ラクダをはじめて見た人たちの話
子どものころから足が悪く、走ることのできなかったG男は、周りから笑わればかにされ、何度も悔しい思いをした。あいつらを見返してやる。そう思い、必死で勉強をし、優秀な成績で学校を出た。
復讐心のかたまりのG男は、自分から何かをする勇気はなかった。
そんなときに、政治家を目指すA作と出会った。A作は貧しい画家であり、金持ちを憎んでいた。あいつらを見返すために、政治家となって権力をにぎろうとした。選挙に何度も挑戦したけれど、かつてのパワハラを持ち出されたりした。というより、はじめからA作の支持者は少なかった。
そんなA作は、すらっとした男で、体にコンプレックスを持っているG男は、自分の夢をA作にたくしたくなった。
A作に近づいたG男は、A作の選挙参謀となった。
またも選挙に挑戦したA作に、G男は言った。
今はネット選挙の時代だ。あなたはよけいなことは言うな。ただ、国のことを思っているとだけ言え。
G男は、YouTubeをたくさんあげた。A作は国のことを考えている。パワハラの件は、一度だけ謝罪して、その後は一度も触れない。A作は正義の人だとTikTokもあげた。選挙の対抗馬のBやCのことは、あることないこと悪口をならべた。A作自身は対抗馬の悪口は一言も言わない。ネットでのみ相手の悪口を言うのだ。そうすると、それに便乗した人間が、さらにあることないこと悪口をネットにあげる。
ネット世界でA作のことが話題になると、高齢者たちもA作のネットを見るようになった。TikTokでは、同じような画面が何度も何度も流れる。そんなものを見たことがなかった高齢者はびっくりした。何度もくり返されると、それもそうかと思うようになった。YouTubeも一度見るとAIが勝手に、この人はこんな動画が好きなんだと判断して、A作の動画を何度も出してくる。こんなにたくさんあるのなら、本当のことなんだ。A作は、国のことを本当に考えている正義の人なんだと思ってしまう。
アメリカの大統領選挙では、相手候補の悪口を次々にならべる。ところが日本の選挙では、相手の悪口はほどほどにする。相手に悪口を言われても、それを否定するだけで、逆に悪口を言った相手の悪口を言うことはない。
A作は正義、BやCは悪という図式ができた。
その結果、A作は選挙で大勝した。
A作の勝利を祝うために、応援していた人たちがたくさん集まった。声も聞こえないくらいに集まった人たちの動く音が、ガッガッガッと聞こえる。
なにかそれが軍歌の響きのように聞こえてきた。
イソップに、こんな話がある。
はじめてラクダを見た人々は、恐れおののいた。なにせ体が大きい。こんな大きな動物がいるのかと驚いた。
しかし、ときとともに、ラクダがおとなしいことがわかると、だんだん近づいていった。
さらに、この動物が怒らないことがわかると、すっかりばかにして、家畜として、こどもを乗せてみたりもした。
慣れというものは、恐怖をやわらげる。
イソップはそう述べている。
だんだん慣れていくと、最初のパワハラを忘れてしまうが、ラクダも体が大きいだけに、一度ぶつかったりすると、小さな子どもはふみつぶされてしまうことを忘れてはならない。