13年間曲が作れなかった独学DTMerが曲を完成させるまでの歩みを語ってみた(Vol.4)
前回は曲を作れず、最初の挫折を味わったところまでお話しました。
今回は、そんな僕がDTMに出会い、再び作曲に取り組むまでについてお話していきます。
DTMとの出会い
前回話したように、ボイスレコーダーと鼻歌では曲を作れなかった僕は、またもや音楽への情熱を失っていき、数年が経過します。
30代に入った頃です。
僕がまた、曲作りを再開しようと思う出来事がありました。
それは、前回から話している友人の家に行った時のこと。
友人の音楽制作環境を見せてもらえる事になりました。
それが僕にとってDTM(Desk To Music)との出会いです。
彼は、実際に、曲を再生して見せてくれました。
ベースの音やドラムなどの楽器や、それ以外の演奏もすべてパソコン上でデータを打ち込んで作っていると聞いて衝撃を受けました。
それは何故かというと、当時は今ほどDTMがメジャーになる前の時代だったからです。
当時は、2000年代の中頃。
最近DTMに触れた人はご存じないかもしれませんが、パソコンを使っての曲作り、という概念がまだ根付いていなかったころです。
個人での音楽制作といえば、多重録音ができるMTR(Mult Track Recorder)が主流でした。
MTRは基本バンドでの録音などによく使われました。
当時の音楽雑誌の広告にもよく登場していましたね。
各楽器ごとに曲を演奏した音声を重ねるものなので、”多重録音”とも言います。最近はあまり聞きませんが、自宅で録音することから”宅録”とも言われてました。
僕自身、それまで”宅録”といえば、自分で楽器を演奏し、リアルタイムで録音するもの、と思っていたんです。
だから、ギター以外は演奏できない僕はドラムやベースの録音は考えもしませんでした。
しかし、彼はDAWを活用することで、一人で、録音や打ち込みをこなし、曲を量産していたから驚いたんですね。
そんな風景を見せてもらううち、くすぶっていたオリジナル曲へのあこがれが再燃するようになります。
「音楽もパソコンも好きだし、これなら自分にもできるかもしれない」と思うようになりました。そこで、DAWソフトを導入することになります。
初めてのDTM環境の構築
まず、DTMを始めるにあたって、必要なものを揃えていきました。
パソコンは、当時所有していたWindows機のデスクトップマシンを使いました。
オーディオインタフェースは当時のEDIROL社の入門用の機材を購入し、DAWソフトはそのオーディオインターフェースに付属のDAWソフトを使いました。
また、MIDIキーボードは、友人から貸してもらい、ヘッドフォンやスピーカーは、以前から所有していた一般的なものを利用しました。
かかった費用はインターフェース代の実質2万円ほどだったと思います。
DTMを用いた作曲への挑戦
そうやって、DTM環境を構築した僕は、次に作曲の方法について、勉強を始めます。
まず、友人からソフトの使い方と、基本的な音楽理論について教えてもらいました。また、鍵盤のコードの押さえ方を学びました。
また、教則本を貸してもらい、打ち込みの方法を覚えていきました。そうやっていくうち、徐々に曲の打ち込みができるようになっていきました。
またVSTというプラグインの存在は大きかったと思います。楽器がなくてもリアルな音が出せるのは衝撃でした。
こうやってDTMを始めたわけですが、実はさらにその後数年間、曲を完成させることができないままでいることになります。
その結果、僕は作曲ができないという自己イメージを持つようになっていっきました。
そんな時期が続き、やっと曲ができるようになったのはそこから、更に7・8年経ってからになります。
次回は、そんなどん底の時期を超え始めた時期についてお話していきます。
追伸
長編になってきましたが、こんな事例もあるんだぜ、ということで、気軽にお読みください。
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