2023.12.xx
資本主義と国民性がいい感じにマッチして生まれた格差や言い表せない気持ちの悪さを埋めるには、資本主義をいっせーのでやめるか「国民性」という曖昧な部分を変えるか、どちらかしかないとしたら後者のが簡単かなあと考えた。今日も思考の自由を存分に振るっている。インディペンデント気分。わたしはわたしの政治をわたしに課しているけど特に義務は生じてないから政治じゃないのか。自由であることの制約か。
今日も思考の自由を存分に振るっている。
考え事が好きだ。休むのが好きだから。
先生の言うことを聞いていたらOK、褒められちゃったらモアベター。簡単かつ明確なルール上で勝ちにだけこだわるこどもたち。
先生に絶対褒められないせんぱいやともだちと曖昧な不文律の上で遊んでるこどもたち。
好きなことを早めに見つけていい感じに時間を使えるこどもたち。
それら全てをうまくこなせるこどもたち。
ストリートと表される諸々の間口は大いに広がったと思う。ファッションなり、音楽なり。良いとか悪いとか別にして。それで文化の発展があったり衰退したり。ストリートに限らず全ての物事にそーゆー事は起き続けてる。そうするとなんか時代みたいなのがつくられる。そーゆー時代。そーゆー時代の発生。
時代によってアップデートされてるひととそうじゃないひとも生まれてくる。先端or時代遅れ。みたいな。極端にすると。二分化するならさ。もうアップデートするソフトウェアがめちゃ細分化してるから二分化しちゃいけない気がするんだけど。
いろんなひとが生まれて死んで新陳代謝。地球はグルグルしてるしうちらの細胞もめっちゃ分裂したり壊れたりしてる。最近オートファジーの本読んでるんすよ、めっちゃ面白いすよ。細胞とかってかわいいし頭良いんで。
とにかく、時代によっていろいろ指標も違ってくるんですね。そうらしいよ、とは伺っていたんですけど人生っていつも初見プレイなんで、うつろい変わる時代をめちゃくちゃ感じてる今めっちゃフレッシュな感じで感じてるんです。何って、時代の変化ですよ。めっちゃ変わってってません?急性期ぽくないですか?超めっちゃそう感じるんです今。フレッシュ❣️
大前提として、理不尽な暴力に耐えることに美徳を見出すのは素敵なこととは思っていません。足かせ鉄球自慢みたいで悲しいし、殴られるのってバカみたいだし。実際バカが殴られますし。わたしもちいさいころバカなことをしてパンチされたことがありますが恥ずかしくて具体的なエピソードなんて話せません。反省しちゃうし、恥ずかしいな…
雑な感じになってきちゃいましたね。
気持ち入ってきちゃった。
言い切る文体に戻そう。
過去に見た時代のストリートには暴力がよくあった。バカが殴られるのを見ていたし、女が女だから軽んじられているのを見ていたし、ゲイがゲイだから笑われているのを見た。最悪だ。醜悪な時代。でももうそんな時代じゃない。バカは面倒見のいいひとに教えてもらえるし、女の人は女の人だからどう、みたいな事も少ないし、ゲイがゲイであることに特に何も思わない。
ただ、その今思い起こすと醜悪すぎたストリートの中から学んだこともたくさんある。絶対に戻りたいとは思わないけど、全部クソだったとも思わない。昔は良かったなんて一生言わないけど、笑い合った思い出は消えない。
今の時代のストリートの間口を広げたのは誰なんだろう。どんなひとなんだろう。音楽に夢中になって仲間やともだちがたくさんいておしゃれなひとなのかな。鬱屈した気持ちをデザインに落とし込んだ暗いひとなのかな。スケートが好きで靴すぐ壊すひとなのかな。キャバクラが好きな営業マンかな。学校に行って部活をやって先生に褒められてたひとなのかな。バンクシーを追いかけたわたしたちなのかな。そのすべてのひとたちなのかな。
今、ストリートってどんな場所になってるんだろう。
お家や学校からはみ出しちゃったひとたちの場所かな。権威がキライで社会に馴染めなかったひとたちの場所かな。DIYで作っちゃうひとたちの場所かな。気分がよくなる音楽がかかっている場所かな。気分がよくなる何かがある場所かな。ケーサツが来るけど介入できない部分はあるかな。
そこにいる為に誰かに媚びないといけない場所になってないかな。誰かになりたいが為に搾取したりされたりする場所になってないかな。誰かに嫌われたくないから必死にしがみつく場所になってないかな。お前の居場所はそこなのかな。
わたしたちの細胞もしらない間に新しい細胞が生まれてお肌ツヤツヤになったり、古い細胞が固まってガサガサになったり、生まれては死んでいます。ずーっとそうです。
ものごとのことわりとして変化は当たり前ぽいです。生きることも死ぬことも受け入れなくてはいけないようです。やだなと思うことがあるのも当たり前みたいです。それをうれしく思うひとがいるのも当たり前みたいです。突きつけられると、結構複雑。
とにかく、色々と「そーゆー時代」が始まっては終わっていってるのをわたしも受け入れなくてはいけないみたいだなと感じる事があり、そのことばかり考えてしまいました。
がんばります。
昨年末ごろからソリが合わねえなあと思うやつに立て続けに出会ってしまって疲れて考え事ばかりしてました。細胞もバイキンに会うとたたかって熱出して疲れるすよね。たまに間違って自分の細胞いじめちゃったりね。間違っちゃったって気づくといいけど。わたしも、そーゆーやつもいるって受け入れられればいいけど。嫌いなやつもいる。好きなひともいる。
それだけなんだけど、嫌いなやつに会うとムカつく。
ここから書く事は全部嘘ですが、ムカつくやつと喧嘩になったので殴りにかかったら相手がびっくりしてよろけて転んじゃったので殴らずに済んで良かったです。ひと笑い生まれて済みました。大嫌いだと伝わっただろうし。大好きと同じくらい大嫌いは大切にします。その後「パンチしないで倒したから合気道の達人」つって調子こいてたらちゃんと大好きなひとにニセ合気道で倒されたので調子こかないようにします。ごめんなさい。これは本当です。調子こかないように。これも醜悪ストリート時代からの学びでしたね。忘れないように。LOVE。
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