学校教育のめざすもの
学校は行かなければならない。そう思っている子どもは多い。行かなければならないと思うからこそ、不登校になったら悩んでしまう。
では、学校とはなんだろう。
江戸時代の学校はどうだったか。江戸幕府は、昌平坂学問所をつくり、各藩は藩校をつくった。これらは武士のための学校といえる。今でいう高校、大学のようなものだろう。
町人は、寺子屋で学んだ。こちらは学校というより、小規模塾のようなものだろう。
寺子屋では、読み書きそろばんという、日々の生活の中で、生きて行くために必要なものを学んだ。それが教育だった。
読み書きは「ひらがな」を学ぶ。えっ、漢字は。大丈夫大丈夫。当時の本には、難しい漢字には、ちゃんとルビがふってある。ひらがなさえ読めれば、難しい本も読める。
漢字大好きの曲亭馬琴の「南総里見八犬伝」には難しい漢字がたくさん使われているけど、全部ルビがついているので、多くの町人に読まれ、ベストセラーとなっている。
現代はどうか。何を学ぶか。
国際化だからと英語の学習が増えた。これは親と英語産業が希望するからだ。数時間学習時間が増えただけで、どれだけの語学力がつくものか。小さな子どもたちが英語学習塾へ行き、ネイティブに近い発音で英単語を話す。一生懸命覚えた英語も、日常で使わなければ忘れてしまう。
日常で使う必要があれば覚える。
外国語の学習なんてする時間もなかったようなスポーツ選手が、外国へ行って、数年でその国の言葉を話せるようになる。必要だから覚えるのだ。
日本のアニメやコミックスが好きな外国人は、日本語をすぐに覚える。中には一度も日本に来たことがないのに、スラスラ日本語を話すアニメオタクもいる。日本の文化を知りたくて日本語を覚えるのだ。
それに対して日本人はどうか。
日本では、訪日外国人の道案内するくらいしか、普通の日本人は英語を使わない。アメリカやイギリスの文化が好きで好きでたまらない人もいるだろうが、大多数の日本人は、小学校から英語を学ぶ必要性がなく、使う機会もない。
外国人に出会ったときの道案内も、ポケトークを使った方がよく伝わる。いくら英語を勉強しても、ポケトークにかなわない。スマホにだって翻訳アプリが入ってる。翻訳機械はどんどん進化している。それさえあれば外国人と会話ができる。
親と受験産業は、偏差値を大切にする。なにか基準がほしいからだ。
大学は「東大」がいいという。テレビでも、「東大」を冠した番組が定番になっている。テレビ局のアナウンサーでも、「東大卒」が売りになる。
東大を出ていても、社会で役に立たない人間はいくらでもいる。暗記科目の勉強はしていても、突発的な出来事に対応できない東大卒の人間はいくらでもいる。それでも「東大」が売りになる。
暗記科目をいくら勉強しても、AIにはかなわない。偏差値いくらの学校へ行っていても、暗記科目の力だけなら、AIにはかなわない。スマホをみんな持っている時代だから、わからないことはスマホに聞けばよい。学校へ行かなくても、スマホが全部答えてくれる。
こんな時代遅れの暗記学習を続けているのはなぜか。なぜ使いもしない英語の時間を増やしているのか。
選挙の票となる保護者がそれを望んでいるから。政権党に寄付をたくさんする英語産業や受験産業がそれを望んでいるから。選挙のために英語を学ばせていると言えば言い過ぎだろうか。
日本では英語を学ぶ必要性が少ない。それよりも、外国人と対話のできるよう、日本のことをもっと学ぶべきだろう。日本語と歴史、文化を学ぶべきだろう。
我々の知らない日本に興味を持って来日する外国人と会話ができない日本人が多い。日本のことを知らないからだ。
いまだに偏差値偏差値といっているのは日本くらいで、世界は偏差値ではない入試となってきている。
本当に学校教育に必要なものはなんだろう。
それを考え、将来の日本のことを真剣に考えられる政治家は出てこないのか。
日本の教育予算は先進諸国の中でも低いことで知られる。外国にはいくらでもお金を出すのに、自分の国の未来にお金をかけない。
ノーベル賞を取ったような日本の基礎研究も、予算が減って、これからは廃れていくだろう。それよりも先に、国民全体の学力が低下していく。
英語教育重視や東大重視の点数主義の親を標的とした、目先の選挙目的ではなく、将来の日本を真剣に考える政治家は出てこないのか。
教育を考えることは、政治を考えることでもある。
暗記がダメというわけではなく、暗記することによって内容をより深く理解できることも多い。暗記のススメの記事も書いている、