泡沫夢幻
今年4月末、退職をした。春から新型コロナウイルスの影響で不要不急の外出を控えていた暮らしが、さらに連休明けには仕事に行くこともなくなった。
まだ離職票が送られて来ずハローワークに行けてない。行ったらきっとかなり密なんだろう。就職支援会社も面談出来ない状況で、今は専ら自宅警備員をしている。
最終日には同僚仲間も別のテレワークをしていたから、会って十分な挨拶をすることもなく終わってしまった。会社によくある夕方の辺りの退職の挨拶、今年は退職者の多くの方が静かに去っていったことだろう。それも、自粛のためには仕方ない。
さてこれからどうするか? 私の年代は63歳から厚生年金の部分支給が始まるが、そうはいってもリタイアできるものではなく、毎月の生活費を得るためには再就職をしないといけない。高年齢からの再就職ではキャリアが大事かもしれないが、ここは暫くこれまでの仕事のことはリセットしてみて、じっくり考えてみたい。しかし、つくづく思うのは、過ぎてみると勤務何十年なんてあっと言う間だったという事である。
嬉しい事に、連休には娘が定年祝いにとスパークリング日本酒を持って来てくれた。八海山のあわ。泡沫が心地よい刺激を与えてくれ、フルーティな香りが漂う。口あたりがよくて淡麗で美味しい。そしてラベルの製造年月日に記された2月19日は何と私の誕生日と言う奇遇に驚いた。
よく人生はあわの様なものだと例えられる事がある。刹那な人生だからこそ1日1日その時が大切という気持ちは過ぎた年月を振り返ってみて強くなる訳だが、後に残された人生を大切に生きることが尚更肝心だと思う。
「泡沫夢幻」と言う言葉は、もののはかなさを表している。この言葉が出てくる小説に泉鏡花の「麻を刈る」がある。泉鏡花は北陸の出身で、東京に出て尾崎紅葉に師事し、明治後期から昭和初期にかけてロマン主義の作品を書いた。「麻を刈る」には俥(人力車)がよく登場する。鏡花は北陸への帰省にも俥を使い、その紀行文的な内容になっている。
鏡花は小遣銭があると、江戸の町を浅草、銀座、上野と俥で流していたということが書かれており、以下はその文中より引用した。
「實は一寸下りて蕎麦にしたい處だが、かけ一枚なんぞは刹那主義だ、泡沫夢幻、つるりと消える。」
かけ蕎麦一枚はすぐに食してしまうので、コスパを考えて大福や金鍔(きんつば)を袂に忍ばせたのを、車上でひょいとやるというくだりが記されている。さしたることもない情景をロマン主義ならではの描写で、テンポよく、読むうちに心地よくなってくる。
引用:泉鏡花「麻を刈る」1926年
(えあ草子工房より: 泡沫夢幻の記載は38頁)
https://www.satokazzz.com/airzoshi/reader.php?action=aozora&id=50768
(画像:八海山あわ)