見出し画像

思い出図書 序文

子どものころ、さまざまに夢想しては胸をときめかせた「将来の夢」が、いつから「就職」にすり替わったのか、覚えているものだろうか。


わたしが「就職」を意識したのは、高校3年生の夏休みだ。
日本文学を勉強したいので文学部にいきたい、と、親に進路の希望を伝えた時、「それで将来なにになるつもり?」と返されたのがきっかけだった。

大学で勉強することが、職業に直結しないとダメなのだろうか?
そういえば「職業」っていったい何があるんだ? 会社員って何……?
職人とか、芸能人とか、銀行員とか公務員とか、そういうものはなんとなくイメージできる気がする。でも「会社員」はダメだ。スーパーやコンビニ、食品や衣料品メーカーであれば「そういう会社がある」と想像することはできる。でもそこで働く人が何をしているのか、どんな役割の人がいるのかはわからなかった。
わたしは都内の進学校に通っており、そこそこお勉強ができるつもりでいたのだが、「社会」というものについて全くの無知だったのだ。


一方で、子どもの頃から温めていた「将来の夢」はあった。小説家だ。

小学生の頃、何かは忘れたが、テレビアニメを見ていた。少年漫画が原作のものだったと思う。
「私はこれで永遠の命を手に入れるのだ!」と高笑いする悪のおじさんがバッと手をかざすと、室内が明るくなり、大きな水槽がいくつも並んだ光景が目に入る。水槽の中には悪のおじさんと同じおじさんが眠るように入っていて、主人公たちは「くっ……!」と呻いていた。

アニメでは、おじさんのコピーがいっぱいいることと、永遠の命に関する説明はなかった。
なぜ、おじさんのコピーがいっぱいいると永遠の命が手に入るのだろう?
いま高笑いしているおじさんが死んでしまったとして、水槽の中にいるおじさんどれか一人を起こしても、果たしてオリジナルと思しきおじさんと水槽から起こしたおじさんは、同じおじさんと言えるのだろうか?

そんなことを小学生なりに考えていたある日、ニュースでクローン羊と移植医療のことを知った。ニュースの内容はこうだ。
『日本初のクローン羊が誕生しました。世界では昨年、初めてのクローン羊であるドリーが誕生しています。クローン技術は、移植医療への応用が期待されています。移植医療に関しては、豚の心臓が人間の心臓と大きさがほとんど同じであるとして注目されましたが、倫理的な問題も多く含み議論となっています……』

おじさんたちが「同じおじさんなのか」を考えていた当時のわたしにとって、衝撃的なニュースだった。現実世界でもコピーを作れてしまうのだ。
しかも、移植医療への応用が期待されているという。自分のクローンを作って必要な臓器を取り出そうなんて、そんなの間違ってる!と強く思った(もちろん間違っている。臓器だけを培養すれば良いのだ)。

恐ろしい世の中になろうとしているのに(していない)、ニュースを見ている家族は無反応だった。この時に思ったのだ。
「物語の力を借りて、おかしいことを『おかしい』と伝えられるようになろう」と。

ずいぶん迂遠な、と思うし、なんで急に小説家なんだ、とも思う。
でも明確な使命感を持って「小説家になりたい」と思ったことは確かだった。


ところが、社会に出て働く、ということがチラついてきた時に、わたし自身が「小説家になる」という夢を「現実における将来の選択肢」にしようと思っていないことに気づいてしまった。

それで食っていけるとは思えなかった、安定収入がほしい、それに尽きるといえば尽きる。
ついでにいうなら、テーマを失ってしまった(そりゃあ、人間まるまる一人作って臓器だけ取り出そうなんて考えないよね)ために、書くこと、書き抜くこと、書き続けることに必要な忍耐も燃料もなくなってしまったのだ。
わたしが苦労して書かなくたって、世の中には素晴らしい物語がたくさんある。それでいいじゃないか、と。


何になれるかはわからなかったが、わたしはやっぱり文学部に進学した。
社会に出て働く前に、やりたいことをやっておきたかったのだ。日本文学を勉強したかったし、一度しっかり小説を書いてみたかった。
書いてみて、やっぱり小説家にはなれないなと思った。


そんな風に「将来の夢」を弔って、わたしは就職した。
就活の時に口にしていた志望動機は、確か、日々の生活をよりよくする仕事がしたいとかなんとかだったような気がする。
その後何度か転職し、出版、広告、Web界隈で働き続け、10年以上経つ。
業種は違ど、どの会社でもプロジェクトマネージャー的な仕事をしてきた。この仕事を気に入っているし、人にも環境にも恵まれて、わたしは運が良かったなとしみじみ思う。
……しみじみ思いながら、心の中で「やっぱり」と思う自分もいる。


やっぱり、わたしも「なにか」書きたい。


何を書いたらいいか、テーマは見つかっていない。
でも、もはや小説である必要もない。「なにか」書きたいだけなのだから、自分の満足のいくように書いてみようと思う。
誰かが見てくれたらうれしいけれど、まずは、自分の満足のいくように。

いいなと思ったら応援しよう!