「ドキュメンタリー制作は社会科の授業」ーー里見繁教授インタビュー
2021年度いっぱいで関西大学を退職される里見繁教授(社会学部社会学科メディア専攻)は、毎日放送での経験やノウハウを生かし、学生たちにドキュメンタリー制作を指導してきた。テレビ局員時代にドキュメンタリー制作に打ち込んだ経緯や、これまでの教員生活を振り返ってもらい、里見教授の人間味溢れる興味深いお話を伺った。
――毎日放送へ入社し、報道部記者となってからテレビドキュメンタリー制作一筋になった経緯と心境を教えてください。
もともとは新聞記者になりたかったけど新聞社に受からず、一般職で毎日放送へ入社した。テレビ局に受かったときはジャーナリストではなく、ドラマのディレクターになろうと思っていた。最初は人事局へ配属され、その後2年間我慢すればドラマのディレクターになれるはずだった。でも、僕が入った翌年ごろに『MBSナウ』という夕方の長いニュースが始まることになって報道へ引き抜かれた。初めは嫌々だった。警察記者、行政記者となった後、25歳ごろにドキュメンタリーを作らせてもらう機会があった。自分にドキュメンタリーの仕事がハマったんでしょうね。ドキュメンタリーは原稿も書き、カメラマンと取材にも行って指示を出し、映像も編集する。ある意味ドラマよりも全部自分でできた。ドラマを一から作っていたのはチャップリンぐらいで、テレビ局のドラマは自分だけではできない。だから、ドキュメンタリーは自分の想いを伝えるという意味では、一番幅広くできるものだった。ディレクターは分業の中の王様みたいな仕事で、その責任も全部自分で背負うやりがいのある仕事だった。その仕事が好きになり、人事異動も極力断ってドキュメンタリーを作り続けた。本当は自分がしたいと思うドキュメンタリーだけを作りたかったけど、毎日放送40周年や50周年の大掛かりなものも引き受けた。わがままだったけど会社の役には立っていたと思うよ。
――関西大学で教授をするようになった経緯を教えてください。
一言で言えば、60歳で定年後の再就職かな。もともと先生になりたかったという志があったわけではなかった。自分が毎日放送で取締役にもなれないと分かり、60歳から70歳をどこで過ごすかと考えたとき、ドキュメンタリーができなくなっても何か本を書く環境として大学が適していた。他の小さな大学も決まっていたけど、関西大学のほうがドキュメンタリーをそのままさせてもらえるので選んだ。僕はそんなに器用ではないし、修士号もないので、「〇〇論」なんておこがましいじゃないですか。だから今も実習とゼミと講義科目(映像コミュニケーション)だけを引き受けていて、例えば「ジャーナリズム論」とかは教えていない。ちょっと極端だけどこんなことを会議で言ったことがある。例えば昆虫学者がいるじゃない?昆虫学者は昆虫の研究をして、その生態をみんなに教える。昆虫のことは昆虫学者がしゃべればよくて、昆虫は昆虫のことをしゃべれない。僕はジャーナリスト。昆虫そのものなんだよ。だから、ジャーナリズム論は自分にはできない、と。
――研究課題を「日本の冤罪」とした理由を教えてください。
冤罪は法治国家として一番あってはならないことなのに、日本って意外と冤罪が多くある。みんなは裁判所や検察を無条件で信じているかもしれないけれども、日本の裁判所は政権に忖度している組織で三権分立をしていないし、冤罪を防ぐ努力をしていない。
国家の治安のためには犯罪者を絶対に捕まえなければならないが、99%の有罪率を守るために本当は何パーセントかある冤罪を見逃してもいいやという気持ちに最高裁判所がなっているとしたら、ジャーナリストが告発していかなかったらとんでもないことになってしまう。
――正義感から冤罪を研究し始めたのですか?
正義感といえばかっこいいけど、そんなもんではなく、1986年に大阪府高槻市で選挙違反事件があって、147人が1人残らず噓の自白をさせられたことを1991年にドキュメンタリーにした(MBS特集『全員無罪~147人の自白調書』)。ドキュメンタリーにする前は、核になる事実があったのではないかと思っていたが、調べてみると狭い取調室で捜査員に脅され、嘘の自白をしていってしまったと分かった。後に147人全員が無罪になるが、日本の捜査機関のこれを犯人と決めたときに逃がさない仕組みってとても恐ろしいですね。このドキュメンタリーの制作をきっかけに、冤罪に向き合っていこうと思った。
――ドキュメンタリー映像の制作を通じて、学生に伝えたかったものは何ですか?
ドキュメンタリー映像の制作は社会科の授業だなと総括している。大学に入って本を読んだり、実習をしたりといろいろな勉強をすると思うけど、ドキュメンタリーを作るってことは社会を見て、自分で取材、撮影をしてそこで何があったかを人に伝えることで実社会を知ることができる。だから、社会科の勉強としてこれ以上のものはないかなと今は思う。
なかなか放送局時代のようにはいかないけど、学生に教え続けて現場に行かせる理由は、社会人になる前に社会を知っておきなさいよってことだよね。
――指導された学生たちが「地方の時代」映像祭で優秀賞や奨励賞を9年連続で受賞したように、優秀な作品を多く生み出しています。映像を制作する上で学生に大切にしてほしかったことや、注意してほしかったことはなんですか?
毎日放送では最後の年までドキュメンタリー制作に携わり、「良い作品」を作ることを責務としてやってきた。でも、学生に求めるのは作品ではなく「作る過程」。学生が作るドキュメンタリーはその制作過程が勉強になっていれば実は番組は出来上がっていなくてもいい。「地方の時代」映像祭の作品は1月に発表会を行い、見込みのある作品はもう一度作り直してもらっている。半分以上の作品はそこで終わりだけれど、そこまでが彼らの勉強。映像祭に出品するいくつかの作品については仕切り直しで、そこから僕は原稿や映像にも手を入れたり、再取材を指示したりと厳しい指導を行う。「地方の時代」映像祭に出すということはおまけのようなものであって、完成作品を作るというよりは、学生たちが何を取材して何を大人から受け取り、自分はどういう映像の切り方をして、どのようなことを世に問うのか、という「社会科の授業」をやってくれたら、極端な話作品ができていなくてもいいと僕は考えている。
――具体的に学生にどのようなアドバイスや指示を出して指導されていましたか。その際苦労されたことはなんですか?
インタビューをするということはインタビューを受ける人と同じ社会経験の広さや知的レベルを要求される。学生たちには「インタビューを受ける人からも自分を見られている」ということに気づいてほしかった。インタビューとは、知らないことを人に聞きに行くという考えではなく、「相手の人と対話」をするということ。そのために、取材をする学生は準備をしていかないといけないけれど、実際はそこまでできていない。例えば、LGBTについて守如子先生にインタビューに行ったとしても、授業の内容を教えてもらっているだけで討論できていない。取材を受ける人と話し合える土俵に立つために基本的な勉強をしていかないといけないのに、そこまでできていない学生が多いと感じる。
――なぜインタビューをするまでに万全の準備ができていない学生が多いと感じるのでしょうか?
君たちがまだ子どもだからかな。大学教員になった当初は「俺の学生時代と同じようなことを考えているヤツがいるか?」と思っていたけれど、実際に会う学生たちは高校生に見えた。課題や授業は真面目にやるけれど、「大人になっていないこと」が物足りなかった。そのことを最初の1、2年間はすごく感じて戸惑い、付き合い方を変えないといけないと思った。中には友人のようにお酒を交わす学生もいるけれど、多くの場合、僕は学生の「お父さん」になってしまう。心のどこかで飲み友達を探しているのに、来る学生は全部子どもになっている。嫌ではないけれど、学生たちは自分の子どものように接して来るから、お父さんの役をしないといけないんだなと思った。自分は高校の先生なんだって思うことにしてからは、違和感なく学生たちと付き合えた。
――11年間の大学教員時代を振り返ってもっとも印象に残ったことなどはありますか?
僕が大学の先生になったとき、いろんな先生が教えてくれたことが「大学の先生は3つの仕事があって、一つは教育、一つは研究、一つは学内事務。これらは3分の1ずつやりなさい」ということだった。でも学内事務は能力もないし一生懸命にやった記憶はない。まあ委員にあてられたときはやったけど。仲間の先生にとっては迷惑だったかもしれない。研究は冤罪の本を書くことを続けていたからやっていた。教育は学生に一生懸命付き合ってきたからやり遂げたと思う。コロナ禍でちゃんと付き合えなかった1〜2年の心残りはあるけれど、それまでは学生とは公私ともに向き合えた。これは僕の財産である。ゼミ生に振り回されることもあったけれどちゃんと付き合ってきた。
――いまの大学生に伝えたいこと、もしくは助言はありますか?
もっと政治に関心を持ってほしい。このままだと日本はどうなるのかと思う。今の政治状況でなぜそんなに黙っているのか僕からみんなに聞きたい。民主主義が守られていると君たちは思っているのか。今の君たちでは外国の若者たちと話したとき話が合わないと思う。彼らは自分の置かれた状況に敏感である。
大学生に伝えたいのは、もっと自分の国の政治、世界の状況に関心を持って発言をしてほしいということ。選挙に行くという行動だけでなく、社会に不満があってもしょうがないという気持ちはダメ。しょうがないではないし、きっとそんなに社会は悪くないと思っている面があるのも、すごく悪い。この2年間のコロナ禍で分かっただけでも日本は医療先進国と言われていたことは嘘で、経済の復興も遅れている。日本の社会状態はものすごく悪く、GDP世界3位だとか思っているけど日本より文化的に遅れている国はヨーロッパではほとんどない。日本がGDP世界3位なのは本当なのか。スウェーデン・フィンランドの北欧や、イギリス・フランス・イタリアにも完全に負けている。日本は知らない間に経済大国どころか、中級国家にしかなれない状態に陥っている。報道の自由度もものすごく低い。学生のみんなは外に出ていろいろ見てみたほうがいいし、選挙にも行ったほうがいい。嫌なことがあれば学生運動じゃなくても、もっと動く方法はある。君たちが変えないと社会は変わらない、とすごく思う。あまりにもありきたりのことだけど、もっと外を見て活動をしてほしいと思う。
(取材・執筆:青木辰郎、大葉祐子、小林未南、中江未侑)
里見繫(さとみ・しげる)教授
1951年生。東京都立大学法学部卒業。1974年より毎日放送へ入社、報道部記者になる。
2009年に再審の開始が決定していた「足利事件」と「布川事件」、この2つの事件をとりあげた、ドキュメンタリー『映像‘09 逃げる司法』で日本の冤罪の構造を解き明かす。
2010年に関西大学教授になる。主な担当授業は映像コミュニケーション、映像応用実習、など、担当するゼミの学生が制作したドキュメンタリー映像が「地方の時代」映像祭で優秀賞・奨励賞など連続受賞(計13作品)。