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COUNT DOWN TVに多分私は救われたのだと思う。

COUNT DOWN TV(CDTVサタデー)が先週で終了したことをネットニュースで知る。

そんな折、探しものをしていて引き出しを開けたら、昔のノートが出てきた。
1995年7月末から1996年3月にかけて、ただただCOUNT DOWN TVのCDランキングトップ10を書き記したものだ。
そう、CDTVはそのあたりから学校に行けなくなってひきこもりはじめた私の毎週の楽しみだった。そう特に何もなかった私はこの時間を心待ちにしていた。

そのころから、音楽というものに興味が出てきて、はじめてCDも買ったりした。多分、はじめて欲しいって思って買ってもらったのは小沢健二さんの「戦場のボーイズ・ライフ」で。少しずつ学校に行けなくなってたとき、「強い気持ち・強い愛」や「ドアをノックするのは誰だ?」のシングルCDを買ってもらっては、頑張って学校に行ったりしてたね。なんてことを思い出す。その頃好きになったもの。Mr.ChildrenだしL↔︎RだしTO BE COUTINUEDだし。

体育祭が終わったと同時に完全に学校に行けなくなって、私のひきこもり生活がはじまった。でも月2回だけ隣の町のアピタまで母に連れて行ってもらっていた。その頃週休2日制が始まってて、第2第4土曜日に。そのアピタ内の新星堂で小沢さんの「LIFE」をこの手にとった形ではじめて買ったのだとか。
母が買い物をしている間、ずっと新星堂か隣の本屋さんにいて。並べられたCDをずっと見ていたり、店の外に貼られた新譜の情報を見るのってなんかとても好きだった。今思えばそこの新星堂は小沢健二推しだった(96年発売のアルバム(最終的に「球体の奏でる音楽」になる)発売日がどんどん伸びていくのを事細かにポップで知らせてくれたり(確か5月→7月上旬→7月下旬→10月16日発売!)、この片田舎で「ある光」のレコードとかも入荷してたし、「刹那」発売時に大々的に並べられてたこととか思い出して。)。wyolicaもコメント付きで面にしてくれてたっけな。と、時代が先に進みすぎた(2000年代前半だけど)。

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あの頃の私はランキング至上主義だったし、写真のように「さよならなんて云えないよ」15位ってのはやっぱショックだった。そう好きなアーティストの新曲が出た週は、CDTVをものすごくドキドキしながら見ては、結果にものすごく一喜一憂していた。なんだろう?それこそこの「さよなら」15位のときとかは胸が張り裂けんばかりだったし、1年後の「夢が夢なら」初登場31位とか、幻でも見たかのように、ぼんやりしていた感じだった。PVの京都にいる小沢さんがぼんやりと消えていく笑。


そうバカみたいな弦担ぎをしながら、番組を見てた気がする。
好きなアーティストが売れなくなったときに自分のせいだって思うくらい、私は自己愛を肥大させては、自分を責めていたとか、思い出す。
何が私にこうさせたのかなぁとかは思うのだけど。

ランキングを書き記すことはなぜか96年3月で終わっている。どうしてやめたのかは覚えていない。それからもずっーとCDTVは見続けていたし。いつ頃見なくなったんだろ?2000年代は見てたような気がするのだけど。

CDTVの思い出。Dragon Ash初登場時、マイク逆に持って歌うKj。そのときはあまり気にしてなかったのだけど笑。このときいい歌ってなって、CD買ってそれ以来ずっとファンなんだからわからないもので。


恋人にしたいアーティストランキング!年に2回あったはずで。多分96年はじめのランキングでB’z稲葉さん、ミスチル桜井さんに続いて小沢さんが3位だったこととか。

THE BOOMが「風になりたい」をゲストで歌ったとき、確かスタジオ収録じゃなくてライブ会場の映像だったかなんかで歌の途中で「沖縄!」って叫んだこととか。←これはいったい私は何を覚えているのだ。

その月に発売される新曲を紹介するコーナーで、GRAPEVINEの「白日」が流れたときに何者!?って思ったこととか。まだそんなランキングに出てきてなかったと思うし、私がバインを好きになるのは「羽根」の頃からだった。

なんだかんだでこんなことばかり思い出すけれど、毎週土曜日の深夜ずっーと見ていたのは確かで。ひきこもってた時期は確実に。そんな番組が終わることに(CDTVライブ!ライブ!は続くとしても)、感慨深くなる。
今はない、あの小沢さんのランキングを待つ死にそうなほどドキドキした時間と、新しい音楽を知る楽しい時間をありがとうございました。

思わずそんなことを書いてしまった夜です。では聴いてください。小沢健二最新シングル「ウルトラマン・ゼンブ」!!




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