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新たしく新しい秋の風景

 秋の七草の一つにハギがある。漢字でも「」、秋の草(くさかんむり)と書く。なのに最近は、「おお、ハギだ」と思って見ても、ヌスビトハギだらけになっている。
 ヌスビトハギはくっつきむしのひとつで、できた豆は人にくっついて運ばれる。急に増えてきたなと思い、調べると、ヌスビトハギだと思っていたのは、日本に昔からあるものではなく、今、増えているのは、外来の、アレチノヌスビトハギ(北アメリカ原産、タイトル画像)だそうな。
 ヌスビトは盗人ぬすびとで、こそっとくっつくくっつきむしのことだが、在来のヌスビトハギはそんなに群生はしないそうだ。辺り一面に咲いているのは、アレチノ、つまり荒れ地にたくさん生える外来のアレチノヌスビトハギだそうな。
 こんなの増えたらどうするんだ。外国からの侵略だ。抹殺じゃ~と思いながら、ふと考えると、秋の風景の一つ、彼岸花は外来種だ。キンモクセイも外来種。いつの間にか日本の風景に組み込まれている。

 ちなみに(余談ですが)、彼岸花もキンモクセイも、日本に伝わってきた品種には「」ができない。
 彼岸花は種よりも球根で増えるが、球根は自分では異動できない。人間の手を借りなければ他の土地に増えることができない。
 キンモクセイも、種ができない。こちらも、わざわざ人間が挿し木をしなければ仲間が増えない。人の手をなければ増えないのだ。それなのに、キンモクセイは日本中からあの香りを漂わせるほど増えている。人間が、それだけ彼岸花やキンモクセイを増やしてきた。

 昔は2mの群落をあちこちにつくり、我が物顔に林立していたセイタカアワダチソウも、今ではひっそり、日本の風景にまぎれこんでいるものもある。キリンソウといわれるように2m近いものもいまだにあれば、数十㎝の高さで他の草と一緒に生えているものもある。


 植物だけではない。外来種ではないが、日本語も、知らないうちに、今までなかった、まちがったものが当たり前の顔をして使われていることがある。

 タイトルにあげた言葉、「新た」と「新しい」を考えてみよう。タイトルは「あらたしくあたらしい」と読む。
あたらしい」は本来は「あらたしい」という形容詞なのだ。昔は(古文では)「あらた」という言葉があった。それに「―シイ」がくっつき、形容詞「あらたしい」ができた。しかし、「あらたしい」は言いにくいので、いつの間にか、あらたしい、あたらしいと「あたらしい」となった。「人々」の「ひとひと」が「ひとびと」となるようなものだ。
 小学生の漢字練習で、「新」の読み方は「シン」「あたら(しい)」「あら(た)」とある。教育でも認められる言葉となっている。
 こうして言葉がダジャレのように語の順番を変えることを「音位転換おんいてんかん」という。
 子どもたちが「フインキ、フインキ」というが、これは「雰囲気」を「フンイキ」ではなく「フインキ」とまちがって読んでいる。「」の漢字には「フン」の字がついているので、読み方は「フン」になる。「フインキ」は完全なまちがいだ。
 「雰囲気」を「フインキ」と読めば、テストではまちがいになる。「新しい」を「アラタシイ」ではなく「アタラシイ」と読めば、これはまちがいではない。逆に「アラタシイ」と読めば×になる。本来は「アラタシイ」であったものが、正しいものがまちがいとなり、まちがっていたものが正しくなっている。

 こういう音位転換の語としては、「山茶花」サンザカ→サザンカ、「舌鼓」シタツヅミ→シタヅツミがある。「茶」は「茶道」の「サ」だし、「鼓」は、ポンポンと鳴らす「ツヅミ」だ。この本来の読み方が、いつの間にか間違った読み方が、正しい読み方になってしまった。
 「秋葉原」(アキハバラ)も、もとは秋葉(あきば)の原っぱなので「アキバーハラ」だった。アキバハラが言いにくいので、アキハバラとなり、それが地名として固定化してしまった。

 まちがいが正しくなる。帰化植物も、長年生えていればその国の風景となる。
 それでも、くっつきむしのアレチノヌスビトハギがふえて、ズボンに豆がいっぱいくっつくのは、ちょいとごめんこうむりたい。
 

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