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通じているという安心感。
誰かと話していて、楽しい!と思う時。
私にとってのそれは、間違いなく「通じてる!」と
感じた時な気がします。
例えば、ギラン・バレー症候群の話をしていて、
全く同じ病気ではなくても、似た経験があってとか。
病気の事じゃなくても、考え方が似ている、
ちょっとイラっとするポイントが似ているとか。
(何故がイラっとするところの方が盛り上がったりする)
言葉の選び方が素敵な人
そういう人との会話も、また素敵ですね。
私の語彙力が限界を迎えた時に、皆に伝わりやすい、
簡潔で、しかもちょっと笑っちゃう的確な表現をする。
そんな人と話していると、もっと話したくなるだけじゃなく
「こういう表現があるのか、次どこかで・・」みたいなね。
しかも、そういう人って、だいたい次のも当てはまる。
一緒にいると元気になる(気がする)
不思議とそうなる人、いますよね。
決してポジティブだけってことでもなく、
たまにはメラッと背後に炎のオーラが見えたり、
落ち込んでることもあれば、普通の人に見える。
でも何だかホッとする。
そんな人といると、話す内容もお互いに
気持ちよいものになれる様な。そんな感覚。
共通するのは、「共感」と「尊重」
早い話が、嫌な思いをすることなく話せる人が
多く集まっている場なら、自然と楽しくなります。
オンラインサロン等で、楽しかったなとなるのは、
皆そういった場に慣れていて、過ごし方を知っているから。
そしてお互いにお互いの話を聞き、話すために集まっているから。
「初めまして」であったとしても、それがいい距離感で。
そこにあるのは、「共感」と「尊重」だから、
そんな気がするのです。
「話していいんだ」=「ここにいていいんだ」
という気持ちになれるから、きっと楽しいんだと思います。
家族や友人には意外と言いにくいということも、そこでは言える。
病気のことも、今感じている不安も、悩みでも。
「なんだそんなことで?」なんて言われたりもしない。
ギランバレー症候群で、身体的不自由を感じる様になっても、
生活の為に何とか工夫して一見大丈夫なようにしてきました。
それがいつしか、「もう大丈夫」になり、
辛いなと思う日でも、それを言えない日々が続きました。
そんな時に参加したサロンで、その辛さに共感してもらえて、
それでリハビリを続けることが出来ました。
「通じてる!」は、最大の応援。
私にとって「共感」は、最大の応援でした。
自分だけが変だとかではないんだ。
他の人も、そういう想いを経て、今があるんだ。
それはそれは、嬉しかったです。
今、あゆかんを始め、色々な団体のサロンや
セミナーやオンラインカフェで、色々な方と話をします。
病気になっていなければ、本来出会わなかったかもしれません。
病気になっていなければ、あゆかんも始めてなかったし、
standエフエムで話すこともしてなかっただろうな。
奇跡的に出会った、すごい人たち
こうした場に参加して、私から見てすごい人達
(活動内容、考え方等、すごい内容はそれぞれ)
とも同じ場でお話をさせてもらいました。
経歴とかはすごいんだろうけど、考え方が柔らかい。
他の場でバリバリと活躍しているのに、
皆の話を聞いて盛り上がってくれる。
それこそ、すごいなと思いました。
意見交換は大切だけど、そこには尊重が必要では
立場や年代、経験の差はあれ、お互いに一人の人間です。
話す場で誰かが話していたら聞いてみるし、
何か意見があっても、一回はきちんと聞いた上で。
自分の我を通したいだけなら、それが通る場でと思います。
幸いなことに、私の周りにはそういう方はほとんどいませんが、
オンラインカフェでも、ミーティングでも各種セミナー等でも
「あ、この人は自分の意見を通したいだけだな」と思ったら
もうそれは話し合いではないと感じます。
お互いに尊敬心があって初めて意見交換が出来るのであって
それがないなら時間の無駄だと思います。
そういう場に私はいたいと思わないし、別の楽しい場に行きます。
お互いに敬意を持って、楽しく話したいですね。
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