選手から学生コーチに転向した部員~学生コーチの役割とやりがい~
大学野球部のグラウンドには、監督のように指示を出す学生がいる。「学生コーチ」と呼ばれる彼らの仕事は、練習メニューの提案、ノックを打つこと、練習の雰囲気づくりなどだ。関西学生野球連盟には関西大学の他に、関西学院大学、京都大学、近畿大学、同志社大学、立命館大学が加盟しているが、すべての大学に学生コーチが存在する。現在、関西大学硬式野球部には193人の部員が在籍し、すべての部員が同時に一つのグラウンドで練習することが難しい。部員によって講義の時間割が異なり、平日にチームが一つにまとまることが難しく、朝、正午、昼間、夕方、夜の5チームに分かれている。そのため、それぞれのチームに担当の学生コーチが配置され、監督は学生コーチから選手のコンディションなどの情報を共有してもらう。練習時間外も一緒に過ごし、選手の性格も分かる学生コーチが監督と選手の間に入って連携を図ることで、チームの活動を円滑に行うことができる。そのため、大学野球部において、学生コーチの存在は欠かせない。
グラウンドでノックを打つ学生コーチ、岩田圭市さん(本人提供)
少人数のチームから大所帯のチームへ
関西大学硬式野球部の学生コーチである岩田圭市さんは、小学校4年生から地元のチームで本格的に野球を始め、中学3年生の夏大会では大阪府の大会で優勝をしている。しかし、部員の少ないチームでしかプレーしたことがなく、「大人数で強いチームの中に飛び込んで、自分の力を試したい」と思うようになった。大学野球の強豪校である関西大学に進学するため、併設校に進学した。高校では1年生の秋からレギュラーとして活躍したが、副キャプテンとして挑んだ3年生の夏の大会は初戦で敗退した。試合後、高校野球での不完全燃焼から、ロッカールームで着替えをしている時に、大学でも硬式野球を続けることを決めた。
関西大学に入学し、硬式野球部に選手として入部した。関西大学硬式野球部の練習は朝、昼、夜の3部に分かれ、1部当たりの練習時間は2~3時間ほどで高校の部活よりも短い。さらに、3部に分かれたとしても、高校の部活より部員数が多い。そのため、全体練習での守備機会や打数などは高校時代よりも時間が短くなり、指導者からつきっきりで技術指導を受けることもなくなった。
それゆえに、全体練習時に十分な練習ができない大学野球部では自主練習が必須となる。実際、岩田さんは自主練習として、全体練習後にティーバッティングやウエイトトレーニングなどを部室が閉まる22時近くまで行い、技術向上に努めた。
打席に立つ選手時代の岩田さん(本人提供)
選手から学生コーチになった経緯
大学1年生の冬ごろ、岩田さんは早瀬万豊監督から学生コーチの候補に選ばれた。数多い部員の中から選ばれたのは、「練習に取り組む姿勢が非常に積極的で、周りも見えている」と早瀬監督が感じていたからだ。結局、この時は誰が学生コーチになるか決まらなかったが、2年生の秋、同級生の部員が学生コーチに転向した。その年の冬に、もう一人学生コーチが必要と感じていた早瀬監督から「岩田、学生コーチどうや?」と声をかけられた。岩田さんは「まだ選手をしたいです」と監督の誘いを断った。しかし、岩田さん以外に学生コーチを任せられるほどしっかりした同級生がいなかったため、先輩や同級生からは学生コーチになることを勧められた。当時、岩田さんはとても調子が良く、この調子だと所属していたCチームからBチームに昇格できるのではと考えていたため、学生コーチになることを躊躇ったと振り返る。
2021年4月下旬、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、部活動も自粛期間が始まる。春季リーグ戦は開催されていたため、メンバー登録された限られた部員と、学生コーチを小分けにして練習が行われた。また5月下旬からは、実戦経験が少ない1、2年生で戦うチャレンジトーナメントのメンバーを対象とした練習も始まった。時間や人数の制限があるなかで、練習をしなければならなかった。
この期間に、早瀬監督は「改めて学生コーチの重要性に気づいた」という。制限があるなかでも選手が成長していくためには、学生コーチが自分の時間を割き、練習メニューを組み立てる必要があったからだ。一方で、現在の学生コーチだけでは負担が重くなっているとも感じていた。そこで新たな学生コーチを探していたところ、改めて岩田さんに白羽の矢がたった。早瀬監督が学生コーチの大事な要素として考える「自分のことよりも周りやチームのためのことを思って行動すること」が岩田さんにはできていたからだ。自粛期間で練習がなかった岩田さんは早瀬監督から連絡がきた時に「学生コーチの打診だろうな」と分かっていたという。気持ちの整理ができないまま、久しぶりのグラウンドで「誰でもできる役職ではないから、学生コーチも楽しいと思うぞ」と早瀬監督から声をかけられた。岩田さんは、その場で決断することができず、「一度家に持ち帰らせてください」と答えたが、3日間考えた末に学生コーチとしてチームに貢献していくことを決めた。両親と相談したときに、「誰でもできることではないし、任せてもらっているから頑張ったらいいと思う」と前向きな言葉をかけられたことも大きかったという。
学生コーチになってからの変化
選手の練習は3部に分かれているが、学生コーチはすべての練習に参加することもある。そのため、練習に参加する時間は選手時代よりも増えた。帰宅後ソファーに座ると、そのまま寝てしまうことがしばしばあり、長時間の練習にも耐えられる強い身体を作るために、学生コーチになった今でも自主練習としてウエイトトレーニングに取り組んでいる。
試合の攻撃中は、学生コーチがランナーに対して指示を出す3塁コーチを担当する。ランナーをホームに進めるかどうかの判断をする3 塁コーチは、チームの得点に直接かかわる重要なポジションだ。岩田さんは試合中に、バッターやランナーが「状況に応じたプレーができていないと感じたことは、その場でメモをして試合後に選手に伝えている」という。例えば、内野ゴロさえ打てば1点入る状況にも関わらず、遠くへ飛ばそうとバットをブンブン振り回していることなどが目に付くようになった。学生コーチとして野球を客観的に見るようになって、「今まで自分がしてきた野球がただ打って、守って、走っての野球で、頭を使って取り組めていなかった」と気づいたという。
学生コーチは監督、選手ともに話しやすい立場になり、密にコミュニケーションをとっている。そのため、選手から監督に聞きにくい些細な相談を受けると、監督の考えを踏まえて応答する。例えば、新しいポジションに挑戦している選手は「場面ごとの守備の立ち位置をどう変えたらいいか」と相談を受けたときに、選手時代の経験を活かしてアドバイスをする。他にも選手から「この場面で外野にフライが上がった時に進塁するべきか、止まっておくべきか」と相談を受けると、監督に聞いた考えを伝えている。岩田さんは、監督には聞けないような、選手の迷っていることや素朴な疑問を監督に聞き、学生コーチから選手へ伝えている。そのため、監督と選手たちの認識の違いを埋めることも重要な仕事だ。
学生コーチのやりがい
試合に出ることができた選手時代は、ヒットやホームランなどの成績が、やりがいにつながった。学生コーチにはそういったわかりやすく目に見える結果がない。しかし、岩田さんは選⼿の特性を⾒抜いたり、選⼿の得意なプレーと戦略が噛み合う状況を見つけることができたときに、「親心のような嬉しさを感じることができる」という。
大学で野球を辞める部員は少なくない。だからこそ、岩田さんは「大学野球の4年間を濃いものにしてあげたい」と考えている。選手たちの一日一日の練習を充実させて、「今日の練習よかったな」と選手から思ってもらえるように、「野球に打ち込める環境を作ってあげることが役目だと思って活動している」と語った。岩田さんは選手の成長を喜ぶことや、選手に対する気配りを欠かさない。これは早瀬監督が学生コーチの大事な要素として挙げた「自分のことよりも周りやチームのためのことを思って行動すること」そのものである。
学生コーチになって選手との距離感が変わったかと聞くと、「学生コーチになった今でも、気持ちは選手のまま。選手と話しにくくなったことはない」と答えてくれた。学生コーチになって指導する立場に変わったが、選手の時の気持ちも忘れない。選手を経験したからこそできるアドバイスも多い。選手の悩みを理解できる一面と、コーチとしての一面を兼ね備えた学生コーチの特徴を活かし、今日も岩田さんはグラウンドを駆け回る。(青木辰郎)
KAISERS BASEBALL FIELDにいる岩田さんと筆者