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ハロウィンプペルと日本の四季と伝統

 年末が近づくと、日本人はクリスマスを祝い、除夜の鐘を聞き、年始には神社へお参りする。キリスト教に仏教に神道と、何でもありの国民だ。西洋の一神教の人たちから見たら奇異に感じられるが、日本人にとっては当たり前のことなのだ。

 日本の神々は、八百万(やおよろず)の神と言って、8,000,000人もいるのだ。まあ、八百万というのは「数が多い」という意味で、たくさんウソをつく時の嘘八百と同じだ。
 10月には日本中の神様が出雲大社に集まり、出雲以外は「神無月」となる。それだけ神様が多くいる。
 古代の日本人は、人間を越えた存在は皆、神として恐れ敬っていた。自然のそれぞれのものを敬うという思いを持っていた。日の神、月の神、木の神、巨石の神、水の神……いろいろな神がいる。
 日本人は、仏教が入ってきたときは、それも「神」のひとつと考え、キリスト教も神の一つと考えた。日本人は何でも受け入れる民族なのだ。キリスト教に関しては、一神教なので、絶対神以外は認められず、日本人としては矛盾が出てきてしまうのだが……。

 現代の日本人が新しく受け入れたのがハロウィン。宗教としてではなく、行事の一つとして受け入れていった。1980年代から仮装をするようになり、今のように大規模になったのは2000年頃からだろうか。それまでは、ほとんど知られない行事だった。
 ハロウィンは、日本にはアメリカから伝わってきたのだが、もともとは中央アジアのケルト人が起源らしい。秋の終わりと、冬の始まりの季節を祝うものだったらしい。
 冬の始まりとは、新しい年の始まりでもある。
 ハロウィンは10月31日に行っている。日本の立冬は11月7日頃、冬の始まりだ。

 季節の節目には、冬至もある。12月21日か22日、今年は21日(月)。昼が最も短く、夜が最も長い。冬の真ん中となる。冬至にカボチャを食べる風習があるが、ハロウィンのカボチャのおばけと何か関係があるのだろうか。
 12月25日のクリスマスも、キリストの降誕祭(誕生を祝う)といわれるが、実は冬至の祭りが起源らしい。太陽が出る時間が一番短くなった季節に、太陽の復活を祈っていた。

 こういう季節の節目を、日本人は今までも祝ってきた。節句といわれるものだ。
 1月7日の人日(じんじつ)には七草がゆを食べる。3月3日は上巳(じょうし)、桃の節句。5月5日は端午(たんご)の節句で菖蒲湯につかる。7月7日は七夕。9月9日は重陽(ちょうよう)、菊の節句だ。
 1月1日の正月も、賀春、迎春、初春と書くように、本来は春の訪れを祝うものだった。旧暦ならよくわかるが、新暦になって旧暦より約1ヶ月早くなると、まだ寒い。季節感がなくなっていく。
 四季のはっきりしている日本では、季節ごとに祝いをし、季節を楽しんできた。けれど旧暦から新暦になり、季節感が薄れた行事もある。都市化で自然がなくなったり、温暖化により、季節そのものが感じられなくなってきてもいる。

 季節のない町に生まれているのだ。

 我々はまだ季節を取り戻すことができる。そんな希望はまだ残っている。ちょっとした行動と考え方で、季節を感じながら生きることはできる。


 季節もわからず、空の見えない煙だらけのえんとつ町では、夢と希望を持ってプペルとルビッチは旅だった。
 ハロウィンの日に生まれたプペル。西野亮廣の映画『えんとつ町のプペル』は、12月25日に公開される。西野亮廣と今やカジサックとなった梶原雄太のコンビ、キングコングも夢を追って生きてきた。
 キングコングと同期の芸人たちも、夢を追っていた。ノンスタイル、南海キャンディーズ(山里亮太)、ダイアン、とろサーモン(久保田)、ピース、ウーマンラッシュアワー(村本大輔)等々……ものすごい数の芸人が今も生き残っている。早くに売れたキングコングへのライバル心から夢を追い続けた結果だ。傷ついても傷ついても前を見た。希望を持っていた。
 目標とされたキングコングも二人それぞれに悩み傷ついてきた。
 そんな西野亮廣の一つの集大成として映画が公開される。


 希望を持って一生懸命生きている人たちを応援したくなる。


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(神戸市営地下鉄のプペル電車。タイトルの見出し写真はハーバーランド駅の壁面)

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