術後028日目
本日もピコん!と1件のLINEが来ました。
神戸新聞で永井先生神戸新聞載ってた📰
と親からでした。
なぜ親からLINEが来たかというと、競歩を始めるきっかけとなった恩師の1人だからです。
当時、自分は姫路工業、永井先生は飾磨工業の先生でした。
母校は中長距離の人数が少なく、駅伝は他の種目や野球部やバド部から借りて出場するレベルでした。
そんな状況であったので、たまたまのご縁で長距離が強かった飾磨工業の練習に参加させてもらう機会を得ました。
駅伝では近畿大会上位校で、競歩も毎年インターハイに出場する選手がいました。
1年の夏頃から飾磨工業の練習にお邪魔しておりました。西岡大先生、川崎先生、永井先生の3名で指導されており、西岡先生が競歩メインで見つつ、川崎先生と永井先生へ引き続きしようとしている期間でした。
1年生の夏、飾磨工業との練習が終わった後、西岡先生らから、
お前脚長いから競歩せんか!インターハイ行けるぞ!と言われました。
走りで県大会や近畿大会に行きたかったし、まだ1年と伸び代しかないと思ってました。
しかも競歩なんてただ歩く地味な競技と思っており、あんな競技やってられるかい!という気持ちでした。
毎回練習に行く度に言われましたが、そんな気持ちだったのでいつも断ってました✋
時は過ぎ高2の夏、インターハイも新人戦も県大会へ行けなかったので、当時の競歩は25分くらいで歩ければ県インターハイにいけるレベルだったので、高3の最後の思い出づくりとして、ついに競歩を始めました。
永井先生に直談判したところ、
やっとやる気になったか〜😤と軽く怒られましたが、快く指導してくださいました。
その結果、兵庫県インターハイでは第5位、当時の高校100傑に入ることができました✨
競歩の練習はキツかったですが、競歩効果もあり1500mと5000mはベスト更新できました✨✨
という経緯がありました。
ここ数年はお会いできてなかったですが、西脇工業で競歩指導もされており、今年は福岡高校インターハイ、佐賀国スポに西脇工業生が出場していたのでお会いしました。
競歩でも長距離でも結果を出しておられ、自分も永井先生のような指導者を目指したいです。
そーゆー思いも少しあって、教員免許(工業)はあるので、ゆくゆくその道も考えてます👨🏫
以上☪︎