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したたかにニホンタンポポが春の野に咲く

 神戸の町も、北や西に行くと自然がたくさん残っている。
 私の住む北区には、まだニホンタンポポが残っている。

 日本のタンポポは、外来のセイヨウタンポポが明治以降入ってきて、ニホンタンポポがセイヨウタンポポに住みかを追いやられている。
 ニホンタンポポとセイヨウタンポポの違いは、黄色い花の下の緑の部分(総包)が反り返っていたらセイヨウタンポポ、反り返らずに花びらを包むようになっているのがニホンタンポポ。花が咲いていればすぐわかる。セイヨウタンポポは自家受粉できるが、ニホンタンポポは他の花の花粉がなければ受粉しない。綿毛も遠くまで飛ぶセイヨウタンポポが分布を広げやすい。ニホンタンポポは同じ場所に広がっており、遠くには綿毛を飛ばせない。

 ニホンタンポポはもう絶滅するのかと思っていたら、どっこい今もたくさん咲いている。

 町の方は、もともとタンポポが少なく、空き地などに生えていたのが、そこに建物が建ち、ニホンタンポポが消えてしまった。そこへ飛んできた綿毛からセイヨウタンポポが生えてくる。別にセイヨウタンポポがニホンタンポポを追いやったのではなく、ニホンタンポポがどんどん消えていったのだ。

 タンポポは畑や田んぼの周りに咲く。人間が草刈りをした後に咲く。北区にはまだ畑が残っている。
 刈られた草がまだ芽を出す前に、ニホンタンポポは芽を出し黄色い花を咲かす。
 毎年同じ場所で花を咲かしている。

 ニホンタンポポが咲き乱れる頃、周りの草も背を伸ばす。そして、タンポポを見ると、黄色い花の下の総包が反り返っている。あれっ、これはセイヨウタンポポだ。そして、辺りはセイヨウタンポポだらけになる。
 なんと、ニホンタンポポとセイヨウタンポポは、同じ場所に咲いていた。しかも咲く時期を微妙にずらしている。

 ニホンタンポポが花を咲かせ種を飛ばすと、次はセイヨウタンポポが花を咲かす。


 最近では、これも外来のタンポポモドキと呼ばれるブタナがタンポポの次に花を咲かす。ブタナはタンポポと同じような姿をしているが、茎が細く、茎が枝分かれする。
 ブタナとは何とも情けない名だが、ブタのエサになるということでの名前(豚菜)らしいが、実は食用になるそうだ。タンポポよりおいしいとのこと。しかも花、茎、葉、根、と全部が食べられるそう。

 それはともかく、同じような花が、同じ場所で時期をずらして次々花を咲かす。そして子孫を残していく。絶滅するのではないかと思われたニホンタンポポだが、したたかに生き残っていた。

ニホンタンポポ2



 黄色い花の外来種といえばセイタカアワダチソウがある。こちらは春ではなく、秋の花だ。別名、キリンソウ。キリンのように背が高い。たねは泡(アワ)のようになる。だから背高泡立草(セイタカアワダチソウ)。

 今は、そんなに背が高くなく、穏やかな黄色い花を咲かすセイタカアワダチソウが、日本の自然風景の中に当たり前の顔をして生えている。
いつの間にか背が低くなっている。

 私が子どもの頃、セイタカアワダチソウは本当に背が高かった。しかも生えている周りには、他の植物が全くない。何か根から物質を出し、他の草を生えないようにしていた。2メートル近い草が一面に黄色い花を咲かせている。まさにセイタカアワダチソウという名にふさわしい姿だった。
 子どもだった我々は、セイタカアワダチソウの林の中で秘密基地を作ったり、茎を折って、やり投げをしていたものだ。

 そんなセイタカアワダチソウが、日本の風景にあわせて、いつの間にか背を低くし、自分たちだけで生えていたのに、他の植物と一緒に生えるようになった。
 自分たちだけで生きるよりも、他の植物と一緒に生きる方が生きやすいということに気づいたのだろう。人間のような脳みそを持っているわけではないのに、植物は自然に、自然の中で生きる一番よい方法を知り、それを実行していく。
 みんな、新しい環境に中で生きる方法を考え、一度は失敗しても再チャレンジして、一番よい生き方を選択していく。


 植物もそうなのだから、ものを考える頭脳を持つ人間は、どんな生き方がよいか考えて生きていくべきなのだろう。



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