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孔子縞于時藍染①~道徳だらけの山東京伝の黄表紙

 格子模様こうしもよう染め物そめもの流行はやるという意味に、孔子こうしの教え、儒学じゅがくを引きいだ朱子学しゅしがくが、幕府の学問としてあったが、その教えが、寛政の改革(1787~1793)とともにますます広がっていくという意味のタイトルで、当時の世の中を茶化ちゃかしてえがく。寛政の改革では、学問や武芸が奨励しょうれいされ、倹約けんやく奨励しょうれいされた。
 派手はでな模様のファッションが禁止されたので、格子模様こうしもようのいろいろなデザインが流行のファッションとなる。孔子の「論語ろんごはよく読まれており、教えをアレンジした道徳、心学しんがくも流行していた。そんな時代に、道徳が行き渡った世の中を皮肉ひにくなSFっぽく描いた作品。

 文と絵が一体となった黄表紙きびょうし、「孔子縞于時藍染こうしじまときにあいぞめ」は、山東京伝さんとうきょうでん(1761~1816)作画で、寛政元年(1789)刊行の、上中下三巻。この現代語訳(意訳)を三回にわけて紹介する。

 


上巻

 中国の想像上の動物、鳳凰ほうおうは、ニワトリのように大声で朝のときを告げることもないので、寝起きの心配もなく、これまた想像上の麒麟きりんは、イヌのようにうるさくワンワンえないので夜道のじゃまにもならず。ほうも出よ、りんも出よと、輪宝りんぼう模様もようの服を着て、麟鳳りんぽうつけるが武蔵坊むさしぼう(麟鳳りんぽうは非常に珍しいこと)、弁慶べんけいさんの力でも動かないのが石の山。
 君が代の紅屋べにや八百屋やおやは歴史の本にうたわれて、二と六の日は、入麺にゅうめん先生の講義の日じゃが、胡椒こしょうがかかって故障こしょうして、講義は中止になったとさ。
それはともかく、道徳の行き渡ったすばらしい時代がやってきた。 
  山東京伝さんとうきょうでん

 


 「中人以下不可以語上ちゅうじんいかにはもってかみをかたるべからず」(中級以下の人には、高級な話をしても意味がない)
と「論語ろんご」にあるけれど、川柳にも、
ふんどしに ひもがあるので しまるなり
とは、なるほどなるほど。
 孔子こうしの教えを学び、下々しもじもまで、良きことをし、しきことをせず。物もらいの乞食こじきまで、れいこのむ。
乞食の先生「『春秋左氏伝しゅんじゅうさしでん』にいわく、
匹夫ひっぷ(財産のない者)つみなし、たま(財産)をいだいて罪あり』(財産がなければ罪を犯すこともないが、財産があると罪を犯しがちになる)
とあれば、我々のようなしあわせな身の上はござらん」
乞食の弟子「先生、『論語』の
ゆく者はかくのごときか、昼夜をてず』(川の流れのように、昼となく夜となく、人生ははかなく過ぎていく)
とは、女郎じょろうからせまられた客のことかね」(昼夜も女郎に迫られると、別の意味にとっている)
弟子「昔は女郎通じょろうがよいもして、大金を使ったこともござりました」
弟子「『の西の狩りに麒麟きりん(想像上の動物)たり』(『春秋左氏伝しゅんじゅうさしでん』)とあれば、の人である孔子も淋病りんびょう感染かんせんしたものと思えます」(麒麟きりん淋病りんびょうのリンとリンのダジャレ)
弟子「中国の詩文集『文選もんぜん』をひろったが、お求めなされぬか」
弟子「足下そっか(あなた)はゆうべは、はきだめの中でおやすみなされたか」 

 画面上部は、江戸時代からつづく格子縞こうしじまのデザインのひとつ。
 うわあ、直線がぐちゃぐちゃや。本当は、もっときれいな模様です。

 


 ここに神田通丁筋とおりちょうすじ裕福ゆうふくな町人ありしが、
不義ふぎにしてみ、またたっときは、われにおいて浮かべる雲のごとし」(正しくない手段で手に入れたとみ名誉めいよ浮雲うきぐものようにたよりない)
さとり、じんとくの最高は金銀を他人に与えることしかないと思い、たくわえた金銀を、しげもなく人に与えんと思えども、相手の人も、
「『富貴ふうき天にあり』(財産や名誉めいよを手に入れることは、天のみちびきで、人間の力ではどうしようもない)、
天理てんりにかなわぬ金銀は受けられぬ」
と、誰一人もらってくれる者なければ、ほとんど困り、町の番人は、どうも欲の深そうなおやじだと思い、まず百両ばかり与えようと呼びかける。
町人「これこれ、失礼なこととはぞんじますが、お願いがございます。おれを助けると思って、どうぞこの金をもらってくれぬか」
番人「『論語』にも、
そのいたるにおよんでは、いましむることるにあり』(若い頃はむちゃをしていても、年をるときちんとしなければならない)
もうせば、人の道にそむいた金は、受け取るわけにはいきませぬ」
町人「はてさて困ったものだ。『四百四病しひゃくしびょうのわずらいより、とみほどつらいものはない』ぞ」(ことわざ『四百四病のやまいより、ひんほどつらいものはない=病気よりも貧乏がつらい』の、貧乏の逆で、財産がつらい、という)

 


 「列子れっし」にいわく、
ざいをもって人にかつ、これをつう』(本当は「つう」ではなく、「ざいをもって人にかつ、これを賢人けんじん」=財産を他人に分け与えるのが賢人けんじんだ)
といえる言葉を思い、傾城買けいせいがいも女郎じょろうの言いなりになって遊ぶを色男となし、女郎は田舎から来た客とみると、たちまち手練手管てれんてくだで相手をだまし、とかく大金をおしつけたがる。油断ゆだんのならぬ世の中なり。

女郎の客への手紙にいわく、
また一筆いっぴつお手紙さしあげます。さてさて私もいろいろしあわせがち、おさっしくだされ。ついこのほど、ある客から、財布さいふに入れた五十両、布団ふとんの下に入れられました。それより、だんだん都合つごうの良いことのみにて、呉服屋ごふくやより、ぜひぜひ百両ばかり受け取り、使ってくれるようにもうされ、とかく金をあたえたがる。あなた様には、このようなことはもうしあげたくはありませんが、どうぞどうぞぼん前には、せめて七十両ばかりもお使いくだされ。くれぐれもお頼みもうしあげそうろう。かしこ

客「こんなあやまることじゃない。どうもおれも、このごろは都合つごうが良くてならねえ」
女郎「せめて三十両は受け取ってくだされ。どうも困ったことさね」

 


 かくて世の中の人、正直をもっぱらとすれば、人としてつつしむべきことは、欲が強いこと。その欲も、多くは金銀よりおこるところなれば、金銀ほどけがらわしきものはなしと、とかく金銀をきらいければ、貧乏人ほどたっとく、金持ちほどいやしめられ、なかでも女郎買いに熱中して、多くの金銀を押しつけられた息子たちは、金のて場に困り、座頭貸ざとうがしの金貸しに金をやる。

 その証文しょうもんいわく、

  さしあげもうす金の証文しょうもんのこと
一 金じゅう両は小判なり
 右の金子きんす、さしあげもうすこと相違そういなし。受け取りはきたる○月○日までに、きっと受け取りもうすべし。利息りそくは毎月金弐分にぶずつ受け取りもうすべし。後日のための証文しょうもん、くだんのごとし

座頭「さようならば、じゅう両きっとご用立たれます」
座頭「証文しょうもんどおり受け取ること、とはもうしますまい」
座頭「渡すときの地蔵じぞう顔、受け取るときの閻魔えんま顔ともうすことがござる」

 


 若い連中は女郎買いにて、多くの金銀を受け取り、親に迷惑めいわくをかけるは不孝ふこうのいたりなり。
五刑ごけいの罪、不孝ふこうより大なるはなし」(昔よりある五種類の刑罰けいばつをうけるのは親不孝なことだ。五刑ごけいは、ムチ打ち、棒打ち、強制労働、島流し、死刑
と「孝経こうきょう」にもあるものをと、行いを正しくし、せめて罪を減らすため、弟に家をゆずり、大金を持って勘当かんどうをうけ、家を出ようとすれば、親はまた、
あやまちてあらたむるに、はばかることなし」(罪に気づけば、すぐに改めよ)
と、まったく承知しょうちしない。
父「わしの身代しんだいは、ありがたいことに、一年に二、三百両はかんたんにうしなえるが、これしきの金が増えても苦しくはないぞ」
息子「どうぞ勘当かんどうしてくだされ。『七生ななしょう(永遠)勘当かんどう』がだめなら、せめて三しょうごうでもようござります」(七生ななしょうは、本当は七生しちしょうと読み、生まれ変わりの限界をす。ここでは量の単位の七升と三升の「しょう」をかけている)
父「四書の『大学』にいわく、
人の父としてはとどまる』(親は「」=いたわり、いつくしみ、が大切だ)
というを知らぬか。勘当かんどうはならぬぞ」

 


 このように、庶民の生活それぞれを茶化ちゃかしながら、特にストーリーがあるわけではなく、カタログのようにえがいて、有名な言葉を並べる。
 当時の人々は、武士だけでなく、町人も、孔子の儒学じゅがくを中心とした考えをよく知り、何が正義かわからぬ現代と違い、儒学が生きる上での一本の筋となっていた。

 上巻は、ここまで。
 中巻につづく、

 

 

 黄表紙の始まりといわれる「金々先生栄花夢きんきんせんせいえいがのゆめ」の現代語訳は、こちら、

 黄表紙の代表作「江戸生艶気樺焼えどうまれうわきのかばやき」の現代語訳は、こちら、

 これらの中に、本作とは毛色けいろの違う、他の黄表紙の紹介もある。


 江戸の川柳の紹介は、こちら、

 

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