中学国語教科書にある万葉集の歌③ 父母が頭かき撫で幸くあれて言ひし言葉ぜ忘れかねつる
「万葉集」は、奈良時代に作られた日本最古の歌集で、約4,500首の歌が収められる。教科書、光村図書の中学国語3年に載っている「万葉集」の和歌を紹介している最終回。
当時の人は文字を書けないから、口承、口伝えで歌を語り継いだのだろう。都とはちがう言葉、方言を話す東国農民の東歌。その農民が防人として兵役につくときに詠んだ防人歌。一方的な貴族の歌だけでなく、いろいろな歌が載っているのが「万葉集」だ。
憶良らは今は罷らむ子泣くらむそれその母も我を待つらむそ 山上憶良
(私)憶良めはもうおいとまいたしましょう。家で子どもが泣いているでしょうし、それに、その子の母(つまり私の妻)も私を待っているでしょう。
この歌の前書きには、「山上憶良が宴を退出するときに詠んだ歌」と書かれている。山上憶良は歌人として有名でも、身分は高くない。これは下級貴族の歌。
多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだ愛しき 東歌
多摩川の水にさらして作る布のように、さらさらに(さらにますます)あの子が愛しく思えるのはなぜなんだろう。
多摩川は東京湾にそそぐ川だが、万葉仮名では「多麻」と表記した。古代、多摩川流域では麻が多くみられた。「麻」といえば「大麻」が思い浮かぶが、以前は「麻」といえば「麻布」だった。布の原料として大事な植物だった。「さらす手作り」の「手作り」は、「たづくり」と読む。手織りの麻の布。川の水にさらすことで白く仕上げた。
「ここだかなしき」の「ここだ」は「こんなにも」という意味。「愛(かな)しき」は、形容詞「かなし」の連体形。前に「何そ」と「そ(ぞ)」があるので文末が「愛しき」と連体形になる「係り結び」。「何そこの児のここだ愛しき(あの子が愛しく思えるのはなぜなんだろう。)」という疑問の形で、いとおしくてたまらない気持ちを強調する。「かなしき」は、「悲し」ではなく「愛し(かなし)」。いとおしい・好きだという意味。
「多摩川にさらす手作りさらさらに」という言葉が「序言葉」になっており、「何そこの児のここだかなしき」にかかっている。この歌で強調されるのは「何そこの児のここだ愛しき(あの子が愛しく思えるのはなぜなんだろう。)」ということ。
東歌は、関東地方に住む名もなき人の歌、あるいは作者不明の民謡のようなもの。当時の関東の方言が多く使われている。
父母が頭かき撫で幸くあれて言ひし言葉ぜ忘れかねつる 防人歌
父母が私の頭をなでながら「幸あれ(無事でいてくれ)」と言った言葉が忘れられない。
「幸く」は、無事である意味。「あれて」は「あれと」の方言。「言葉ぜ」の「言葉」は「けとば(万葉仮名で「気等婆」)」と読ます。東国方言。「ぜ」は係り結びを作る助詞「ぞ」の方言。「ぜ=ぞ」があるので、「忘れかねつる」と連体形で終わる係り結び(終止形は「忘れかねつ」)。
この歌は防人歌。防人は、飛鳥時代から平安時代の間に課せられていた税の一つ。北九州の警護を担当する兵士。
東国で普通に生活していた一家の働き頭の若者が「おまえは防人だ」と急に指名される。北九州までの移動は自分で負担する。道路も整備されていない時代、旅の途中、あるいは勤務中に死んでしまうこともあった。命をかけた父母との別れだった。
文字も知らない人々が、歴史に名前も残らない農民が、そんなさまざまな人がさまざまの思いを五七五七七の言葉に乗せて詠っていた。それが「万葉集」の短歌である。
その歌が、今の時代まで伝えられ、中学国語の教科書にも載り、我々に感動を与えてくれる。
タイトル画像はぱくたそからお借りしました。
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