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京伝憂世之酔醒①~こんなことあんなことできたらいいな

 あんなことがしたい、こんなことがしたいと思うのは子どもだけでなく、大人も同じ。ありえないことを夢見るのは誰でもできるうさばらしかもしれない。
 「京伝きょうでん憂世之酔醒うきよのえいざめ」は、山東京伝さんとうきょうでん作、兎角亭亀毛とかくていきもう画の黄表紙きびょうし、寛政二年(1790)刊行、全三巻。
 挿絵の兎角亭亀毛とかくていきもうは、詳細がわからないが、うさぎにツノがあり(兎角とかく)、カメに毛が生える(亀毛きもう)「兎角亀毛とかくきもう」は、ありえないことのたとえに使われる。ちょうど「黒白水鏡こくびゃくみずかがみ」(寛政元年・1789刊)の挿絵で、北尾政演きたおまさのぶとして過料かりょうをうけた後なので、京伝(1761~1816)の仮名ではないかといわれる。
 この作品の現代語訳を三回に分けて紹介する。

 


上巻
自序
老子ろうし
いわく、
信言しんげんならず、美男びなんためにならず。(真実の言葉は美しく飾られていない、美しく飾られた言葉には真実がない)
 草双紙くさぞうし(絵本)は、理屈臭りくつくさいのはたっとからず、茶化ちゃかすことをもってたっとしとする。女郎買いは、色男なるをたっとしとせず、小判を持っていることをもってたっとしとする。これこそ当世とうせいの真実なり。
  いぬの年の春  山東京伝さんとうきょうでん

 


 少し昔のころなのか、江戸京橋のあたりに京伝きょうでんという者あり。何という商売をするでもなく、浮世うきよを雲のようにふわふわと浮かびながららしけるが、今年二十七の若盛わかざかり、女郎なれば年季明ねんきあけのとしなれど、これという才能もなく、ただむなしく月日を送りけるが、女郎を買うには金がなし、女郎のヒモになるには男が悪い。むなしいなあ、みじめだなあと思いつつ、たまたま人間に生まれたからには、金もたくさんあり、男前もよければ、ああしてこうしてと、できもせぬことをさまざまに夢想むそうし、暮らしけり。
京伝「源氏物語のモテ男、柏木かしわぎじゃないけど、柏餅かしわもちのように布団ふとんにくるまっているおれだよなあ」

 


 京伝きょうでん、ある日、つれづれのあまり真崎まつさき稲荷いなり明神のあたりをぶらぶらと歩きけるが、にわかに日が暮れかかったので、急いで宿へ帰ろうとすれば、向こうから、ヒュウドロドロという音とともに、あやしき異人いじん(外国人)のような人物があらわれる。
ぜんざいぜんざい、龍神りゅうじんとも争った一角仙人いっかくせんにんの弟子の鉄枴仙人てっかいせんにんの門人の厄介やっかい仙人とはがことなり。なんじは、仙人じみたところがあるによって、今、仙人の力をさずけるなり。この薬は、仙通丸せんつうがんというものなり。これを飲めば、たちまち仙人の力を得ること、神のごとし。そうすれば、何事も自由自在で、これをこうしてみたいと思うとき、『なったりなったり』と手を三つ打つと、どんな願いでもかなうなり。手品どころの話じゃないぞえ」
と、うぬぼれながら言いつつ、仙薬せんやくさずけたまう。
京伝「いんちきの反魂舟はんごんたんを売っているような口上こうじょうだ。真崎まつさきに仙人がいらっしゃるとは今まで知りませなんだ。絵に描いた仙人は知っていますが、本物の仙人様には初めてお目にかかります。はいはい」
仙人「よくある話だから、夢か草双紙くさぞうしのウソの話と思うなよ。けっして草双紙の作り話ではないぞよ」

 


 京伝きょうでんは、厄介仙人やっかいせんにん仙薬せんやくさずかり、宿へ帰って飲んでみれば、なるほどなるほど、気分がすっきりし、いかにも仙人の力が身についたようで、なんだかうれしくなり、酒は飲めない下戸げこなので、日頃ひごろ食べたかったお菓子を仙術で出してみようと、教えのごとく、「なったりなったり」と手拍子てびょうしを打つと、いろいろなお菓子があらわれた。
そのお菓子の品々しなじなは、
桔梗屋ききょうや雪餅ゆきもち鳴門柑なるとかん塩瀬しおせ饅頭まんじゅう愛嬌巻あいきょうまき鈴木すずき小倉野おぐらの西王母せいおうぼ鳥飼とりがいのかせいた、九重饅頭ここのえまんじゅう長嶋ながしまのさざれ石、金沢の名鳥柑なとりかん、竹村の最中もなかの月、茗荷屋みょうがや浜千鳥はまちどり虎屋とらやのきんとん、海老屋えびやの京土産みやげ、松印の翁糖おきなとう
江戸に名高き珍味ちんみのお菓子、次から次へとあらわれ出れば、京伝はあきれはて、仙術のすばらしさを感ずる。
京伝「腹が減っているときに、こんなにお菓子とはおかしいおかしい。さてさて、何から食べようか」

 


 京伝きょうでん、菓子を見ながら、
「こいつはおもしろい。さらば、ちょいと外出の身支度みじたくでもしよう」
と、また、「なったりなったり」と手拍子てびょうしを打てば、いろいろ当世風とうせいふうの品々があらわれる。
まず、
ツヤのない斜子織ななこおり、上田本八丈絹はちじょうぎぬ微塵縞みじんじま唐縮緬とうちりめん黒憲法くろけんぽう黒羽二重くろはぶたえ黒龍門こくりゅうもんはかま、花色縮緬ちりめんのぱっち、壁著羅かべちょろおび黒縮緬くろちりめん風呂敷ふろしき頭巾ずきん寄せ切れよせぎれ襦袢じゅばん越川屋えちかわや煙草たばこ入れ、紙入れ、住吉屋の煙管きせる、遊女花扇はなおうぎが描いたおうぎ
すべてがあらわれければ、京伝、いよいよあきれて、言葉もなく、なまり天神様てんじんさまじゃなく、だまりの天神様なり。
京伝「厄介仙人やっかいせんにん様、あなたの仙術、いやもう、言葉もありません。あんまりのことで、目移めうつりばかりしてしまう」

 


 外出準備も最高の当世風とうせいふう、流行のファッションにできたので、日頃ひごろからうらやましく思っていた女郎買いをしてみようと、吉原は後回しにし、まずは深川あたりから始めようと、またまた、「なったりなったり」と手拍子てびょうしを打つと、まもなく家の前まで川となり、どこからともなく猪牙舟ちょきぶねが来て、「さあ、お乗りください」と言えば、京伝、今度はあきれがとんぼ返りをして、そのまま舟に飛び乗れば、舟はいっさんにこぎ行く。
船頭「さあさあ、早くお乗りください。遅いといい女はいなくなりますよ」
京伝「待て待て、待ちやれ。もちっと頭を冷やさなくっちゃならねえ」

 


 ここまでが上巻。
 こんなふうに、当時の流行の品々や人物の紹介もあるガイドブック的な面ももっていたのが当時の草双紙くさぞうしだった。というより、宣伝せんでんマンでもあった京伝がそういう紹介方法を作品の中にとっていた。
 さてさて、この後どうストーリーが展開するのか。次回につづく。

 

 

京伝が過料をうけた黄表紙「黒白水鏡こくびゃくみずかがみ」の現代語訳は、こちら、

 

黄表紙の始まりといわれる「金々先生栄花夢きんきんせんせいえいがのゆめ」の現代語訳は、こちら、

黄表紙の代表作「江戸生艶気樺焼えどうまれうわきのかばやき」の現代語訳は、こちら、

 これらの中に、他の黄表紙の紹介もあり。
 

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