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堺市にある世界最大級のアルフォンス・ミュシャ美術館

ビルの中のミュシャ美術館

 大阪府・堺市駅から歩いて3分、高くそびえるツインビル「ベルマージュ堺」弐番館の2階に、堺市立文化館アルフォンス・ミュシャ館の入り口がある。ビルの一角にあるために一見すると美術館らしからぬ雰囲気だが、アルフォンス・ミュシャ作品をおよそ500点収蔵する、世界最大級のミュシャ美術館だ。2階部分は受付とミュージアムショップになっており、展示室は3階と4階にある。ポスターから油絵、彫刻、ミュシャがデザインした紙幣や切手まで多彩な作品が展示されている。4階には図録などの書籍が閲覧できるコーナーもあり、ミュシャの知識を深めることができる。

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 2020年10月17日、ミュシャ館ではミュシャ生誕160周年を記念して、広島県立美術館館長および成城大学名誉教授である千足伸行氏による講演会「アルフォンス・ミュシャ:ベル・エポックの寵児」が開催された。会場には年配の人を中心に数十人が集まった。
 アルフォンス・ミュシャは19世紀末から20世紀初頭にヨーロッパで花開いたアール・ヌーヴォー様式の代表的画家である。サラ・ベルナールの演劇ポスター《ジスモンダ》を手がけたことで一躍有名デザイナーとなり、数々の商業ポスターを制作し、人気を博した。千足氏の解説によると、ミュシャのポスターでは煙草や自転車といった商品そのものではなくそれを楽しむ美しい女性に焦点が当てられていることが特徴だという。商品の魅力が伝わるようポスターごとにさまざまなタイプの女性が描き分けられている。
 晩年には、出身地のチェコスロヴァキア(現チェコ共和国)に戻って全20作品からなる大作《スラヴ叙情詩》の制作に取り組んだ。ミュシャは当時国際的に弱い立場だった祖国やスラヴ民族への愛情を抱いていた。オーストリア=ハンガリー帝国に支配されていた祖国にチェコスロヴァキア共和国が建国されると、切手や紙幣のデザイン、プラハ市民会館の市長ホールの装飾をほとんど無償で請け負った。ミュシャの絵は同時代(明治時代)の日本でも人気があり、文芸誌『明星』の挿絵や表紙に彼の絵の図柄や彼の作風に影響を受けた絵が使用されたこともある。堺市出身の歌人・与謝野晶子の初歌集『みだれ髪』の表紙絵にも影響を与えた。

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土居君雄氏のミュシャ・コレクション

 チェコ出身でヨーロッパやアメリカで活躍していたミュシャの美術館がどうして堺市に存在するのか。堺市博物館研究報告第31号「土居君雄氏によるミュシャ・コレクション収集の経緯と目的」によると、株式会社ドイの創業者である土居君雄氏(1926-1990)が約30年に渡ってミュシャのコレクションを収集している。土居氏は1960年頃旅行先の市で偶然土産としてミュシャのポスターを購入し、それを夫人である土居満里恵氏に見覚えがあると言われたことがミュシャを知るきっかけとなった。1970年以降、写真術の観点からアール・ヌーヴォー時代の作品に関心を持ち、パリでのミュシャのポスター作品を中心に作品を収集した。1970年代後半にはコレクションした作品を一般公開することにも関心を持ち、ミュシャの息子であるイジー氏とプラハと日本に一館ずつミュシャ美術館を建設するという夢を共有し、家族に話していた。イジー氏と出会って以降はポスター以外の作品も含む系統立てたコレクション収集を行い、1978年にはイジー氏の協力を得て東京で日本初となるミュシャ単独の展覧会「アールヌーボーの花―ミュシャ展」を開催した。チェコスロヴァキア(現チェコ共和国)と日本との文化交流に貢献した功績から、1989年にチェコスロヴァキア文化功労最高勲章が土居氏に授与された。彼の没後、そのコレクションが遺族より土居夫妻が新婚時代を過ごした堺市に寄贈(一部購入)されることになった。
 土居氏の思いが現在もコレクションと共に受け継がれている。ミュシャ館が現在のベルマージュ堺に入ったのは2000年。1994年より堺ポルタスビル16階のアルフォンス・ミュシャギャラリーにて展示され、当時はチェコの建築家にミュシャ美術館、晶子記念館、先人記念館が一体になった複合文化施設の設計を依頼する構想が持ち上がったが、適当なテナントが見つからず、財政難のため実現しなかった。堺市立文化館オープン当時は現在ミュシャの作品が展示されている3、4階フロアのうち、4階部分に与謝野晶子文芸館が併設されていた。現在でも交流は存在し、今年3月の展示「ミュシャと挿絵の仕事」ではさかい利晶の杜に移動した与謝野晶子記念館から『明星』のレプリカを借りて展示した。

堺市ミュシャ館の今

 堺アルフォンス・ミュシャ館学芸員の川口祐加子氏は、普段展覧会などイベントの企画・運営や作品の管理、来館者への案内・解説などを行っている。川口氏によれば、現在、ミュシャの作品の管理や企画展の運営は主に堺市文化振興財団が行っているという。取材当時、開催中の展示企画「生誕160年記念 アルフォンス・ミュシャ 創作の軌跡」も担当した。

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 「ミュシャ館の魅力は、作品をたくさん持っていることです」と、川口氏は語る。美術館によっては作品をあまり所蔵しておらず、レンタルによる巡回展が主のところもある。作品を持っているというのは美術館の特徴を出す上で大切なことだ。作品がいつもその美術館にあることの意義も大きい。「これは受け売りですが、美術館の役割は作品を見せて紹介することの他にも、時間が経ってからもう一度同じ作品が観られる場所であるということがあると思うんです。昔観た作品をもう一度観て、自分の考えが変化したり以前観た時と今の状況が変わっていたりすることに気づき、作品を通してその人の人生、思い出を振り返ることができます」。また、大きな美術館に比べると作品をゆったり見られることも魅力であるという。特に平日は時間帯によっては、壁一面に展示された大作《ウミロフ・ミラー》など、様々な作品を独り占めで鑑賞することが出来る。
 ミュシャ館では年間を通してさまざまな企画展を行っており、例えば2020年には「世紀末のパリ―ミュシャとポスター」「ミュシャ館―公式作品集出版記念展―ミュシャと挿絵の仕事~STORY~物語の世界」「生誕160年記念 アルフォンス・ミュシャ 創作の軌跡」「ミュシャとアメリカ」の4つの企画が開催された。1回の企画展ではおよそ70~80点を展示し、作品の劣化を抑えるために1度展示した作品はその後1年間は展示しない。そのため展示する作品が被らないよう、事前に職員同士が話し合い、1年分のスケジュールを組む。作品数には限りがあるので以前の企画と被るところは出てくるが、常連の来館者のためにも、なるべく前とは違う切り口の展示を行っている。
 充実したコレクションで様々な企画展示を行っているミュシャ館だが、美術館の環境に関する問題も存在する。展示スペースに十分な余裕があるわけではなく、《ウミロフ・ミラー》など大型の作品は展示の仕方が限定されてしまっている。また作品の保管という点でも、建物が美術館としてつくられたものではないため空調設備も専用のものではなく、温度・湿度の管理が難しい。川口氏は「できたら作品のためにも、美術館はあった方が良いです」と語るが、美術館の建設は所蔵作品などに合わせてオーダーメイドで行う必要があるため時間も費用もかかり、難しいという。
 もう一つの問題は、職員が非常勤雇用であることだ。現在、ミュシャ館の学芸員の任期は5年である。長年同じ作品に接することで分かってくることもあり、本来は学芸員が任期無く雇用され、同じ作品をずっと見続けることが作品研究にとって望ましい。ミュシャ館では学芸員が短期間で入れ替わるために作品が入った経緯などの知識が蓄積できていない。

堺市ミュシャ館のこれから

 市の予算不足から課題を抱えるミュシャ館だが、近年人気は向上してきている。2017年に東京の国立新美術館で開催された「国立新美術館10周年 チェコ文化年事業 ミュシャ展」来場者数が当年の展覧会の中で1位に輝き、ミュシャの知名度が大きく向上した。それにともない作品を貸し出した堺アルフォンス・ミュシャ館の知名度も上がり、2017年の来館者数は前年の2倍近くに増えた。2018年、2019年の来館者数もあまり落ち込まず、2020年はコロナ禍のために減少したが、この特例を除けば来館者数は以前より増えているという。

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 近年、ミュシャ館はSNSを利用した広報にも力を入れるようになった。数年前までは昔からミュシャを愛している年配の来館者やリピーターが多かったが、ここ数年は20代30代の来館者が増加した。デザイン関係の仕事をしている社会人や、芸術大学の学生も多い。「今はインターネットを利用してミュシャの作品にアクセスしやすく、ミュシャはデザイナーの先駆け的存在で今見ても色褪せない魅力があるために、よりその分野の方々に興味を持ってもらえているのかもしれません」。
 「今後は調査研究をしっかりしていきたいです」と、川口氏は言う。収蔵作品のなかにはスケッチや下絵など、まだ何の絵なのか、どういう経緯で描かれたのかが不明なものも多くある。研究によって分かった新しい発見を展覧会で紹介し、新しいミュシャの魅力を知ってもらうことができれば、ミュシャ館の存在意義がさらに出てくるという。また、展示施設の設備としては不十分なところも多くあるため、川口氏は「やはり美術館はできて欲しい」と改めて希望を語った。展示の仕方も作品にとってとても大事な要素であり、観る人の印象を左右する。館自体の立地という点でも複合施設のビルの中にあるよりも、堺市博物館のように大仙公園の中など、訪れやすい場所にあった方が市民に認識されやすい。「ゆったり観られるのも長所ではありますが、やはり作品は観られるためにあり、たくさん観られてこそだと思います。」
 2019年、堺市にチェコ共和国名誉領事館が開所した。土居君雄氏がチェコスロヴァキア文化功労最高勲章を授与されてから30年のことである。領事館のできた2019年、そして2020年と堺市にてチェコフェスティバルが開催され、チェコの音楽や料理、工芸品などが市民に楽しまれた。2020年の会場はかつてミュシャギャラリーが存在したポルタス堺の近隣のホテル・アゴーラリージェンシー大阪堺・ポルタス広場で、ホテルのロビーではミュシャ館の協力で作品のレプリカが展示された。ミュシャによって繋がった2つの国の関係は、今も続いている。いつかは堺市にかつて土居氏やイジー氏が思い描いた、そして川口氏などミュシャを愛する人々が今も思い描くミュシャのための美術館の建設が実現するかもしれない。(高畑夏輝)