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作者が前面に出ると作品が読まれないけれど、まあいいか、人間だものって思った話。

昔、ある小説家が「小説家がエッセイ書いたりテレビとか出たりすると、作品が逆に売れなくなるんだよ」というようなことを言っていた。どうして売れなくなるかというと、作品を読まなくても、もうその人のことを分かったような気になるから、わざわざ読まなくなるんだとか。

SNSに顔も出し日常も垂れ流すバーチャル露出狂であるわたしは、その発言が恐ろしくて心底震え上がった。かといって、行動を改めるようなことはできずに今に至っている。

そして、わたしは、最近、その小説家の言っていたことをしみじみ実感している。テレビに出たりしているわけではないけど、SNSでいっぱいしゃべりまくっているからだ。おかげでSNSで出会って仲良くなった人も増えた。あと20代のときに比べていろいろな活動が増えたから、わたしが小説家だということを知らずに知り合って仲良くなった人も増えた。

テレビで作家を見た人は、その作家の本を読まなくなるように、わたしを先に知った人たちは、わたしの小説を読まなくて、わたしを知っているから満足する。わざわざ読まなくても、常に垂れ流しているのだから。同じ仕組みである。いや、もちろん読んでくれる人もいるから被害妄想気味なんだけども。割合的には、読んでない人の方が圧倒的に多い。

とりあえず、世の中には小説を読む習慣がある人より、ない人の方が圧倒的多数なのだから仕方ない。あきらめろ。しかも、小説を書くことに興味がある人でも、好きな小説というのはバラバラだから、小説講座を受けてくれている人でも、わたしの作品を読んでいない人の方が多い。

責めているわけでも愚痴っているわけでもなくて、事実なのだ。それに、わたしだって似たようなものだ。その人の本を読んだり、公演を見に行ったり、作品を購入したりするのはハードルが高い。講演を聞いたりSNSをフォローしたりリアルで仲良くなったりするだけで満足して、その人の作品までは見に行かないことは、正直、よくある。

作品を作るのはものすごく難しくて大変なのになあ。小説の場合なら、1000円で3-4時間は楽しめる本は買われなくて、3000円で90分の講座は買ってもらえる。3000円の公演は見に行かないけど、3000円払って飲みに行ったりはする。

これって一体なんだろうなあ…って常々考えていたのだけど、今日この動画を見て腑に落ちた。

この動画の中で東さんが、人間は人間にだけ課金したい性質があるということを話していて、それだ、と思ってスッキリした。

東さんは、さらに、本当は動画とかイベントとか出たくないけれど、そうしないと課金してもらえない、書いたものは読まれない、と嘆いていて、ああああーわかりすぎるーーと動画指さして叫んでしまった。該当箇所、3回くらいリピート見した。

わかる、というのは書いたものが読まれないという側の視点からだけでない。人間に課金したいという受け手側の視点でも、よくわかる。

人間に課金したいといっても、誰にでも課金したいわけじゃない。そんなことをしてたらお金がすぐなくなる。だから、最初は、誰かの技や作品に惚れるのだと思う。そうして人間性を知っていったり、握手会とかチェキとか講演とか講座とか直接友達になったり、年が近いとか共通点があったりとか、出会ってしゃべっていろいろお互いの交流を深めていって、そうしたら、作品にではなく、人間に課金するようになるのだと思う。

課金という言葉はちょっとあまりにも生々しいので、「応援」に変えたほうがしっくりくるかもしれない。この話は、お金に限らない。

作品は応援できない。応援しても作品は受け止める五感を持っていないし、応援しても作品そのものは変化しない。でも人間は応援したら反応があるし、応援したら変化もする。交流も生まれる。そりゃ、人間を応援した方が楽しいよ。応援する方だって、人間だもの。

わたしは、ずっと、ある意味、中二病というやつだけども、わたしには小説しかない、と思っていた。わたしから小説を書くことを取ったら何にもなくなる、と。

でも、そうじゃない…ということを、今わたしの周りにいて、わたしの小説を読まないけど仲良くしてくれている人は、証明してくれているのかもしれない。

わたしの他の活動や、わたしという人間に直接興味をもって、つながってくれる人もいる。その人たちが、小説も読みたいと思ってくれるかどうかは、また、全然、別の話だし、そういう人たちがいてくれることは、わたしにとって、生きやすさや幸せにつながっているのだと思う。わたしの書く小説にしか興味がない――そんな人しか周りにいなかったら、わたし、たぶん、すぐ病んで死んじゃうね。人間ってひとつの価値だけで測れるものではないし、ひとつの価値だけで測ろうとすると人間性を失ってしまう。

作品というもののよさは、遠く離れた場所に住んでいる全く見ず知らずの人と、深く深くつながる力があることだと思う。わたしの小説を読んでくれたことをきっかけにして、わたしのことを知ってくれた人もいる。わたしが作品を世に出さなければ、一生知り合うことはなかったかもしれない人たち。届く作品を作れていなければ、最後まで読まれなかったし、作者に興味を持ってくれることもなかったかもしれない人たち。

そんなふうにつながる手段「も」、小説家であるわたしは、持っている。

書かなければ。そうして、わたしという人間を知らずに、作品を通して新たに出会う人たちを増やしていかねば。そうするしか、この増幅し続ける「読まれたい気持ち」を満たす方法は、ないんだと思う。

とはいえ、今わたしが書き続けていられているのは、出会ってくれて、わたしを応援してくれた人たちのおかげなので、読んでくれた人も、読んでないのにわたしを構ってくれる人も、みんなみんな、ありがとうございます。

トップ画像は、人間は人間に課金したい、という話からアイドルを推すファンのイメージをAI生成しました。これから、AIがすごいスピードで何でも生成してくれるようになる未来の入口に立つ今、人間は人間を応援したいという話は、結構、希望なんじゃないかなあなんて思ったりした。


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