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027 社会依存症

前述したが、万人に共通する「なぜ生まれてきたのか」という問題は、それが即解答である。
すなわち「自身とはなにか」を知るために生まれてきたのである。
自身を知らずして、生まれた意義や価値などを知ることは出来ないのである。
心と体と頭はそのためについてきた有能な部下なのである。

自身を知るために心と体と頭を使うのが自給自足である。
そんな暮しを主にして老れば、自然にお迎えを望むようになったのである。
何の後悔もありはしないのである。
それぐらい自身を知れるということである。
ほんの少し前まで、そんな人は数多くいたのである。

これほど、合理的な暮しはないのである。
この気構えを残すために、文明開化したのである。
この気構えで、戦争したのである。
この気構えを復活させるために、経済復興したのである。
世界中のどの社会も個人も同じなのではないか。

心の病気は、心の不安定から起きる。
自分で自身の心を支える自信がないから起きるのである。
自分自身を信じる拠り所がないのである。
自分自身より他者のことばを信じている状態なのである。

体の病気も自分で自身の体を支えられないところから起きるのである。
自分自身の作れないものを過剰に摂取するから、消費できなくなるのである。
自分自身の体で作ったものなら、過剰に摂取できないのである。
自分自身で作れない社会的産物は少ないと活きるのである。

頭の病気も同じなのである。
自分の考え・人生哲学・価値観を自身で支えられないところから起きるのである。
他人の考えをそのまま飲み込むことから生じるのである。
自己の哲学は、自分自身でしか作れないのである。

体の病気を治すのは医者の仕事である。
心の病気を治すのは精神科医の仕事である。
頭の病気を治すのは芸人の仕事である。
しかしそれらを本当に直すのは自分自身の仕事である。

だから自分自身が芸人になるしかないのである。
それはどんな芸か。
自分で自身を支える芸である。
自身を支える多種多用な芸を身に付けるのである。

自身を支えるには、食べものを作る芸がいる。
また家を作り、直す芸もいる。
服を作り、直す芸もいる。
社会や伝統や時代や情報と付き合う芸もいる。

多彩な芸を身に付ければ、自分を支えことができる自信がつく。
必要以上に頼りたくない・頼られたくないといった心意気も自然と出来る。
何事にもよらず「ただ自身としてただ存在したい」という感覚もできる。
そうして物事にも自然な存在感(尊厳)がそこにあるのがわかるようになる。

以前はそういった芸も身につけたものが一人前と呼ばれた。
それがかつての大人であった。
そういう人が困ったときに助けあう暮しがあった。
だから受けた義理は必ず返すという、気概になった。

そもそも「社会」の語源は、「ソサエティーsociety」である。ソサエティとい名詞は、ソシアルsocialという形容詞から出来ており、ソシアルの語源の意は、フォロアーfollowerである『研究社英語語源辞典』『スタンダード英語語源辞典』。
フォロアーとは従者である。
従者が集まって出来たのがもともとの社会なのである。

従者ばかり寄り合っていても、無責任体制で困ることが多く出る。
そんな中から社会をリード(指導・先行く)する人が発生するのである。
それから社会は進歩するようになるのである。
それと同時に社会は問題を見立てるようになるのである。

常識は変わり、社会は進歩している。
社会問題は増え、深刻になっていくと見立てる。
それを如何に脱するか。
ただ社会問題をなるべく作らない方向に行けばいいのである。

日本語の「語源」の語源は、英語の「エティマロジーetmology」である。
エティマロジーの語源の意はリアルやトゥルーであり、真や実や誠なのである『研究社英語語源辞典』。
語源を見れば、もともとの意、まことの意がわかるのである。
また語源から現在まで意の差に進歩、新しい常識の歴史、文化があるのである。

指導従属の反対は自主独立である。
自主独立の語源はインディペンデンスindependenceである。
インは反対、ディは大いに、ペンデンスはぶら下がるである。
大いにぶら下がることの反対が独立なのである。
半端でなく大いにぶら下がった人が、他に仕様がないので独立するのである。

自主独立とは孤立のことである。
時々孤立することで、自分自身を認識できるのである。
また自主独立とは自給自足でもある。
社会と間を取ることで、社会を認識できるのである。

自分で自身を知ることを邪魔するものがある。
それが今の常識である。
人間の文化(精神的な所産)そのものである。
素敵な相手はここにいる。

「頭から」病気なのである。
「頭から」とは「はじめから」なのである。
「志向」そのものが一種の病気なのである。

ただ、この頭の病気「社会依存症」にも尊厳があり、一方的な悪とは言えないである。


#小さなカタストロフィ
#microcatastrophe  

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