やっぱり表現者側にいたいんだよなあと思いながら紅白を眺めて年が明ける。
明けましておめでとうございます。でも31日の執筆日記。寝るまでが1日です。テレビは見ないわたしですが(ネット中毒すぎて、決まった時間に見れない)、NHKは受信料を払っていればネットで見れるので、しかも見逃し配信もできるので、終わる直前から見ていました。そして気になったアーティストの曲も遡って聞きながら、年を越しました。
あれ、執筆しながら年を越すとか言ってなかったかな、わたし。おかしいな。
さすがに今日は取り掛かり始めたんですよ、推敲。序章は終えて1章の途中まで来て、なんかこう、地盤をならすように整えている場合じゃないというような気がしてきたわけです。小説ならではの文章の自由度とか、フィクションならではの感情や状況の振れ幅とか、そういう感覚を忘れて、真面目な事務員みたいに直している場合じゃないよ。なんか違うんだよ。
そうだ、今のわたしにはフィクションの摂取量が足りない。
というわけで、小川洋子『最果てアーケード』を読み、アニメ映画『呪術廻戦0』を見て、なんか紅白を見始めて今に至ります。こうして文字化すると自分の駄目さから逃げられない感がすごいね。
紅白もね、普段は、上から目線で文句言ったりするんだけど、そんなだめだめな状態で見ると、何もかもが輝いて見えるわけ。この年末の大勢のいろんな年齢層の人たちが見る番組で、何をどうやるか、どうやって演出するか、誰を配置するか、構成を考える人すごくないか。歌もひとつずつ演出があって、ライティングがあって。出場者もコンセプトにあった衣装を着て、期待されているふるまいをして。可愛く元気に盛り上げる人たちもいて、かっこよい人たちもいて、いい歌聞かせる人もいて。
プロの技ってすごいよなー、と思ったのでした。そしてどれだけすごいものを見せられても、わたしは作る側にいきたいと思ってしまう。大変なのもわかっているのに。自分のできなさに打ちのめされるのに、観客席にはいられない。
そんな気持ちが確かめられたから、いいか(いや、よくないぞ)。しかし今日は逃避がてら2022年の仕事をまとめたけれども、ライターとしては、わたし無双しているんじゃないか、と思った。呪術廻戦の五条悟なみではないか(わからない人はわからないでいいです)。
これだけ書いてたら経験値も身につくよね。しかも全部実戦。小説は実戦が足りてない感じがする。全然書けなくて途方に暮れる。アニメを見ながら名刺を整理していて、この年末に四苦八苦している原稿がそもそも動き始めたのが2017年だったことがわかって恐ろしかった。5年。でも5年の間にわたしの小説の力がアップしていれば、作品にとっては、朗報になる。どうだろう、5年。どうだろうなんて弱気なことを言っている場合ではない。
来年の抱負なんて大きなことを言わない。ただ、ここに毎日来て毎日報告する。小説家でありつづけようとすることから逃げない。そんな1年にしようと思います。
〈本日の小説活動〉
①原稿直しに着手した。1年前に完成させた原稿で先方の確認までに時間がかかっていて、指摘された場所以外の文章がずいぶん気になった。前は気にならなかったのだから、わたしが成長したということなのだろう。原稿にとっては良いことだけど。気になりはするけど、どう直せばいいのかわからないので、一歩進んでは途方に暮れて立ちすくんで、また一歩進んでは途方に暮れるの繰り返し。進まない。心がすぐ折れる。逃げたくなる。
②小川洋子さんの短編集『最果てアーケード』を数編読んだ。小説の文章のリズムを取り戻したくて必死。藁でもつかむというか、人の文章でもつかみたい。真似なんてできないけれど、読んでいれば、書ける気になってくるのではないか、そんな仮説から。もう書くための試行錯誤なのか、ただの逃避かわからないのは、いつものこと。
③アニメ映画『呪術廻戦0』をPrimeVideoで見た。小説の直しの会話文のリズムが悪く、そして何だかつまらなく、もっと揺さぶりたいと思った。登場人物の魂が垣間見えるようなセリフを書きたい。わたしの心のストレッチをしなくてはいけないと思った。そういうときは、映像メディアが効く。音と色の世界に放り込まれて、ぶんぶん振り回されるから。何で、呪術廻戦なのかというとたまたま目についたから。これもまた、ただの逃避のような気もする。でもこういう過程がないと、ただ書かれただけの文章になってしまう。そんなもの、誰も読みたくない。
これ以上、何もできないままうだうだしていると、後の仕事に差し支える。いっそ、後の仕事を全部やってしまってすっきりしてしまったほうがいい気もするけど、そんなふうに思うのは、逃避したいだけの気もする。明日1日だけ、がんばってみる。
今年もよろしくお願いします。
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