見出し画像

分からないことだらけだから、知りたくなる!

この記事は、「極東の半島に居住する、ある外国人のつぶやき」というマガジンに入れようかどうか迷いましたが、やっぱり入れます。

それはこの国にいると、いろいろと分からないことが膨らんで、知りたくなっちゃうからなんですよね。

現在「国」として規定されている領土の範囲は、17世紀イギリス市民革命や18世紀フランス革命から始まり、ヨーロッパにおいても1848年革命(諸国民の春)からつぎつぎと「国民国家」ができた。ということは、ほんの170年しか経ってないんですよね。もちろん日本も江戸時代は「藩」が「お国」で、1868年明治維新後から「日本」という国民国家(近代国家)になったし。

このアジアからしてみれば、この170年の間に何があったかというと・・・

結局、西洋列強たちの植民地政策に巻き込まれていくわけですが、特に世界の海を支配する「イギリス」と、凍らない港を欲しがっていた「ロシア」のグレートゲームの舞台が、ヨーロッパの火薬庫といわれるバルカン半島から極東まで飛び火してきた・・・という感じでしょうか。

特にアジアにとってショックだったのが、当時眠れる獅子といわれた「清=中国」が、イケイケどんどんの「イギリス」にアヘン戦争(1840年)で負けたことだったですよね。それから日本にも、「次、来るぞ~!」ということで、対応に追われながらも頑張りすぎて(笑 途中省略)、バタバタと第2次世界大戦までいっちゃった・・・わけですよね。


その後、気になる期間として、この辺が重なるんですよ。


①日本 (1945年~1953年) 日本が国ではなかった期間(GHQ占領下)

②中国 (1945年~1949年) 国共内戦(第2次)=国民党と共産党の戦い(☜以前の記事を参考)

③韓国 (1950年~1953年) 朝鮮戦争=1948年大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国樹立(それぞれアメリカと、ロシア(ソビエト)の支援の下)


この中で何個か疑問があるのですが、今回ひとつの疑問が解消されたんですね!!

その疑問は・・・・

中国の国共内戦で、あの共産党がなぜ国民党を完全になくすことができなかったのか?

後に、あの文化大革命を起こした毛沢東が、なぜ蒋介石率いる国民党を台湾の範囲である「金門島」で負けたのか?



1949年に根本博中将(元支那派遣軍参謀長)は占領下の日本から台湾に密航し、中華民国の軍事顧問として古寧頭の戦いの作戦指導を行い、中共軍を殲滅している。蒋介石の依頼を受けた元支那派遣軍総司令官の岡村寧次は、密かに富田直亮元陸軍少将(中国名・白鴻亮)率いる旧日本軍将校団(白団)を軍事顧問として台湾に密航させ、蒋介石を支援した。地縁や血縁によって上下関係が構築されるなど、長い戦乱で軍紀が乱れきっていた国民党軍幹部に近代的な軍事技術を伝授し、軍の近代化を推進。特に艦艇、航空機の運用面で改善は著しく、八二三(金門)砲戦防衛に成功、際立った効果をあげた。白団による中華民国国軍への指導は1960年代末まで行われた。(Wikipedia 国共内戦から)


こんな動画を見つけたので、張り付けておきますね。(45分の動画ですが、お時間のある方はご覧になってください。感動的ですよ。)



家族には「釣りに行ってくる。」といって、1949年に家を出ていった根本博さん。占領下の日本から密航までして、「蒋介石総統には、中国からの引揚者支援の恩義がある。」とし、命を懸けて戦いに行っていたんですね・・。

そして1952年台湾から帰国した時にも、根本さんは釣り竿をもって、戻ってこられたそうです。


「粋」という、素敵な日本語がありますが・・・

まさに、根本さんにぴったりの言葉ではないでしょうか。

こういうお話は、語り継がれていくべきですよね。


最後までお付き合い、ありがとうございました!





拙い文章を読んで頂いて、ありがとうございました。 できればいつか、各国・各地域の地理を中心とした歴史をわかりやすく「絵本」に表現したい!と思ってます。皆さんのご支援は、絵本のステキな1ページとなるでしょう。ありがとうございます♡