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「江戸春一夜千両」①京伝の黄表紙~金があふれる春の夜の夢

 黄表紙きびょうし江戸春一夜千両えどのはるいちやせんりょう」は山東京伝さんとうきょうでん作、北尾政演きたおまさのぶ画。天明6年(1786)刊。出版社(版元はんもとという)は、有名な蔦屋重三郎つたやじゅうざぶろう。ツタの葉がマークとなっている。
 黄表紙は正月に新版が発行される。だから正月らしい話が好まれる。お金のない生活だからこそ、金があふれた世界を描いてみる。それを当時の一流戯作者げさくしゃ京伝が、京伝流にアレンジした大人の絵本。
 ちなみに北尾政演は、京伝の浮世絵師としての名。つまり「江戸春一夜千両えどのはるいちやせんりょう」は山東京伝さんとうきょうでん作画となる。絵も文も書ける、今のマンガ家と同じ存在が黄表紙作者だった。
 三巻三冊の作品の現代語訳を、三回に分けて紹介する。 



上巻

 小便無用、ひやかしおことわり、ちゃんと買ってから読んでね
 尻の穴の広い江戸っ子は、一夜千両で吉原中を買い占め、目の玉の飛び出るほど高い初鰹はつがつおも食べる。
 二十日あまりに四十両使い、二分残すこともあり(近松門左衛門ちかまつもんざえもん冥途めいど飛脚ひきゃく」のセリフ)。
 使わなくても金、使っても金、ただ金を生かすか殺すかの違いはスッポンとドロ亀のごとし。欲と見栄みえとに春の夜の、夢ばかりなる世の中に、かいなく使う金ぞおしけれ。 



 のどかさに宿やどを立ちいでてながむれば、いずこも同じ、ああ、金がほしいなあという世の中に、持丸屋長者右衛門もちまるやちょうじゃえもんといわれる者あり。長者右衛門ちょうじゃえもん、つらつら今の世の中を見るに、金のない者が集まると、
「おめえ、だれぞが、金を百両やるから、今夜中に使ってみろ」
と言うと、
「まあ、どう使うと思う」
「おらが計画は、まあ三両で四つ手駕籠かごを急行で使い、三両の昼三ちゅうさん女郎を買って、そしてどうしてこうして……」
と、だらだら話。よくある金のない者のむだ話なり。
 その身をおさめんとほっする主人は、まず家の者にさとらせようと、ある正月三日の夕方、家中の者を呼び出し、それぞれに金を与えた。
 女房にょうぼうに三百両、番頭ばんとうに五百両、手代てだいに二百両、下女げじょに三十両、丁稚でっちに七両二飯炊めしたきに五十両、隠居いんきょに五百両、息子に千両。
長者右衛門「この金を今夜中に生かして使った者には、倍にしてつかわさん。つのかね(午前6時)を合図に、奥の部屋で待っているぞよ」
チャンチャン 



 番頭は五百両の金を持って二階にじこもり、
「まず三百両は実家へやって田んぼを買わせ、おしいことだが五十両は妹のダンナの商売の元手もとでにやろうし、おれの身元保証人みもとほしょうにんは、病気のときにだいぶ世話になったから十両くらいはやってもよし。今夜中に田舎いなかへ走らす早飛脚はやびきゃくはいくらかかるだろう。一両二分用意すれば大丈夫だ。しめて三百六十一両二分。それにしても十八両二分残る。かねもかすむや初瀬はつせ山。はて、いい考えがありそうなものじゃなあ」
と言っているうち、手代は、ヘアースタイルをととのえ、日頃ひごろなじみの深川の遊里ゆうりを買いめようと、二百両持って、天へもがる心持こころもちで出かける。
番頭「田舎へ金を送るにしても、手紙をつけねばならぬが、なんと書いたらいいだろう。どうも心配させそうだなあ」 



 番頭は、田舎いなか飛脚ひきゃくを送ろうと、十七屋(飛脚屋)へ急ぎけれども、
「今夜は取り扱い日ではないので、いくらもらっても出されません」
と断られ、こいつはだめだと、とって返し、このうえは女郎買いをして使うしかないと、思案橋しあんばしまで行き、午前0時の鐘が鳴り、吉原へ行こうか品川へ行こうかと悩めども、今まで一度も行ったことがないゆえ、勝手が知れず、いっそ手代にくっついて深川へ行こう、どうしたもんだろうと、思案橋を行ったり来たり、ああ、金がかたきの世の中じゃなあと思う。
番頭「ああ、もうこの金五百両をここらで捨てたくなった」
 手代は、番頭が五百両持ってまごまごしているので、あの金で深川を買い占められてはならない、先に行かなければと、船頭二人で船を急がせる。 



 手代は、なじみの茶屋へ来て、今夜は女郎も芸者も買いめるぞ。お金は大丈夫と、二百両を出して見せれば、茶屋では気味きみ悪がり、おおかた店の金をちょろまかしたのだろう、明日あたりは苦情が来そうだ。お断りしたほうがよかろうと、すみでこそこそ話し、時間はどんどん過ぎていく。手代はなんとかわけを説明し、百五十両にて深川を買い占めて、後に五十両残れども、他の遊里を買い占めるほどの金はなし、なんとか工夫して安い遊里を買い占める。
手代「おい、この五十両を持って、あの遊里を買い占めて、おれの代理で遊んでこい。夜が明けぬうちに早く行け」
女郎「今夜は時間が来て店から迎えが来る心配がなくていいいい、いいわよ」 



 女房は、日頃着てみたいと思っていた着物をこしらえようと、出入りの呉服屋ごふくやを呼び、上着は何にしようか、これにしようか、あれにしようか、あれにしようか、これにしようかと、無性むしょう目移めうつりするうち、だんだん時間が過ぎてゆく。 



 ここまでが上巻。
 序文に、百人一首
春のの夢ばかりなる手枕たまくらにかなく立た名こそしけれ(67)
を使い、場面一では、百人一首
さびしさに宿を立ちいでてながむればいづこも同じ秋の夕暮れ(70)
を思わせる。当時は庶民の間で百人一首がよく遊ばれていた。そういうことを作品の導入に使っている。

 


次回につづく、

 


 黄表紙きびょうしは、表紙の紙が黄色っぽい色をしているのでそう呼ぶ。
 タイトル画像のように色をつけた絵がついている表紙を絵題簽えだいせんという(こちらは出版社のツタのマークもついている)。
 中の本文は、木版画の一色刷りなので(黄色い紙ではない)、人気の作品は追加ですぐに印刷ができる。絵題簽えだいせんは多色刷りの木版画なので(手間てまがかかる)、新しいものにすることもある。

 


黄表紙の始まりといわれる恋川春町の「金々先生栄花夢きんきんせんせいえいがのゆめ」の現代語訳は、こちら、

黄表紙の代表作「江戸生艶気樺焼えどうまれうわきのかばやき」の現代語訳は、こちら、

これらの中に、他の黄表紙の紹介もあり。

 


百人一首の私の現代語訳は、

私の百人一首のまとめは、

 

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