13年間曲が作れなかった独学DTMerが曲を完成させるまでの歩みを語ってみた(挫折編)
前回はプラグイン沼にハマるまでをお話してきました。
その後、僕は今の活動のきっかけとなるような挫折をするのですが、今回はそのことについて話したいと思います。
金欠という病
前回話したように、プラグイン沼にハマったわけですが、その結果、僕は、ある重篤な病にかかります。
それは、一言で言うなら金欠、という病。
よく御存知の通り、外部プラグインは高価です。
しかも一度欲しくなると、種類も数も非常に多いため、本当に沼に浸かります。
高価な音源やエフェクターを買うには、当然ながら資金が必要で、自分の財布事情では、思うように購入することはできませんでした。
そんな中でも、セール情報を集めて、安くなった時を見計らって購入するようにしていましたが、それでも、物足りない。
次第に、収入以上に、高価な音楽機材が欲しくなり、時間があればいつも機材のセール情報を眺めるようになっていきました。
そんな日々を過ごすうち、「もっとお金を音楽機材に使えるようになりたい」と思うようになった僕は、本業以外の収入がほしいと思うようになります。
副業に手を出す
そしてその結果、たどり着いたのが、副業で稼ぐという方法。
僕は音楽活動のための費用を捻出したいと、副業に挑戦することになります。
詳しく話すと長くなりすぎるので割愛しますが、1年たっても、2年たっても、僕は、その副業で結果を出すことができないでいました。
結果を出そうと焦るほど、空回りが続き、焦燥感ばかりが募っていきます。
今思えば、その仕事は自分の気質に合わないものでした。だからやればやるほどきつくなり、「お金のためだから我慢しなきゃ」と、自分に嘘をつくようになっていきました。
そして、いつの間にか、当初の目的であった音楽を作ることや音楽を楽しむこと自体もなくなっていきました。
今思えば完全に本末転倒でしたが、当時そのことに気づけませんでした。
挫折
その後、当時の上司の機嫌を損ねる出来事が起き、僕は、完全にパワハラ・モラハラまがいの猛烈な個人攻撃を受けることになります。
夜中に急に呼び出され、人前で執拗に欠点を指摘され、どれだけ誠意を尽くして謝罪しても、徹底的に否定され、受け入れられない。
そんな日々が1ヶ月ほど続きました。その結果、夜も眠れなくなっていき、食事も喉を通らなくなり、体重が激減しました。
当時、友人関係も限られていたため、誰にも相談することができず、ストレスで、仕事が手につかなくなりました。
このままでは、すべてが嫌になって、投げ出してしまうかもしれない、自分の力ではどうしようもない、と心から感じた僕は、心から信頼できる友人の紹介で、カウンセリングを受けることになります。
そのカウンセラーからは、その上司と距離を取ることを勧めてもらいます。
その対話を繰り返す中で、”自分の心に蓋をして我慢を重ねてきたこと”、”周囲に合わせることを大事にしすぎて自分の心をないがしろにしてきたこと”に気付かされるようになっていきました。
そうやって自分と向き合ううちに、”男ならこうあるべき”、とか、”社会人ならこうあるべき”、とか、そういうものを一旦取っ払って、”自分がどう感じているのか”に耳を傾けるようになりました。
そして、その中でも最も重要視したのが”好きを大切にする”ということでした。
人生観の変化
その後、次のことを大事にするようにしました。
<大切にしたこと>
・図書館で読書(心理学、哲学、ビジネス書)を片っ端から読み漁る
・自分の本心と向き合うため、毎日朝の日記を習慣化する
・休日は気が向くまま日帰り温泉にでかけ、身も心もリラックスする
・好きな音楽を聞く
・気の合わない人とは交流をしない
・義務で人と付き合うのをやめる
・自分の直感を大切にする
上記を大切にしていくうちに、自分の「好き」をないがしろにしてきたことを気付かされるようになります。
もともと完璧主義で、人と比べて自分を卑下しがちだった僕は、自分の内向的な気質がコンプレックスで、認めることができませんでした。
しかし、そうやって自分の好きを大切にするうちに、徐々に、「自分は何も劣っていない、このままでいい」と自分のことを少しずつ、認めることができようになっていきます。
その結果、副業のために脇においてきた、音楽を作る、ということについて、目を向けるようになったのでした。
続きます。
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