江戸の川柳⑤ 晴天に持って通るは借りた傘 柄井川柳の誹風柳多留七篇
表題の句は、日常生活の「あるある」を詠んだ句。
現代の川柳の基礎を作った江戸の古川柳。
柄井川柳が選んだ「誹風柳多留七篇」の紹介、最終回。
読みやすい表記にし、次に、記載番号と原本の表記、そして七七の前句をつける。自己流の意訳と、七七のコメントをつけているものもある。
晴天に持つて通るは借りた傘
623 晴天に持つて通るはかりた傘 せつせつな事せつせつな事
晴れているのにカサを持っているのは、昨日借りたカサだろう。うん、「あるある」。
晴れた日にカサを持つのはツエがわり
これは自分自身の話。夏場は夕立があるので、カサが必要になる日が多かった。特に最近は局地的な大雨が多い。雨が降りそうな、降水確率20%以上の日はカサを持って行く。使わないにしても、ツエがあった方が歩きやすい。ああ、そんな年になったのか。ツエが必要だ。
晴れた日に神戸三宮近辺でコンビニビニール傘を持っていたら私かも。
一里塚西瓜の皮ですべるとこ
665 壱里塚西瓜のかわですべる所 せつせつな事せつせつな事
江戸時代の街道には一里(約4km)ごとに旅人の里程標として塚を作っていた。その塚を一里塚といっていた。
そして一里塚には茶店がある。そこで夏場はスイカを売っている。暑いからスイカがよく売れ、食べたスイカの皮が散らばっていて滑りやすくなっている。昔は、ぽいぽい投げ捨てていたんだな。
現代のポイ捨ては、ある意味犯罪だ。
ビンやカンやペットボトルを平気で捨てている。するとゴミがたまっていく。ビニール袋などのプラスチックは、小さくなっても分解されずマイクロプラスチックになって魚の体内に蓄積される。プラスチック入りの魚を人間が食べる。
スイカなどの食材は、アリがたかって食べ、微生物が分解し、ついには腐葉土になり土となる。江戸時代にはポイ捨てでもよかった。それと同じような考えでぽいぽいプラスチックを捨てると、地球は次第に回復不能の状態となり破壊されていく。
まあ、そういうゴミの話はまた別に考えるとして、江戸時代は、旅が当たり前になり、スイカも楽に食べられる時代になっていたのだろう。
飢饉で木の根を食べている田舎とは雲泥の差の町人の世界。
うん。川柳を創っていたのは町人なので、当時の大多数だった農民には、川柳どころか文字も読めない人がたくさんいた。そういう現実も知って、江戸の川柳を見ていきたい。
あかね裏着るうち下女も律儀なり
666 あかねうら着る内下女もりちぎ也 しわいことかなしわいことかな
茜裏は赤く染めた茜木綿の裏地の着物。田舎を象徴していた。前句の「しわい」はケチの意味だろうけど、ケチというより、田舎では当たり前の服装だ。
そういう田舎から出てきたばかりの下女は律儀者=実直でまじめな人、だというのだ。それが時間がたつにつれて……。
前述のスイカの話ではないが、田舎、農民の生活は、川柳を創っている江戸の町人からしたら別世界のことだった。別世界からやって来た娘も、いつの間にか江戸の水に慣れ、町人化していく。
繁盛な店は裾野の呉服店
673 はんじやうな見せは裾野のごふく店 ひどひことかなひどひことかな
この呉服店は、日本一といわれた越後屋。越後屋の正面には日本一の富士山がデデーンと見えたので、「富士の裾野」と言っている。越後屋は三井が経営していた呉服屋。こんなすごい店もあった。
身分社会ではあったので、士農工商と、武士の次の身分だといわれた農民が苦しい生活をし、一番下の身分の商人がぜいたくをしている。武士も商人から借金をしていた。そんな混沌とした時代が江戸時代の一面。
「誹風柳多留七篇」の紹介はここまで。
現代に続く三井財閥がここで詠われたりしている。ちなみに、623の句のように、雨の日には三井ではカサの貸し出しをしていた。サービスをすることによってお客を増やそうとしたり、富士山が一番よく見える場所に店を構えたり、現代にも通用する商売の考えだ。
それにつけても今の日本企業は……世界に対応できる企業の少ないこと。
震災の後の対応も、大きなことを実行できる政治家がいない。
江戸の川柳を見返して、現代をもっと考えたい。
古川柳のまとめは、こちら
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