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古川柳十篇⑤ 美しひ顔をくづして子をあやし 柄井川柳の誹風柳多留
小さな子どもがかわいいのは、人間の本能のようだ。江戸の人も、かわいい子どもにメロメロになる。
江戸時代に柄井川柳(1718~1790)が選んだ川柳をまとめた「誹風柳多留」を紹介している本当の最終回。
読みやすい表記にしたものの次に、記載番号と原本の表記、そして七七のお題(前句という)をつける。調子に乗ったら、自己流の意訳と、七七のコメントをつけているものもある。
美しひ顔をくづして子をあいし
659 美しひ顔をくづして子をあいし うかりうかりとうかりうかりと
「あいし」は「愛し」ではなく、「あやし」のこと。子どもをあやすときは、「バーッ」とか、ヘン顔をする。美しい顔をしている人もヘンな顔をする。
子どものことを書いた私の記事はこちら、
おそろしきものの食いたき雪の空
614 おそろしきものゝ喰たき雪の空 やめられぬ事やめられぬ事
おそろしいけど食いたくてやめられない(やめられぬ事)冬の食材といえばフグ。
現代では、ふぐ料理をするには、都道府県知事が行うふぐ調理師試験において免許を取得したふぐ調理師でなければならない。昔は素人が調理したふぐも多く、ふぐ毒テトロドトキシンで亡くなることも多かった。それでもおいしいからふぐ好きは絶えなかった。
恐いけどフグは食いたし冬の空
ダメと言われりゃなお食いたくて
番頭は柱で肩をもんでゐる
712 ばん頭は柱で肩をもんでゐる はづみこそすれはづみこそすれ
昔の番頭さんは、帳場に座って仕事をしている。こうやって文章を書いていても肩がこってくるのと同じで、昔も肩がこってくる。そんなときに「まごのて」でもあればいいけど、勤務中にはなにもない。そこで「柱」を使って一人肩もみをしている様子。
ちなみに、肩こりをほぐすツボは、「奥歯の歯茎のあたりにある」とテレビで言っていた。歯医者で治療をした人が肩こりが軽減したと言っていることからわかったそうだ。
納ってから竹光をさしはじめ
666 納ってから竹光をさしはじめ むかし成りけりむかし成りけり
昔の殺しあいの戦国時代から、太平の江戸時代になって「竹光」をさすようになった、という句。
江戸の貧乏武士は竹光の者もいただろう。戦争がなくなって(納まって)川柳を作る余裕も生まれたのだろう。
平和な世だから使える武器もなし
隣はミサイルばんばん飛ばす
刀を使った戦いは剣道以外ないけれど、使える軍隊のない日本は、徴兵制度もなく平和だが、周りの国は、軍艦を近づけたり、ミサイルを飛ばしたり、攻撃レーダーを照射したりする。それに対して有効な外交政策をとっているかといえば、「遺憾である」というだけ。何も対策をとらない。アメリカ頼みだけでは、アメリカだって他人のために命はかけられない。
一揆や謀反はあったけれども全国的な戦いはなかった江戸幕府は、軍事力をどんどんなくし、外国勢力にも他の大名にも戦わずして負けるしかない存在となっていた。日本が植民地にならなかったのは偶然でしかないだろう。
そんな江戸時代と現代はどこが違うのだろうか。
古川柳から学ぶことはたくさんある。
柄井川柳の「誹風柳多留」全十篇の紹介はここまで。
「誹風柳多留」のまとめは以下。今までに紹介した作品も全て書いている。
タイトル画像は、長沢芦雪(1754~1799)の作品の模写。二匹の龍を描いた襖絵の右部分。
守り神としての龍は、いろいろな作者によって描かれている。芦雪のこの絵は書き殴ったような力強いタッチで描かれている。デジタルでは筆の持つ力強さをなかなか表現できない。
江戸の美術は、浮世絵だけでなく、このような肉筆画にもすばらしいものが多くある。そういうあまり知られていない作品を発見するのも楽しみの一つだろう。
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美術だけでなく、江戸時代にはおもしろいものがたくさんある。
絵と文章が一緒になった黄表紙、
五七五七七の狂歌は、川柳とは趣がかなり違う、
興味があれば私の江戸のマガジンも見てほしい。