ニホンタンポポが隙間時間に花を咲かせ春になる
ニホンタンポポはセイヨウタンポポに押され、住む場所をなくしていった。けれど、散歩しているとニホンタンポポが花を咲かせようとしているのを見つけた。
冬の間、草が枯れて、枯葉でゴミ置き場のようになった地面に新しい草が生える。その草が背を伸ばす前に、他の草よりも早く背を伸ばし、背が伸びる前から蕾を膨らませ、花を咲かせ、次世代への種を作ろうとしているニホンタンポポ。ニホンタンポポが最初の種を飛ばした後には、他の草が大きくなり、タンポポの姿を隠してしまう。ほんのわずかの期間に、ニホンタンポポは花を咲かせ、種をつける。
横を通る期間が少しずれていたら、今年はニホンタンポポに会うこともなかった。
チャンスはほんの少しの間だけ。
ニホンタンポポも、そのわずかの時間に命をつないで、今日まで生きてきた。
いつも通る道で、ちょっと横を見るとツクシがたくさん生えていた。いつ芽を出したのだろう。いつも通っている道なのに、全然気がつかなかった。こんなにたくさんツクシが生えているなんて知らなかった。
注意をしなければ気がつかない場所で、人目をさけながら、ツクシは生き続けている。
昔はツクシをよく食べた。ツクシ全部を丸ごと食べる料理もあるけれど、ハカマを取って、ボウシを取って、茎だけを食べていた。子どもの頃は、ツクシのハカマとボウシを取るのが自分の仕事だった。ハカマのついたツクシは、スジをとらないエンドウマメのようだ。ツクシは、おひたしにしたり、卵とじにしていた。
そうそう、タンポポもよく食べた。葉っぱもサラダにできるけれど、根っこをキンピラにしていた。根っこは大きくないから、タワシでこすってヒゲ根を取って、水にさらしてアク抜きをする。けっこうな量を取らないと料理できない。ツクシはつむだけだけれど、タンポポは根っこだから、スコップを持って掘らなければならない。
そんな手間暇をかけていると春を感じる。野性的な味がする。
野趣のある野菜といえば、近頃セリをよく買ってくる。店の商品はあんまり量がないので、薬味として味噌汁に入れる。水栽培の人工的なセリではあるが、野性的な味が口の中に広がる。そんな味がなつかしく感じられる。
寒さの残る北の地でも、水辺でセリがやっと芽を出してきた。栽培品よりもっと野性的な味のセリがこれから育つ。
自分が生きる場所で、自分が輝く時間に、春がいたるところで自己主張している。