌詞をつけて、人の心に引っかかるようなものにするのは別の技術で、これまた難しい。
さらに、それを演奏して、人を感動させるに至っては、狙ってできるようなものでは有りません。
初心者の自分が、そんな技術があるはずもないのに、そういう曲を作ろうとした。だから一曲も作れなかったのだと思います。
ということで、ここまで、作曲を始めたきっかけと、最初の挫折について述べてきました。
僕はこうやって曲が作れず、自分には才能がない、と思うようになります、その結果、次第に作曲への情熱を失っていきます。
実は、市販レベルの曲でないと意味がない、という思い込みは、自分の自己肯定感に根ざしたものなので、かなり根が深いですのですが、そのあたりは別の機会に。
さて、その後、僕は、DTMと出会って、もう一度作曲に挑戦するようになるのですが、長くなってきたので、次回以降お話していきます。
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