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莫切自根金生木②~金だ金金、この世は金だ

 金だ金だと叫ぶのは、現代社会だけでなく、江戸時代からはじまったこと。
 絵と文が一体となった黄表紙きびょうし唐来参和とうらいさんな作「莫切自根金生木きるなのねからかねのなるき」(1785刊)三巻の現代語訳二回目。
 金があるのがいやになり、金を減らそうとする萬々まんまんはどうするか。

 


中巻

 今年は飢饉ききんもなく、世の中もおだやかなので、たくさん米を買いだめして、米の値段が下がったら売り払い、そんをしよう、と思い付き、手代てだいたちに言いつけ、諸国しょこくの米を買いだめする。
手代「常陸ひたち磐城いわきの安い米を一両五しょうで買いました」
萬々「その相場そうばなら、上質の美濃みの尾張おわりは二三升ぐらいのことだろう。なんでも高く買ってくれよう」
妻「これで金蔵も、ちっとはすきまができよう。うれしやうれしや」

 


 博打ばくちを打つと身がくずれると聞いて、これはしめたと、博打ばくち打ちをおおぜい集め、当たれば七倍になり、自分のもうけは少ない胴元どうもととなったけれども、こまったことには、客の張った目がかたよっていて、したたか胴元どうもとがもうかってしまう。
萬々「いくらでも金を貸すから、だれぞ張っておくれよ」
客「このサイコロ博打ばくちは、一から六まで張っていればそんはないが、それじゃギャンブルの楽しみがないぜ」
客「こんなに客から金をまきあげる博打ばくちはないぞ」
萬々の妻「旦那だんなの様子はどうだい。またごきげんが悪そうかい」

 


 宝くじや投資とうしで家がかたむくこともあるから、これからクジをやってみようと、自分が買うだけでなく、手代てだいたちに言いつけて、当たりそうにないクジを買い付ける
手代「寺社が出している明神の百枚、天神の五十枚、弁財天の七十枚、感応寺かんのうじの五十枚が、なんとなんとみんな当たりました。一枚もむだがござりません」
萬々「当たるにしたって少額でいいのに、一から最後まで当たるとは、あんまりだ」
手代「わたしどもの買い方が悪く、もうしわけございません」



 このうえは盗人ぬすびとにとらせるほかなしと、くらから金を出し、家にカギもかけず、夫婦はもちろん、手代や雇い人やといにんすべて、どこかへ出かけてゆく。
萬々「入ってくるのにじゃまにならないように、壁に大きな穴を開けておけ。そして金は、取りやすいようにまとめておきなさい」
手代「これができたら、盗賊とうぞくよけのお守りをはがしておこう」
萬々「時間があれば、荷物をまとめて、持って行きやすいようにしておけ」
手代「金蔵までは小判をまき散らしておきました。これを目印に盗みに入るでしょう」
萬々「まんまと盗人が来ればいいが」

 


十一

 予定どおり盗人ぬすびと大勢おおぜい入ったが、あまりの大金ゆえ、持ち出す工夫や荷ごしらえに手間てま取り、夜も明ければ、取ることもできず、よそで盗んだ金や衣類、道具まで持って出にくくなり、夫婦が帰ってきた声を聞くと、体ひとつで逃げていく。
盗人「まあ、ちっとばかりでも取ればよかったものを、よそで盗んだものまで置いてゆくとは」
萬々の妻「さすがにもう盗んで帰ったころでしょう。お帰りなさりませ」

 


十二 

 とかく思うように金もらねば、またまた考え、京大阪から大和やまとめぐりの旅をして、道中でも金を使おうと、一日に二三里ぐらい行こうと、ぶらりぶらりと行きける。
手代「ちょうど神奈川まりでようござりましょう」
萬々「金川(神奈川)は金にえんがあるから、ちょっと早いけど川崎にまろう」
馬子「馬に千両箱とは、縁起えんぎが良いので、無料で運ばせてくださりませ」

 


十三

 萬々まんまん先生は、よきついでなりと、江ノ島えのしま参詣さんけいし、またまた金を使う方法を思い付き、漁師りょうしにそろいのゆかたを作って着せ、地引き網じびきあみをさせると、なんとなんと、海や川に流れ込んだ金銀、魚にまじっておびただしくあがってきたゆえ、心ならずもまた金が増えてしまう。
萬々「この景色は日本一だ。しかし、なんだかいやな光がさしてるぜ。また金が増えたら、いやなこった」
手代「もし、あれが金なら、江ノ島かねくら(鎌倉)と名付けて、蔵でも建てればようござります」

 


十四

 この頃、大雨降り続き、川々も通行禁止となりければ、旅館に泊まっているうち、この大荒れに、買い置いた米が、一気にが上がってもうかったと、手紙がとどきける。
萬々「これはまたとんだことだ。値上がりしたら、売らずにおればいいのに。またおれにもうけさせる」
手代「ごもっともではござりますが、先方は米が足りずに、金を送ってくるから、いたしかたござりませぬ」
萬々「困ったもんだ、小判だ(困った)もんだ。このシャレは使えるかな」

 


 金がどんどん増えていきながら、次回へ続く、

 


 江戸時代は、年貢米を中心とした物々交換の時代から、金が中心の世の中となった。一般の人々は、金がないから、逆に金のことを描いた作品が多い。


 時代が下り、明治大正に活躍した演歌師、添田唖蝉坊そえだあぜんぼう(1872~1944)は、

地獄じごく沙汰さた金次第かねしだい
笑うも金よ泣くも金
一も二も金 三も金
親子の仲をくも金
夫婦のえんを切るも金
(ああ金の世や)

かねだ金金 金金金だ
金だ金金この世は金だ
金だ金だよ誰がなんと言おと
金だ金だよ黄金万能
(金金節)

と歌っている。明治大正の世も、金が歌の題材となる。

↓こちらでも唖蝉坊の曲が少し聞くことができる、

 金の歌を昭和のフォーク時代に、高田渡たかだわたる(1949~2005)が復活させた。唖蝉坊の歌も新しいメロディーで復活させた。
 それはともかく、いつの時代も金がない。現在は投資だ投資だと、金が中心の世の中が続いている。令和の今も金金金の世の中だ。

 

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