春を告げる鶯の声、ホーホケキョ
ホホホホ、ホーホケキョ
明け方にウグイスが鳴いていた。まだ、つまってはいるが、ホーホケホケ、ホケキョケキョケというなさけない鳴き声に比べたら、「おぬし、やるな」という感じだ。ウグイスは、春告鳥(はるつげどり)とも呼ばれ、春を知らせてくれる鳥だ。
万葉集の大伴家持の歌もある。
あらたまの年ゆきがへり春立たば まず我が宿に鶯は鳴け
新春、新しい年になれば、まず我が庭で鳴いてくれ。
今年の新春は、2月12日が旧暦の1月1日だった。
ウグイスは、最初からきれいに鳴くのではなく、練習してうまく鳴くようになる。昔は、鳴き合わせ(鶯合わせ)というものがあり、それぞれが飼っているウグイスの鳴き声を競わせたそうだ。今は、鳥獣保護法により飼育が禁止されているが、江戸時代はウグイスの愛好家がたくさんいたらしい。飼育方法もいろいろ伝えられている。
梅に鶯というが、梅の花にやってくるのはメジロ。鮮やかな黄緑色で、目の周りが白く輪になっているので目白。花の蜜吸うメジロと、木々の虫を食べる、もっとくすんだ色をしているウグイス。ウグイスは目立たない色で、木の間に隠れているので、なかなか姿を見ることはない。花札に描かれているのはメジロ。
人間はなかなかウグイスを見つけることができないが、ホトトギスはウグイスの巣を見つけ、そこに自分の卵を産みつける。托卵(たくらん)という。
ホトトギスのひなは、ウグイスより早く孵化し、ウグイスの卵を巣から落とし、自分だけが親より大きくなってもエサをもらい育ててもらう。親鳥は、あれっ、変だなと思いながらも、自分よりはるかに大きくなったヒナに(実はホトトギスの子なのだが)せっせとエサを運ぶ。ヒナのくちばしの中の黄色い色が親鳥を誘うらしい。大きく開けられた黄色いくちばしを見ると、エサをあげなくっちゃあげなくっちゃと親は思ってしまう。
こんな事情や状況を、これまた、我々は見ることができない。本で読んだりYouTubeで見るしかない。それなのに、万葉の時代の人は托卵のことを知っていた。ホトトギスは、ウグイスの巣にタマゴを産みつけるのだということを。
万葉集に、こんな歌がある。
うぐひすの卵(かひご)の中にほととぎす ひとり生まれて己(な)が父に似ては鳴かず 己が母に似ては鳴かず
子であって子ではないということを、「うぐいすの卵(かいご)の中のほととぎす」という。こんな言葉がうまれるほど、昔の人にとっては常識だったのだろう。
外に出ればウグイスの声がする。
ホーホケキョという声だけでなく、テッペンカケタカというホトトギスの声も聞こえてくるだろう。ひょっとしたら、ケーンケーンというキジの声も遠くの山から聞こえるかもしれない。
自然は、生き物たちの生の声で満ちあふれている。自然はアメージング。(amazingは「びっくりさせる」という意味から転じて、「素晴らしい、感動するほどすごい」という意味でも使う)「Amazing Grace」の英語の意味はわからなくても、別にクリスチャンでなくても、歌を聞くと心が揺さぶられる。音楽とはそういうものだろう。
人間は、ウグイスの声の意味を知って聞いているのではない。ホトトギスの鳴き声の意味を知って聞いているのではない。意味がわからなくても、鳥たちの声も人間の心に響いてくる。
秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、からすの寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。 (清少納言「枕草子」)
カーカーというカラスの声でも心にしみることがある。
自然は、人間の心に何かを与えてくれる。
用がなくても外へ出てみよう。今は春だ。木々のある場所へ行ってみよう。耳をすませば、知らない世界が見えてくる。